21,「運命」の糸
3630字
「サフィニア。本当に行くの?」
「ふーっ」
暗闇の中、一つの人影がサフィニアに話しかけた。人影は言葉を続ける。
「売られた喧嘩を買うのはいいけど、もう少し君は休むべきだ。」
「ふーっ」
「あまりリコリスを軽く見ない方がいい。」
ここはホテルのピロティ―。柱にもたれかかっていた人影は重い体を波打たせ、陰の外へ歩みを進めた。
「なあサフィニア。行って死ぬのは君の勝手だけど、その前に一つだけ聞かせてくれ。どうしてあの事件で、俺を誘拐した。」
フランネルは、変わらず冷静な声で呟く。日の光のもと、おぞましい姿のサフィニアは黙り込む。おぞましい……というのは、単に冷酷さに由来する恐怖の比喩ではない。今の彼女は少し違う。奴隷のようなボロボロの衣服を着た悲しみと憎悪のナハツェーラと化していた。死人のような肌の上には、涙と血を象徴する赤紫の血管が浮かび上がっている。腰回りを囲う様に鎖が円形を成して浮遊している。従来のサフィニア感を残しつつも、それはしっかりナハツェーラの輪郭をしている。
「フランネル……君はナハツェーラじゃない……。君は家族の一員として……生きるべきだ……。」
「だったら普通にあの場で見逃すだけでもよかったんじゃないか?どうして誘拐したうえ俺の死を偽装するんだ。きっと今頃リコリスたちは、フランネルという人間は死んだと思ってる。」
「君の知識を、搾り取るためだ。」
フランネルの目が、少し開く。
「知識を搾り取る?」
「お前、何か知ってるだろう。」
初めてサフィニアが振り返った。直後、フランネルはその場に座り込んだ。
「なんだ!?目が見えない……視界が真っ暗だ!」
「ふーっ」
「君の能力か!?」
今のサフィニアは人間ではない。悲しみの序曲というナハツェーラだ。危険度レベルは7中の6。具体的な能力を、フランネルは知らない。
「フランネル。今、ついさっき、一緒にホテルの外周を散歩しただろう?」
「それが何だ!」
「お前は気付いてたか?私が歩いた軌跡に、鎖が落ちていたのを。」
「鎖?あぁ、なんかずっと金属音がするなとは思ってたよ。でも、それが何だっていうんだ。」
「私はね、この体を縛る鎖を自由に操れるんだ。そして、この鎖で囲んだエリア内にいる生命体の五感の機能を一つ、ランダムで停止させる。」
「じゃあ今はこのホテル全域が鎖のエリア内だっていうのか?」
「そう。」
フランネルは自身のポケットからナイフを取り出し、サフィニアのいるであろう方向にナイフの先を向けた。直後、彼の視界が晴れる。サフィニアは彼の目と鼻の先の距離まで迫ってきていた。
「はァっ!」
思い切りナイフを振り回す。しかしサフィニアは後ろに下がることもなく、フランネルの胴体に身を押し付ける様に迫って来た。
「なっ!」
直後、彼女の体がフランネルをすり抜ける。何の感触もなかったフランネルはピロティ―の柱に体当たりしてしまった。
「透過した……?」
「生身の肉体は私に触れられない。有機物だけ、こうして触れられるのだよ。」
サフィニアは入口前にある傘立てから傘を一本差し抜き、フランネル目掛けて思い切り投げた。
「ッ!」
反射的に体を揺らしたが、遅かった。盾代わりに胸の前で立てていたナイフを傘は砕き、そのまま傘はフランネルの胸を貫通した。貫いた傘の先が柱にも刺さる。
「ッアァ!」
吐血するフランネル。しかしサフィニアはお構いなしに次の傘を手に取った。
「次は、その心臓に刺す。」
槍投げの構えに入り、さっきより長い溜めの時間が流れた。カレンダーを壁にピン留めする様に、今フランネルは傘で柱に固定されている。ギリギリ心臓を避けて胸に刺さった傘を抜こうとするが、その力が彼の腕には入らなかった。
「フランネル……お前は何を知っている?言ったなら、心臓は避けてやる。」
「何を言ってるんだ、サフィニア。喋ってくれ!」
サフィニアの言葉がフランネルに届いていない?いいや違う。今の彼は聴覚を制限されているのだ。サフィニアは彼の不運さを鼻で笑う。
「さようなら……家族。」
最後の一本を思い切りフランネル目掛けて投げた、その直後。
ボォォォン!
周囲が急に濃い霧で包まれた。それと同時に、傘が柱を砕く音がする。その裏でフランネルの短い悲鳴も聞こえた。
柱が砕けることでホテル全体が大きく揺れ、ピロティ―の天井からピキピキ、メキメキと悲鳴が聞こえる。その次、霧の外から一つの人影がサフィニアの方に歩み寄ってくる。
「誰だ……」
軽く手を振って霧を払い、彼女はその人影に目を向ける。すると徐々にその人影のシルエットが明確になっていった。
「久しぶりねサフィニア、」
そこにいるのは小さな銃を持ったリコリスだった。徐々に霧が晴れる。見ると、サフィニアの後ろの壁に、弾丸が数発撃ち込まれた跡があった。
「煙幕弾で奇襲を仕掛けたつもりだったけど……一発も入らなかったわ。」
「リコリス……いつからそこにいた?」
「今来たばかりよ。というか、何その恰好?あなたがナハツェーラになってるのはノートで知ってたけど、薄汚い姿になったものね。奴隷みたいな服。家族の中で一番ナハツェーラを恨んでるあなたがナハツェーラになるだなんて、まあなんとも皮肉な展開だこと。滑稽ですわ!」
リコリスは自分のお友達ポケットを取り出して211ページを大きく掲げた。
≪〇「悲しみの序曲」サフィニア
危険度レベル:6
『能力』
・抱擁(無条件発動)
身を縛る鎖を操作できる。この鎖が囲ったエリア内(以後「鎖エリア」)ではランダムで五感のいずれかが機能を停止する。同時に最大一つまで機能を停止できる。機能を停止される五感はサフィニアの意思に関係なくランダムなタイミングで切り替わる。
サフィニアは人の体に触れることができない(触れたら透ける)。
・攻撃手段
直接人に触れられないので、物体を投擲物にして攻撃する。
『テーマ』
信じていた正義が根っこから崩壊した時、彼女の希望と信念は、醜悪な絶望と憎悪に成り代わる。≫
「……その弾は私を撃ち抜けない。それを分かっていて、どうしてエネルギー弾を私を撃った。」
「撃ったのはあなたじゃない。後ろの看板の留め具よ!」
サフィニアは後ろを見上げる。しかし留め具を破壊された巨大な看板はサフィニア目掛けて落下しかけていた。
「しまっ」
逃げる間もなく看板がサフィニアを押しつぶした。ものすごい轟音が鳴り響き、地面が揺れる。飛び散る瓦礫は、リコリスの腿にいくつかの傷をつけた。
「サフィニア。あなたを殺して私も死ぬ!」
リコリスは、サフィニアを潰した広告看板の山へ歩みを進めた。地面の鎖を乗り越える。瓦礫の山から立ち上る煙たい空気がパチパチと音を立てた。瓦礫の山が盛り上がり、中から血を流すサフィニアが顔を出す。
「ふーっ」
「まだ生きてるのね……さすがナハツェーラといったところかしら。」
「次は、私の番かしら。」
ジャラジャラという音がしたかと思うと、一本の鎖がリコリスの足を捉えた。
「なっ!?」
「ジェットコースターよ!」
鎖はリコリスを捕まえたままホテルの中に爆速で消えていった。彼女の悲鳴は二階、三階、四階と段々高度を増していった。時々ものが破壊される音が聞こえるのは、鎖に連れまわされる彼女が壁や障害物に当たった時の音だろう。そんな『ジェットコースター』が一分ほど続いた後、足を鎖で縛られたリコリスが窓から吊り下げられた。頭が地面を向いている。髪もボサボサで、衣類もズタズタに切り刻まれていた。その傷口から溢れる血がグロテスクだ。鎖はゆっくり伸びていき、やがてリコリスは地面から二メートルくらいの高さにまで下ろされた。宙ぶらりんになるリコリスにサフィニアが語り掛ける。
「リスみたいに小さく可愛らしかった体が、もうグチョグチョになっちゃって。顔が濡れてるけど、それは涙?それとも血?」
嗚咽交じりにリコリスが呻く。喘ぎ喘ぎ発せられた言葉も、何を言っているか分からない。
「リコリス……あなたの負け。メイの死も、ボイジャーの崩壊も、全部運命なのよ。避けようのない運命。あなたの死も、運命なの。」
「サf……ァ……」
「きっと内臓が破裂しているから喋らない方が身のためよ。ホテル内を引きずり回されてどうだった?昔あなたがハルモニアのジェットコースターに飽きたと言っていたのを私は覚えてる。じゃあ私のジェットコースターは楽しかった?ふーっふーっ。」
笑っているのか泣いているのか分からない呻き声をあげてサフィニアはリコリスの頬をなぞった。ドロドロの地が指先に絡みつく。
その時、ホテルの駐車場の門から何者かの声が響いた。
「リコリス!」
テレジアと、アメリアが到着した。




