55.『絶望』デスペア
周囲には九つの首と、瀕死の一人が地に落ちていた。
顔を失った胴体達からは夥しい量の血液が流れ出し、辺りを血の海へと変える。リーダー格は痛みすら感じないのか、地に伏せたまま手を振るわせていた。
「やったのか?」
突然、リーダー格の上半身と下半身が分かれ、小さな仮面たちの首が地面に落ちたのだ。
太刀筋は全く見えなかったが、どうやら、スペアが斬ったらしい。
動きを全く目で追えていなかったフューリは、事態を飲み込むのに時間がかかった。
十人の白い仮面を倒せるならそれに越したことはない。
目的がわからない今、殺しておくのが一番安心できる。
だが、それが不安だった。
奴らがスペアに勝てる見込みがあったとは思えない。人質だけで、彼女を操作できる確証もないはず。
悲国民はなぜ、このようなことをした。計画的犯行の割には、勝率がかなり薄いものだ。
周囲を見渡したが、増援がいる様子もない。
コロコロと足元に転がる生首を持ち上げる。
悲国の残党なのか、はたまた楽国の手先なのか。フューリは死者の黒い目になる前に、目の色を確認しておきたかった。
仮面を剥ぐと、そこには緑色の瞳…。
「馬鹿な…」
ここに来て、恐国だと。いや、恐国民というだけだ。楽国は感情大陸全域を対象に実験を行っているのだ。恐国民が拉致されていたとしても何ら不思議ではない。
仮面を放り投げ、顔をじっと見る。
白い仮面の一人は、幼女だった。リーダー格以外の仮面は小さく、まるで子供のようだったことも考えると納得だ。童顔な少女の口からはだらしなく舌が垂れ出て、瞳の色は次第に黒に染まっていく。
子供の割には、油断ならなかった、とフューリは思った。もし敵が弱かったのなら、スペアが剣を取るまでもなくリベレが殺していた。
単体の強さはそれ程でも無かったが、人質と囲まれている状況が、フューリを制限していたわけで。
スペアのように強い少女もいたわけだし、恐国の強い子供を拉致して洗脳していたのか…
少女の生首には、明らかに可笑しい点があった。通常じゃあり得ない、フューリにとっては人質の少年でしか見たことがない異変。
そして彼の後ろで少年を抱いている少女にとっては、酷く馴染みのある異変。
「左右で瞳の色が違う…?」
生首は右目が緑色だった。
左目は、黄金の輝きをしていた。
ーー眼帯女も、眼帯を外したら色が違うのか?
フューリは背筋に嫌な汗が流れているのを感じた。
落ちている他の生首から仮面を剥ぎ取っても、瞳の色はバラバラだった。
紫、青、赤、緑。全て右目の色で、左目は黄金。性別は違ったが、全員幼い子供だった。
仲間を殺すほど強くなる眼帯女、その家族と思わしき人質の少年。幼いながらも実力を感じさせる仮面の子供達。
瞳の色が違うという共通点、やけに強いという共通点。
ーー全員が崩壊人間ということか?
ーー目的は何だ?
フューリは思考を加速させる。
「なあ、眼帯女…」
後ろで少年を抱いていた少女に質問をするため、振り返り、絶句する。
彼女は、生首達を抱いて泣いていた。
生まれたての幼児を抱く母親のように。
「あ、あああ。あああああああ」
スペアは知っていた。
その生首達の名前も、顔も、性格も。
国営孤児院の子供達。
それが白い仮面の正体だった。
雨が、降り始めた。
***
「ああ、スペア。私たちの可愛い娘。君は本当に期待通りの働きをしてくれた」
男は上半身だけになりながらも腕だけで前へ進む。その光景は宛ら虫のようだった。
白い仮面を自ら剥ぎ取り、リーダー格の男は青い目でスペアを見つめる。膝から崩れ落ち、全てを理解した彼女を愛おしそうに見つめる。
無機質な声は仮面を通して生まれていたようだ。仮面を外した今、通常の肉声がスペアの耳に運ばれる。
「スペア、最後にこちらに来て。顔を見せてくれ」
スペアは親代わりの男の元へ、ふらりふらりと歩く。
周囲には、生首が九つ。国営孤児院のスタンを除く全ての子供達の死体が、新たな王の誕生を祝うかのように血液を吹き出す。
リーダー格の男ーープレスレスは口から血を溢れ出し、胴体からも夥しい量の血液を垂れ流した。それでも気にせず、右手でスペアの眼帯を剥ぎ取る。
「わたっ、わたしは、覚悟を持って…」
少女は藍色の右目と黄金の左目で瀕死のプレスレスの顔を触る。まるで、赤子を触る母親のような手つきで。唯一の希望を探るように。
ーーだって、おかしいもの
ーープレスレスさんが、孤児院のみんなが、ここにいるなんて
ーースタンを人質に、フューリを殺せなんてプレスレスさんがいうわけがない
ーーみんな、夢でしたって言ってよ
ーードッキリ成功って、笑ってよ。
だが、希望は絶望へと塗り替えられる。
「これは、夢なんかじゃない。現実だよ」
彼女が救いを求めた唯一の希望は、頬を釣り上げながら事実を言う。
プレスレスは、血だらけの手でスペアの頬を触り、現実から目を逸らす娘に優しく声をかける。
「君が、全員殺したんだ。
リジョイも、
アノイも、
シャーデも、
イドも、
ナッチも、
トリピも、
スライクも、
ナーベラスも、
アンスも。
孤児院の子供達をぜーーんぶ君が殺した。
全て、現実で起きたことだ。
君が引き起こしたことだ。
君が、自分の手で、殺したんだ」
「わたしは…だって、いや、いやだぁ」
藍色の左目が痛い。短刀『リーフ』で仲間を殺したわけじゃないのに、なぜか呪い持ちが起動している。今までにない程の力がスペアの元に流れ、突風が巻き起こる。
風は黒い壁のような雲を呼び、雨となって祝福を降らす。
ぽつぽつと降り出した雨は、スペアの顔を濡らす。黒い髪から色素が抜け、本来の黄金の輝きを取り戻す。
「夢だ。だって、リーフで殺してないのに、力が溢れてくる…」
「ははは、違う、違うんだよ。短刀『リーフ』なんて、条件付けでしかない。呪い持ちを起動するのに、人を殺す必要もないんだ」
「ただ、絶望するだけ。それだけで、君の藍色の左目が反応するんだ。そして、全てを失った君は絶望することしかできない」
「私の死を持って、君は完成する。おはよう、デスペア。ようやく目覚めの時が来た」
デスペア。君に『絶望』の意味を冠する名前を授ける。
プレスレスの青色の目が、黒ずんでいく。感情大陸では、命の終わりを示す現象。
その様子を、ただ見ている少女。
十人の死体と、一人の少女だけが残った。
雨は次第に強まっていった。




