71.悲惨な戦い1
巨大軍艦、四階から五階を繋ぐ階段。
『悲惨』のミザリーは片手で口元を覆いながら、階段を登る。
青白い素肌がより一層青くなるほど、彼女は吐き気を催していた。
忘れもしない、悲惨な記憶。
十六年前。彼女はこの階段を悲王と共に登った。
そして、上に見えるあの扉をミザリーがひらいた。
闇のように黒く、やけに大きい両開きの扉。この扉を開いた先で起きたことが、彼女の生きる理由だった。
悲国の滅亡。仲間の裏切り。大切な悲王を守れなかった自分への怒り。
そして、何も残らなかった悲惨な事実。
ミ嫌王の話など、どうでもよかった。『論争』アーギュによる三話戦法。そこから嫌王が導き出した勝利の方程式は、怒王の救出、『狂喜』エクスの討伐、そして黒幕である『与楽』アミューズの殺害。
嫌王たちの目的は、感情大陸崩壊の阻止だ。あくまで、『与楽』の殺害は過程でしかない。
だが、ミザリーは違う。感情大陸崩壊は興味がない。守るべき祖国はすでに滅んでいる。
『与楽』殺害こそ、彼女の目的だ。奴さえ殺せばそれでいい。あとは何でもいい。
故に、『与楽』の居場所をわかっていたにも関わらず、リベレやルーゼンには共有していなかった。
自らの手で殺すことに意味があるからだ。
ーー奴は、必ずこの扉の先にいる
何か魔法などで探知したわけではない。誰かから話を聞いたわけでもない。
確信。
感情大陸崩壊という出来事が起きるとしたら、奴は一番見通しのいいところで見ているに決まっている。
それは、復讐相手への信頼でもあった。
扉をゆっくりと押す。冷たい風が流れ、扉は不気味なほど滑るように開く。
太陽の光が差し込み、青空が視界一杯に広がる。
巨大軍艦五階、開けた甲板は船の周囲の景色を一望できる。
悲王とミザリーが、悲国の滅亡を見届けたこの場所に、やはりその男は立っていた。
橙色の長い髪、自信に満ちた顔、金色の刺繍が入った黒色の眼帯を右目にかけている。気障ったらしく赤と黒色で整った服装。そして、彼の象徴である朱色の左目。
「おや…?懐かしい顔です、ねっ!?」
ミザリーは『与楽』アミューズを視界に入れた瞬間、駆け出し、風を切る速度で蹴りを入れる。
彼が振り向くのと、両手をクロスさせて防御態勢を取るのは同時だった。
「ちょっ、いきなり攻撃って!」
「お前に話すことなど、何もない!!」
大気中に霧散している水分を水の塊へと変化させる。甲板に数多の球体が浮かび、アミューズ目掛けて放たれる。
「与楽!!」
アミューズの体から黄金のオーラが溢れる。水の塊はオーラによって弾かれ、飛び散る、
「あのですね、私に聞きたいこととかあるでしょう!」
「黙れ!」
「ちょっとぉ。ラスボスとして、最後の戦い用にセリフとか考えていたんですよ」
アミューズはわざとらしく、視線を下げてため息をつく。黄金のオーラによって攻撃は彼の元に届かない。
それでも、ミザリーは攻撃を止めなかった。時間を稼ぎながら、さらに大きな球体を作る。
「本当に聞かなくていいんですか?」
「お前と会話する気はない」
「例えば、悲王の悲惨な死因とか」
「は?」
ーーやはり、食いついきましたね
アミューズはニヤリと笑う。所詮、この女は復讐鬼。悲王を守れなかった過去の亡霊だ。
十六年間悲国で閉じ込められた女と、十六年間楽国で研究を続けてきた自分。どちらが優れているかなど明白だった。
思わず手を止めたミザリーに向かって、黄金のオーラが伸びる。
「与楽」
『与楽』にとって、それだけで充分だった。
相手の感情を、強制的に『楽』で埋め尽くす一撃必殺の魔法。楽国民以外の民がこの魔法を食らえば、たちまち感情が不安定になり、戦闘意欲をなくす。感情の崩壊 は勿論、魔力を練ることすらできなくなる。
ーー十六年前の対策をしていないわけがないでしょう
悲王を連れ去ったあの日。ミザリーは怒り狂い、アミューズに戦いを仕掛けてきた。悲惨な状況に陥った彼女の強さは尋常ではなく、アミューズでは勝ち目がなかった。エクスが来なければ、自分はあそこで死んでいた。
だが、今は違う。自分より強い敵がいるとわかっているならば、下準備をすればいいのだ。
ミザリーに対しての武器の一つ目は『悲王について』だ。
彼女の精神の核はそれでしかない。今は亡きプレスレスとルプレスからも、彼女が悲王に心酔していたことは聞いている。
ーー敬愛してやまない悲王が、まさか自らの手で命を絶ったと知ったら、どんな表情をするでしょう
この病的な顔をした美女が、絶望に染まる表情を見たい。
そうだ。劇にしよう。悲劇の復讐鬼の物語だ。
彼女の絶望する表情を目に焼き付けて…
「あ?」
ニタニタと笑う『与楽』の口から、血液が溢れだす。
直後に来る、激痛。腹部が熱い。燃えるような痛みを感じる。
「う、おおお」
それは、ミザリーの足だった。鋭く細い彼女の美脚は、リベレの腹部を正確に貫通していた。
脛に目掛けて手刀を降ろすが、瞬時に足は抜かれ、ミザリーは引き下がる。深追いはしない。確実に敵を消耗させる戦い方を、ミザリーは好む。
「与楽!!」
黄金のオーラは再びミザリーに向かう。その隙に魔力を腹部に集中させ、簡易的な治療を行う。だが、彼女は避ける動作もなく、黄金のオーラーを突っ切る。
彼女をオーラが覆った後も、立ち止まることはなかった。
ーーなんで!
なんでなんでなんで。
与楽は最強の能力のはずなのに。感情に直接影響を与える防御不能の魔法なのに。
研究に研究を重ねて、やっと手に入れた力なのに。
「なんで効かないやつしか来ないんだよぉぉ!」
余裕のない表情でアミューズは叫ぶ。
治療を終える前に、ミザリーの攻撃がアミューズを襲う。突き、蹴り、空中からの球体の放出。全ての威力は微々たるものだったが、アミューズの余裕を奪っていく。
時折、出力が段違いの攻撃が飛んでくる。アミューズの膨大な魔力の壁を貫通し、肉体を直接抉る。
一撃離脱。水の球体による遠距離射撃、隙を与えない格闘術。
回復する時間すらも許さない。
ーー死
十六年間、悲国に封印されて居ただけじゃない。彼女は確実にアミューズを殺す算段をつけてここにきたのだ。
このままだと、死ぬ。
アミューズは血が滴る腹部を押さえながら、叫ぶ。
「ぐっ!!エキサァァイト!!」
「!」
突如、大きな音と主にミザリーに覆い被さる影。
背後を振り返り、咄嗟に距離をとるが、それは後ろにはいない。
上空。空を見上げ男を認識するのと同時に、質量の乗った拳がミザリーを襲う。
甲板の床を大きく削り、拳は止まる。鉄片が辺りを舞い、余波でミザリーは吹き飛ぶ。
瓦礫をまたぎながら、大きな巨体が現れる。身長は二メートルを超え、筋肉が異常なほど盛り上がった巨人の名前は『興奮』エキサイト。
白目を剥いたまま、全てを破壊する拳が繰り広げられた。




