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46.王族来訪

 地面が大きく揺れる。振動音は劇場内でよく響き、地に伏せているアミューズの胸部を伝わってくる。

 どこかで爆発が起きたのか、はたまた地震か。音に拘っているからか、与楽劇場の外の音は全く聞こえない。



 アミューズは胸を押さえつけられたからか、苦しそうに呻いている。黄金の輝きを持った左目は跡形もなく、短刀『リーフ』が根元まで刺さっていた。朱色の右目は強くリベレを睨んでいる。



 刹那の間、リベレはこの男を始末するか悩んでいた。楽国民以外の感情の崩壊(エモ・コラプス) を封印する魔法に加え、怒国民を彷彿する魔力の多さ。個人の危険度は『震駭』テラーを超え、怪しさも文句なしだ。楽国の闇に確実に関わっているだろう。


 当初の目的であるこいつをスペアの代わりに戦場に行かせると言う考えも却下だ。楽国は呪い持ちとしてスペアを戦場に立たせているわけではなく、スペアだからやっているのだ。恐らく崩壊人間としての実験。スペアの代わりはいない。



 スペアを決まったレールから外す方法は、楽国から逃げるしかない。楽国にいる限り、束縛からは逃れられない。それをスペアは黙って受け入れるだろうが、リベレは許さない。叛逆者として、それだけは頂けないのだ。


 アミューズとの戦闘を通して、リベレの目的が決定した。嫌国への逃亡。嫌国の中だと、スペアを守れる自信があった。


 不思議と湧いてくる力で、何とか形成逆転することができたが、次も同じように行くとは限らない。アミューズはここで始末していないと、後々スペアを連れて逃げるのに邪魔になる。




 プレスレスすら信用できない今、国営孤児院も安全な場所とは限らない。今すぐ、彼女の元に行かなければならない。


「よし、殺そう」




 リベレが足をアミューズの胸部に乗せてから、決断するまでの間、一秒。本人は気がついていないが、黒い瞳になっている影響で脳の回転速度が上がっていた。

 


 しかし、その一秒が命運を分けた。



 劇場の客席、その最上階。両扉がゆっくりと開かれる。扉が開かれる前にリベレはアミューズを殺しておくべきだった。一秒だけ、殺せる時間があった。


 その一秒を過ぎた結果、アミューズを殺せるタイミングは完全に失われた。


 『死ぬ』


 体全身が、警鐘を鳴らす。


 今動いたら死ぬ、と直感的にわかった。頭と体が軽いベストコンディションの今でさえ、逃げの一択以外で生き残る可能性が無い。



 一度、同じ経験をしたことがある。その時は眼帯の少女と二人で戦っていた。彼女の掛け声に合わせて、一歩踏み出した瞬間に自身の意識が消えたことを覚えている。叛逆の一滴がなければ死んでいた。



 『震駭』テラーに並ぶ強者が扉の先にいる。



 両扉から光がゆっくりと溢れ出てくる。リベレは大人しく、その人物達を待つことにした。幸い、テラーのようにいきなり攻撃を加えてくるようには見えない。コツコツと足音を劇場に響かせながら、二人の人物は現れた。



 一人は、高貴さを隠すこともなく、傲慢さを溢れ出さんばかりの若い女性だった。黄金の髪をウェーブ状に伸ばし、薄い色のついた丸眼鏡の奥から黄金の両目が大きく開かれている。動作性を重要視した白のワンピースと煌びやかなアクセサリーは嫌王の休日の姿を連想させる。ニコニコと笑いながらリベレをじっとりと見ていた。


 もう一人は、ロングソードを腰に添えた長身の男。銀色の短い前髪に、鋭い黄金の目つき。決して若くは無いが、中年のがっしりとした体格。白に統一された服はまさに王女を守る騎士だ。



 この男こそ、三剣士、大陸最強の剣士、『狂喜』エクスで間違いない。


「これって何何?面白いことになってるわね!アミューズ、説明しなさい!」

 

 女は高らかに声を上げる。劇場に響き渡るその声量は、まるで劇中の人物のようだった。


「ぐっ、この男に不覚を取りました」

「あは。それは見たらわかるって」


 エクスを従え、アミューズに命令する立場の女性。王を匂わせる高貴な姿から察するに、あの女こそ楽王ということなのだろう。


「あの可愛い少年は誰なのぉ?」

「楽王様。あれは嫌王の息子、リベレです。『希望』スペア嬢と共に、楽国を救うために来た客人ですね」

「あっ、嫌王の息子か。そんな大物が…。嬉しいねぇ。今すぐ歓迎パーティーを開きたいところだけど、時期が悪かったねぇ」


 楽王は肩をすくめながら、ため息をつく。


「リベレ君。今なら見逃す」


 エクスはリベレの黒い瞳をじっと見て薄く笑いながら言う。この男が初めて見せた笑顔だった。


 楽王達はアミューズを助けに来たのだろうか。その割には、出血が止まらない彼の様子を見て笑顔を見せるだけだった。このまま放置していたら出血死するだろう。魔力で傷を覆う時間があったら、生き残れるだろうが。


 叛逆者としてエクスの言い分に逆らいたいという感情は湧かなかった。とても心が落ち着いていて、感情に左右されることもない。今エクスに挑んでも万が一にも勝機はないし、逃げるのが得策だ。



 アミューズの胸部から足を退け、劇場の横に位置する扉に向かって走る。背中を見せても、今のエクスは何もしないと確信できた。あの男は、見逃すと言ったら見逃すだろう。



ーー生きて帰れるだけマシか



 アミューズを殺す事はできなかったが、エクスと戦うよりはマシだ。今はスペアの元へ向かうのが最優先だ。




 様々な通路を抜け、外に向かって走る。人一人いない劇場はやけに不気味だった。行きで気絶させた警備員の姿もない。リベレは誰にも会うことなく、劇場の出口までついた。


 扉を開けると、熱風が溢れ出てくる。


「なんだ…これ」



 外の景色は、昼間と一変していた。夜だというのに外は明るく、熱い。住宅地が燃えに燃え、人の気配は全くない。


 都市戦は地獄と化していた。

 

 


***

 時間は少し遡る。



 都市ピスの上空。嫌王、リパグー、ワンダーの密談は続いていた。


「楽国を裏で支配し、感情大陸を崩壊させようとしていた。名前は『与楽』アミューズ。膨大な魔力と他人の感情を操作する魔法を使うにゃ」


 猫耳をつけた少女は、身体をさすり恐怖を拭う。名前を告げたということは、自らが住まう国を裏切るということだ。

 

 ワンダーが問題視しているのは、アミューズが楽王に認められた男ということだ。彼の行為を容認している。楽国の上層部が敵だという事だ。




『な…ほど。怒王の怒りはその男に向…られているというわけか』

「与楽劇場って、楽国の有名な舞台よね?これまた大物が壮大なことを企んでいるものね」

「わーも驚いたにゃ。誰一人、彼のことを疑わなかったんだから」


そもそも楽国では、誰かを疑うという概念すら欠如しているが、そこにワンダーは触れない。


『その男を…殺し、…国と同盟を組む。僕達も………い…』


 風。最初はかすかな空気の流れだったものが、次第に確かな風となって二人の髪を靡かせる。寒気のする夜空がさらに暗く見えた。ワンダーも思わずリパグーに抱きつくほどだった。


 嫌王の声は風に合わせて途切れ途切れになり、最終的に静寂が訪れた。伝達魔法は障害物がない限り距離を無視して会話することができる。逆説的に、会話が途切れたということは障害物が現れたことを示す。


「りっちゃん!」


リパグーが事態を認識する数秒前に、ワンダーが動き出す。誰かが近づいている。


 ワンダーは胸ポケットから四方形の塊をいくつか握り、空中に投げる。宙に浮いた金色の塊は一瞬で薄く広がり、球体となってリパグーたちを囲む。金色の玉は空中で静止した。


 その後、強い衝撃が二人を襲う。金色の球体は高度500mからバットに当たったボールのように、地面に向かって落ちる。あまりの衝撃に、金の障壁はボロボロに崩れ落ちる。

 明確な殺意。一瞬の間で接近、攻撃された。ワンダーが金の障壁を展開してなかったら、死んでいただろう。


ーーありえない。夜空に紛れてたのよ!


 だが、問題はそこではない。バレたことがおかしいのではなく、リパグーたちに攻撃する人間がいないということだ。都市ピスは復興に忙しい。もしリパグーたちを見つけたとしても、楽国民であるワンダーを攻撃する理由がない。

 落下の最中、やけに頭が冴えていた。理由は一旦どうでもいい。今は助かることだけを考えるのだ。


 地面につく寸前で、リパグーは魔力を放出する。エネルギーを相殺し、ギリギリで再浮遊を開始する。ぐちゃぐちゃに体が砕けるところだった。それで生き残れるのは、リベレくらいである。


「りっちゃん、ありがとう」

「いや、え」


 自ら箒から飛び降り、地に着地する。ワンダーは腰に添えた剣を右手で抜き、左手に黄金の塊をいくつも握る。そこにいたのは、リパグーの親友わーちゃんではなく、三剣士『感嘆』ワンダーだった。黄金を操る、楽国で唯一の魔法剣士。


 彼女の目線の先には、上空で浮遊する一人の男がいた。全身に赤い炎を纏い、金髪の隙間から怒りを内包する真っ赤な両目をちらつかせる。やや細身の男は恐ろしいほどの冷徹な真顔で、ワンダーを睨んでいた。



 一年前、単身都市ピスに攻め込み、一夜にして崩壊させたと言われている男。四怒将を束ね、感情を弄ぶ楽国に怒りを覚えた正義の心を持つその男の名は、怒王。


 都市ピスを越え、単身都市センまで乗り込んできた。


 怒王来訪。


 感情大陸北部戦争は終盤に差し掛かっていた。

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