06.恐れよ2
それは広場の中心にいた。
緑色の細長い何かが、広場の中心に生えていた。
まるで、小さな木だ。細い葉が揺れるように動いたかと思えば、枝が突然突き出てくる。
枝は途中で曲がり、木の頂点に伸びる。そのまま葉を揺らすように動く。
いや、枝ではない。手だ。
枯れ木のように細い手が頭を抱えているのだ。
小さな木は女だった。
元からそこにいたかのように彼女は立ち、頭を抱えていた。
艶のないうねるような緑色の髪は足元までたれ、髪の間からは緑色の目が光って見える。口元は震え、今にも逃げ出してしまいそうな女だった。
「だから、私は言ったんです。フィア様も来てくださいって」
根暗な女だ、というのが第一印象だった。うじうじと頭を抱え、くねくねと体を捩らせる。意味の分からない単語をぶつぶつと並べている。何か不安なのか、ちらちらとこちらを見ながら様子をうかがっている。
「敵なのよね?」
「『恐国』民に味方はいねぇよ」
氷の魔法使い、ヘイトは吐き捨てるように言う。
「ここは戦場であいつは敵だ」
ふと、『楽国』の孤児院にいた時を思い出す。
目の前の女のような子は、孤児院にもいた。
夜になると、メソメソと泣くのだ。私がいた孤児院にはいきなり親が居なくなってしまった子供が多かった。彼女もその1人で、親を思い出して不安になるのだ。いつも、頭を撫でながら「大丈夫。大丈夫だよ」と言って寝かしつけていた。
突然現れ、不安を隠しきれていない女。彼女には、不安を取り除いてくれる存在はいなかったのか。『フィア』様と言うのが、そう言った存在なのか。そんな余計なことを考える。
何も気まぐれで、思考をずらしていたわけではない。予想できることではあったが、今の私に予想外の出来事が起きたからだ。
それは、彼女が強いと言うことだ。間違いなく私よりは強い。逆方向に進んでいる『嫌国』民の中で最も強い私よりもだ。
強い敵を倒して、注目されようとは思ったが、普通に自分より強い敵が出てきても困る。と、自分勝手なことを思いつつ、ヘイトに目線を向ける。
彼も、彼女の強さには気がついているのだろう。いつでも魔法を撃てるように、片手を彼女の方に向けている。
ただ、彼女が広場に現れる瞬間を目で追えなかった私たちに、攻撃ができるのだろうか。そもそも、当たらない可能性の方が高いのではないか。
『嫌国』民に緊張感が走る。彼女が強いことはわかる。それでも、あちらに敵意はない。果たして先制攻撃を仕掛けていいものか。
私が判断に迷っていると、ヘイトが一歩前に出る。
「フィアってのは、『恐怖』の事か?お前さんは誰だ?」
彼がとった選択肢は、対話だった。対話による時間稼ぎ。おそらく警備隊が使っていたような伝達魔法で増援を呼んでいるのだろう。
ここにいる15人では勝てない。賢明な判断だ。
「お前って私のこと言ってます?」
「ああ、そうだ。これから殺し合う中だろ?お互いの名前は知っておこうぜ」
「『嫌国』民って、意外と社交的なんですねぇ。嫌味ったらしい奴ばかりだと思っていましたよ」
彼女は震える声で応答する。会話は通じる。
ヘイトは臨戦体制を解き、手をひらひらする。
彼はにやりと笑い、話を続ける。
「そういう『恐国』にも、お前みたいなうじうじした奴がいるんだな。怖そうな奴だけだと思っていたぜ」
「ふふふ、そうなんです。私みたいなダメな人間もいるんです」
「俺の名前はヘイト。お前は?」
「私はアンクシャ。隊長の1人です」
「隊長の1人か。道理で強いわけだ」
「そうなんですよ。『フィア』様に授けられた、偉大な役職。隊長である限り、貴方たちとは殺し合わなければならないんです」
「おお、怖い怖い」
「あ、私、怖いですか?今、恐れられてますか?」
開けた広場に二人の会話が木霊する。私を含む他の裏通りの連中は誰も動かない。動かないことが今の最善だと全員がわかっているのだ。
アンクシャは私たちが『恐れ』ていることに気がついたのか、嬉しそうに飛び回る。その度に地面で髪が跳ね、砂埃が舞う。
「恐れられている?私が」
「『恐国』民らしいじゃないか。良かったな。それで隊長についてなんだが、何人いるかとか知ってるか?」
「恐れられている。恐れられている」
「あー、聞こえてる?」
ぶつぶつぶつ。
ヘイトの問いかけは彼女のもとには届かない。感情が満たされ、『恐国』民は産声をあげる。
「恐れられている。そう、私は隊長の一人。『恐国』を守り、大陸を統べる人間の一人」
話し合いは終わった。ヘイトの声はアンクシャに届かず、アンクシャの声は一方通行にこちらに響き渡る。彼女の目線の先には、私たちはいない。
「あー、もう無理だ。稼げた方だろ」
やれやれとヘイトはため息をつく。口頭で5分は稼いだ。いや、もっと少ないか。次は、戦闘による時間稼ぎ。
再び突き出していた彼の右手から、青い光が放たれる。氷の魔法だ。それは、アンクシャの頭部を一寸の狂いなく狙っていた。
そして、それが開戦の狼煙となった。
「全員でかかれ!」
彼の叫び声は、氷の魔法が着弾するより前に響き渡った。逆方向に進んでいた裏通りの人間、総勢15人。全員が各々の攻撃手段でアンクシャを狙った。
私も例外ではない。周りに合わせて、時間稼ぎだ。あわよくば、アンクシャの首を刎ねられたら、そういう期待も込めて。大剣を両手で持ち、走る。
最初に着弾したのは、ヘイトの氷魔法だった。いや、氷魔法のはずだった。
その後に続く他の攻撃も、私の振り下ろす斬撃すら、彼女に届くことはなかった。
鈍い音と共に、私の大剣は止まった。人体を斬った感覚では無い。大地に剣を振り下ろしたように、勢いが失われていく。
「なんだ…?」
大剣や魔法が当たったのは、アンクシャではなかった。
『木』だ。木が生えている。先程まで広場だったが、アンクシャを中心に木が生えている。
私の大剣やヘイト達の魔法は、木によって防がれた。
「おい!火の魔法を使えるやついないか?」
「使えたら最初から使ってるよ!」
「うおおおお」
アンクシャの地に着くほど長い髪の毛は、木の根のように、地面に突き刺さっていた。その場から動けなくなるほど、根を張っていた。彼女の体は所々茶色に染まり、全身が木になっているのがわかる。
と、訳のわからないことを自分で言っているのはわかっている。全身が木になる?意味がわからない。
でも、実際にそうとしかいえない。人間が木になり、木々を自在に操る。別世界に来てしまったかのようだ。
それは『嫌国』民から見ても、意味のわからない現象らしい。魔法国家である『嫌国』が知らない魔法なのだから、『恐国』特有のものなのだろう。
そして、知らないというのはまずい。
未知とは恐怖の根源である。魔法国家として大陸で名を轟かせている専門家達に、未知の魔法を使う。得意分野で先手を取られたのだ。
これほど、恐怖を煽る行為はない。
ヘイトを含む『嫌国』民の動きは、明らかに鈍くなっていた。恐れ、警戒し、攻撃よりも守りを重視するようになる。増援を呼んでいることもあり、それは有効な手段のように見えた。
ただ一つだけ、まずかったことがある。
それは、ここが『恐国』ということだ。恐怖という感情は、緑の目をした『恐国』民の力となる。アンクシャの力となる。
彼女が生やした木からは枝が四方八方に伸び、地面に突き刺さる。まるで、針山のように空気を切り裂いて成長する。『嫌国』民が恐怖すればするほど、成長の速度は上がっていった。
これが感情大陸『エモ』に住まう人間の特性。
自身が司る感情が高ぶった時、または他人から向けられたとき。力は解放される。
『恐国』ならば恐怖。
格上の敵が未知の魔法を使用した。彼女にとってはそれだけで充分だった。
元々あった実力差は、ここに来てどんどん差が開いてきた。アンクシャは広場中に木々を張り巡らせ、枝で人体を串刺しにする。恐怖で動きが鈍くなった人々は、避ける暇もなく足を貫かれる。
「ぐぅ」
足や手を貫き、逃げる手段、攻撃する手段を明確に奪う。
「嘘でしょ」
『嫌国』民は一瞬にして戦闘不能になった。十五人、一人残らず。ヘイトは体中から血を流しながら倒れていた。
それでも、呼吸はできているようだ。不思議と全員死んでいない。一歩も動けず、魔法を使う力すら残っていないにも関わらず、生命は強く残っていた。
「なぜ、と思いましたか?」
「…」
「恐怖という感情は死の間際が一番強くなるんですよ」
『嫌国』民の体からはゆっくりと血が流れ、死へのカウントダウンが始まる。死への恐怖。生き物にとって、最も恐れることは、死だ。
わざと生かして、自らの力に変えようとしている。
さらにアンクシャは強くなった。
実力差はかけ離れ、一歩でも動けば死ぬ恐怖感が私を包んだ。
ここまでの出来事が全て思い通りならば、彼女は策士だ。最初にうじうじとしていたのも、油断を誘う一手だったのだ。
ということは、一点残った不自然な事象も彼女の計画通りなのだろう。
「私にだけ攻撃を当てなかったのも、わざと?」
「孤独、という恐怖もあるんです。どうですか?不安に包まれるでしょう?」
「そうかな?私は一人になった方が楽しいから好きなんだけど」
「ふうん。確かに、貴方だけ他の人間とは違うようですね」
「私は『楽国』民だからね」
アンクシャは不思議そうに顔を傾けたあと、納得したように笑う。
パリンという音と共に、何かが落ちる。カーティからもらった目の色を紫に変える魔法の眼鏡だった。
アンクシャから生えている枝が私の目の前まで伸びていた。眼鏡を吹き飛ばしたのだろう。全く反応できなかった。速すぎる。
彼女の視界には、紫色ではなく金色に輝く左目が現れただろう。視界が開けたような気がした。眼帯と相性が悪かったというのもあるが。
そう、私は『嫌国』民ではない。『楽国』民だ。
「ああ、そうですかそうですか。そうですよね。そう思いませんか?あなたも」
「なにがよ」
「私は前から思っていたんですよ。『嫌国』と『悲国』は敵じゃないって。嫌、悲って戦いを行う時に、生まれる感情ではないんですよ」
「まあ、確かにそうね」
「怒、楽、恐。この3つが、戦いをするときに生まれる感情です。もちろん、大陸を支配するのは『恐国』ですけどね。『怒国』と『楽国』とは良い戦いができると思います」
「ふうん」
「『嫌国』民なんて戦ってもうじうじしててつまんないですよ。速く滅ぼして、『怒国』に攻めなきゃいけないのになぁ」
「はぁ」
うじうじしているなんて、お前だけには言われたくない。
「おまえは、『嫌国』の仲間なんですよね。『楽国』民なのに。今から、裏切りませんか?裏切りって、きっと楽しいですよ」
アンクシャは楽しそうにいう。
ああ、またこれだ。
『嫌国』に来てから、強く感じたものがある。『楽国』にいた時は感じたことがなかったこの感情。『恐国』民も同じだ。
胸の中で燃える、強いイラつき。
ああ、どいつもこいつも。
『嫌国』、『恐国』、『楽国』だか。
目の色が違うだか、魔法が使えるだか、感情の得意不得意だか。
感情大陸『エモ』では五つの目色が違う人種で戦争をしている。自分達以外を差別し、大陸を支配するために、戦争を行っている。
そんなもの、くだらない。
私は『楽国』民であることに誇りを持っている。だが、それだけだ。他の人種とか、目の色だとか、心底興味がない。差別をするほど、他人に興味がない。
私は大剣を地面に突き刺し、懐から短刀を取り出す。薄く青い無地の鞘を取る。短刀は日光によってキラリと輝く。
短刀『リーフ』。私が最初に殺した人から授かった、大切なものだ。
アンクシャに勝つことはできない。十五人の『嫌国』民が死への恐怖を抱き、『恐国』民の力は更に増す。私の力では木々を大剣で貫くことはできないし、魔法も通らない。
アンクシャに勝つことはできない。今、は。
「裏切る、ね」
「そうです!今から私を引き連れて、『嫌国』民の本軍に行きましょう。挟み撃ちです」
「私はカーティの自由さをちょっと気に入って、こんなところまで来たんだけどさ」
「はい?」
「だから、この行為はカーティを裏切るつもりじゃない」
私は四肢を木に貫かれ、動けなくなっているヘイト達に近づく。彼らは気を失わないように、定期的に体内をかき混ぜられている。地面に横たわり、目だけがうっすらと開いている。
その目は助けを求めているのか、私に逃げろと言っているのか。瞬きを何度もし、生命がまだ続いていることを示している。
私はこんなところで死ぬわけにはいかない。
アンクシャを殺し、名声を得る必要がある。
そのためには、禁忌の能力だってなんだって使う。
「お」
私は短剣『リーフ』を両手で持ち、ヘイトの胸部に目掛けて振り下ろした。