80.狂喜乱舞3
巨大軍艦、三層。
深緑の海は広がり、リベレとエクスは海底へと落ちていく。
初見殺し。深緑の海は最強の剣士エクスですら、恐怖に沈めていく。
何の恐怖を追体験したかはエクスにしかわからない。だが、彼の心をゆっくりと蝕み、精神を揺さぶる。
対してリべレは、俯瞰して恐怖の海を見つめる。
己が叛逆者であり、何度も死から叛逆してきた。今更恐怖に屈することもない。彼は、十秒ほどで抜け出すことができた。
深緑の海は薄れ、次第に精神と肉体がリンクする。
「はっ」
景色は三層、小さな劇場の前。
手を動かし、帰ってきたことを悟る。
風景に異変はない。時間はあまり進んでいない。
そして、目の前の男は、微動だにしていなかった。虚空を見つめ、ロングソードを握ったまま立ち尽くす。
エクスは未だに恐怖に飲まれていた。
初見でこの魔法を突破するのは至難の業だった。
ーー今が勝機だ!!
止まっている男を目掛けて、リベレは短刀を突き刺す。
卑怯とは誰も言わないだろう。『恐怖』フィアに対応できた経験はリベレのものだし、その攻撃を喰らって動かなくなっているのもエクスだ。故に、状況を利用しただけにすぎない。
思考時間すらない攻撃だった。リベレは、以前アミューズを殺し損ねたことを後悔していた。次は失敗しない。考えるよりも先に、体を動かす。
状況を理解し、感情の均衡を発動させる。そのまま、高い身体能力を維持して攻撃に移る。巨大軍艦に恐怖が襲ってから十一秒しか経過していなかった。
今回は殺せる。短刀『リーフ』はエクスの心臓目掛けて進みーー
リベレは刺す動作から斬る動作へと変化させた。突き刺す動作から、頭を屈ませる動作へと。
斬撃。
ロングソードはリベレの黄金の髪を数本切り裂いただけで済んだ。間合に入ったまま突きの動作をしていたら、黒い瞳状態のリベレは死んでいただろう。頭上を通り抜けた斬撃をみて、感情の崩壊を発動させる。
すぐさま叛逆の一滴を展開させ、防御に入る。
瞳の色が変わった瞬間、彼の瞳は上下に分かれた。リベレの頭部はずるりとずれ、血の花を咲かす。そのまま、斬撃を数回、体を両断される。
叛逆の一滴は槍のような形に変化し、エクスに向かって進む。彼はそれを間一髪で躱し、後方に跳ぶ。
二人の間合いは再び開けた。リべレは体を修復し、エクスを睨む。
エクスの右手首から先は、先程のリベレの攻撃で失われていた。足元に落ちている。
一瞬の時間で奪えたのは右手だけ。
「ははは、今のは何だ?深緑の海、光の届かない天空。幻想的な世界だったが、気分は最悪だ。リベレ君の技…ではないのだろう」
エクスは血を吹き出す右手を掴みながら笑う。頭を振りながら、恐怖の海のことを忘れようとしていた。
「まったく、イレギュラーが多すぎる。だから俺は、もっと計画的にやったほうが良いって言ったんだ」
虚空を睨みながらため息をつく彼は、いつもより老けて見えた。年相応の、苦労を重ねた管理職の男のようだった。
「卑怯なんて言うなよ?」
「まさか。ちょうどいいハンディキャップだ」
それもつかの間、普段の筋肉質の中年男性の姿に戻る。
男は、頬を異常なほどに釣りあげながら笑う。
肉体の損傷など彼にとってはどうでもいいのだ。
ただ、強者との戦いを楽しむ。
どれだけ強さを手に入れても、彼の心は童心のままだった。
「さて、そろそろ終わりにしようか。雨も強くなってきたようだ」
ーー雨…
リベレに音は聞こえてこないが、窓は水で濡れて、外の景色は見えない。
確かに、残された時間は少ない。もし、スペアが感情大陸崩壊の実行を進めているとしたら、リべレはここにいる場合じゃないのだ。
故に、短刀リーフを握りなおして臨戦態勢に入る。
エクスもロングソード片手で握りしめ、体制を低くする。リべレは感情の崩壊を発動させ、いつでもカウンターを決められる準備をした。
両者の間に静寂が訪れ、どちらが動くかお互い見合っていたが…
エクスは予想外の行動を取った。
彼のロングソードは、リべレに向かってではなく、地面に向かって放たれた。鉄の床から火花が散り、光り輝く。火花はそのまま火炎へと変化し、小規模の爆発を起こした。
「はぁ!?」
なんだ?
自爆?
エクスの行動は、何一つリべレに危害を加えなかった。単純に眩しさと爆風を体で感じただけ。一歩後退させるだけで終わった。
逆に、エクスは皮膚を薄く焦がしながら、地面を転がっていた。数回転した後、そのままの勢いで体勢を立て直す。ロングソードを構え、臨戦態勢は解かない。
彼が切り裂いた地面は、大きく穴が開き、威力の高さを物語っていた。エクスはその穴を睨みつける。彼の視界に、もうリべレは入っていなかった。
「だから、殺しておくべきだって…。はぁ、もう」
エクスは、穴を睨みながらため息をつき、すぐに笑う。
「まったく、もう。ははは。これだから、人生はおもしろい」
「はっはー。いいねぇ、エクス。お前のなんでも楽しむ性格は嫌いじゃねぇ」
穴の中から、笑い声とともに二人とは別の男の声が鳴り響く。
最初に、火柱。次に、爆発。煙が風によって消えた時には、三階に新たな男が立っていた。
ぼさぼさな赤い髪に、ゆるい口角、地獄の業火のような赤い瞳。そして、リべレが今まであった人間の中で、段違いに多い魔力。細身の肉体の周辺だけが、空間がゆがんでいるかのように見えるほどだ。
「おうおう。邪魔して悪いな、『叛逆』リべレ。姉ちゃん達から話は聞いているぜ。エクスの相手をしたい気持ちはわかるが、お前さんは行くべき場所が他にあるんだろう?」
軽薄そうな口調で、頼もしいことを言ってくれるじゃないか。
こいつが誰かなんて、聞かなくてもわかる。
男は、軽快に笑いながら背中を見せる。
「ベタだが、言わせてもらおうかな。ここは任せて、先に行きな」
作戦の第一段階である『怒王の解放』。
嫌王の作戦は、初めて軌道に乗った。




