45.『与楽』人間
「はっはー。この力の前に立ち向かえるものはいません。エクス級の化け物には勝つことはできませんが、対他国に関しては僕が楽国最強です」
腰を曲げ、横たわっているリべレを見つめる。
「殺すつもりはありません。僕も君に興味津々ですから」
アミューズは驚いていた。感情大陸を崩壊させるべく、中部戦争と北部戦争を同時に起こした。悲国を滅ぼし、楽国民を支配した。
実質、感情大陸を操作していたのはアミューズで間違いない。そして、証拠は何一つ残っていない。異変に気が付いた人がいても、アミューズまでたどり着くことは難しい。
『論争』アーギュのように、アミューズに疑念を抱いている人間が何人かいることは知っていたが、どれも対処するに値しない。他国にいる強敵も、このままいけば全員殺せる。エクスのいる都市センにいれば、アミューズのもとに危険分子が近づくこともない。彼の作戦の下準備はほぼ終わっていて、後は花が咲くのを待つだけだ。
それなのに、突如あらわれた金髪の王子。彼の存在はイレギュラーだった。行動力の速さは警戒網すら通り抜けた。劇場を見に来てアミューズを認知してから、目の前に現れるまで数時間しかない。会話を始めてから戦闘をするにも。
何もかも早い。まるで攻略サイトを閲覧してゲームに挑んでいるかのようだ。
「いきなりラスボスにたどり着くなんて、大した嗅覚ですねぇ」
劇場にきて、魔法を振りまいているアーギュに疑惑を抱いているだけではない。明確な殺意がリべレにはある。
どこで気が付いた?
確信めいたこの目は何だ?
こいつのバックには誰が付いている?
見極めなければならない。この男を。
ーー「スペアはお前の代わりに戦場に行った」とはどういう意味ですか?
アミューズの脳内で思考が加速する。スペアというと、楽王お気に入りの国営孤児院の最年長の少女だ。リべレと一緒に劇場に来ていたことから、二人は知り合いで仲も良いということが分かる。だが、彼女は精神の幼い少女に過ぎない。プレスレスが裏切るはずがないから、楽国内にリべレの支持者がいるわけではない。
しかし、嫌国の手先とは考えにくい。嫌国は恐国に破れ大幅に弱体化していることに加え、嫌王がここまでわかりきった刺客を送るとは思えない。嫌国の王子に対して警戒しないはずがない。暗殺するにしては目立ちすぎる。
ーー楽王様がスペアを使って僕をからかっている?
ありえる。快楽主義の子どものような楽王なら、楽しいと思うことはなんでもするだろう。リべレに何か吹き込んで、殺し合いをさせるつもりなのか。
ーーやはり、情報が少ないですね
「ふむ、わかりません。あなたがどこからきて、どうやって僕の正体に気が付いたのか」
アミューズはリベレを未知の危険分子と判断し、情報を引き抜くことに決めた。
コミュニケーションによる懐柔には自信がある。幸い、与楽は的中し、効果も充分だ。感情をかき乱すことに加え、楽国の中で最も楽しい男の意見には流されやすくなる。
とはいえ、リべレがアミューズの正体に気が付いたわけではない。嫌王はリべレに何も伝えておらず、囮程度にしか考えていないからだ。リパグ―にすら暗殺直前まで内通者の共有を行わなかったのだ。
リべレはスペアの破滅の道を防ぐべく、原因を探そうと思っていただけだ。
その過程で『呪い持ち』の成人に遭遇した。たまたま調べた男が、感情大陸の崩壊を目論む敵だったというだけだ。そのことに、リべレは気が付いていない。
アミューズはそのことを知らないため、驚愕してるのだ。彼もまた、自分を殺しに来るものは全て真実を掴んだものと疑心暗鬼になっていた。
偶然に偶然が重なり、両者は巡り合った。
「与楽」
自分が慎重な男という自覚はある。既にリベレの感情は楽で上書きされていることはわかっているが、保険をかけたい。念の為に精神魔法を重ね掛けし、万が一の可能性を無くす。
黄金のオーラがリベレを覆い、彼の紫色の瞳が一瞬黄金色に変わる。よし、これで安全だ。
「さて、まず君はどうやって僕の元に辿り着いたんですか?」
リベレはゆっくりと立ち上がり、近くの客席に座る。彼の脳内は、感動と驚嘆で染まっている。アミューズの魔法の優れた力に惚れ込んでいるリベレは問いにも快く答える。
「スペアの前任者を探していたんだ」
「前任者?何のですか?」
「呪い持ちだ」
「呪い持ちって何ですか?」
ぴく、とリベレの耳が動く。些細な変化を見逃すことはない。心境の変化の証だ。アミューズはリベレの核心に近づいていると確信した。
「『呪い持ち』は左右の目が違う人間のことで、アミューズもそうだろう?だから会いに来た」
ーー国営孤児院では、そう呼んでいるのか?
『呪い持ち』という単語自体、アミューズにとっては初耳だった。左右の目が違う色ということを呪われていると考えている旧世代の老人を見たことはある。そのことを示しているのか?
プレスレスがなぜ嘘を教えているのかかわからないが、ここは話を合わせておいた方がいい。彼も楽王の命令で動いている者だし、邪魔をするつもりは全くない。
「ああ、そうでした。そういうことでしたら、僕がスペアちゃんの前任者ということで間違いないです。『呪い持ち』は僕と国営孤児院の子供達しかいませんからね。前任者がだれかなんて、プレスレスさんから教えてもらわなかったんですか?」
「ああ。どうして、アミューズは戦場に行かなくなったんだ?」
金髪の美青年は疑問をアミューズに問いかける。彼の紫色の目はじっと正面の男を見つめ、そこに悪意は感じ取れない。純粋な疑問をぶつけただけだろう。
だからこそ、理解不能だ。正体不明さに拍車がかかる。
これは先ほど答えた質問だ。アミューズは「戦いが好きじゃないから行かない」と答えたばかりだ。二度も同じ質問をする程重要ということか?。
この疑問こそがリべレの核心なのだろう。この質問をするために、リベレは劇場まで来たということだ。そこから導き出される答えは一つだ。
ーーこいつは僕の正体に気がついていない
「ふ、ふふふ」
急に攻撃を仕掛けてきたから何かと思えば、全ては偶然。この男が計画に気づいた暗殺者かもしれないというのは、アミューズの早とちりだ。
考えすぎていた。
ーー僕も疲れているかもしれませんね
「ふふふふ、はははははは。なぁんだ。お互い誤解をしていたんですねぇ」
「誤解?」
「ええ。君は、『僕が戦場から逃げた代わりに少女が戦うことになった』から怒っているんでしょう?それは誤解ですよ」
誤解をしているならば解けばいい。対話による解決ができるのならば、それが一番だ。何より、戦闘は好まない。
リベレに悪い印象を与えてしまうと嫌王に悟られる可能性がある。敵を増やす必要はない。先程までの無礼な行動は、寛大な心で許してあげよう。
彼をここまでの地位にまでにしたのは、慎重かつ温厚なこの性格のおかげだった。
洗脳による強制はせず、楽を植え付けるだけ。飽くまで、自分の考えに近い結論に促すだけ。
敵を作らず、仲間を増やし続ける。戦闘をする人間は二流だ。一流は、対話で終わらせる。
だが。
それゆえに。
その性格が故に誤った道に行くことになるのは、本人の責任ではないだろう。
『与楽』アミューズの綿密な計画に小さな綻びが生じ始める。
相手が叛逆者でない限り、この結末にはならなかった。
これもまた偶然で、アミューズは近いうちに自身の不運を恨むことになる。
彼は橙色の長い髪を少し揺らしながら、リベレに告げる。
「だって、僕は北部戦争に参加したことはないんですから。逃げ出したわけじゃないんです。第一、スペア嬢の前任者なんていないんですよ?」
***
「は?」
言葉がリベレの脳内に染み込んでいく。楽に包まれた脳味噌は上手く機能していないが、それでもゆっくりと咀嚼していく。
『スペアに前任者がいない』
どういうことだ。
それはおかしいだろう。
心臓の鼓動が高鳴っていく。
呪い持ちはアミューズと国営孤児院の子供達しかいないと言っていた。その言葉が真実ならば楽国にいる『呪い持ち』の人数は、孤児10人とスペア、アミューズの計12人。
いや、そんなわけがない。
スペアは『北部戦争では呪い持ちが重要な役割を持つ』と言っていた。各隊に配置されていて、パーション隊の前任者が怪我をしたから…。
その前任者がアミューズじゃない?
まて、どこまでが真実だ?
『き、聞いたことがない言葉じゃ』
脳内で一人の少女の顔が浮かび上がってくる。怯えた目で、スペアに命乞いをしていた少女。『論争』アーギュの言葉を思い出す。
ーーあいつは、呪い持ちを知らないと言っていた。
感情大陸の情報を知り尽くしている怒国の少女が知らない言葉。呪い持ちとは何なんだ?アミューズですら、聞き馴染みがない顔をしていた。
この言葉を使っているのは、プレスレスとスペアだけということになる。
「まさか、全部嘘か?」
呪い持ちなんて存在しない。軍の斥候として配置されているというのも嘘だとしたら?
スペアが戦場で使われる最初の一人だったとしたら?
全て、スペアを戦場に出すための嘘だったら?
殺した仲間を還元する力を持つスペアは、パーション隊を殺し、嫌国の裏通りを殺した。それだけで、四怒将を瞬殺するほどの力を得た。二魔嫌士にすら、届くかもしれない戦闘力。
楽国が人体実験の末に作り上げた、感情の崩壊 を常に発動させる崩壊戦士。これもアーギュに教えてもらった情報だ。
スペアが崩壊戦士だったら?
全て辻褄が合う。
「行かなくては」
こんなところにいる場合じゃない。今すぐにスペアに会いに行かなくてはならない。
この話が真実ならば、プレスレスも嘘をついている事になる。パーション隊も、ルプレスもそして楽王も。国家絡みの嘘でスペアを騙し続けていることになる。
国営孤児院自体が実験施設ということか?
彼女の元に行き真実を伝えなければ。
この国は狂っている。
懐に仕舞っていた短刀『リーフ』を握りしめる。なぜか、その青白い短刀は悲しみを感じさせた。この刀も操り人形のような彼女を憐んでいるのかもしれない。
「誤解は解けましたか?リベレくん。先程までの無礼は見逃してあげましょう。代わりに、嫌王様に伝えて欲しいことがありまして。ぜひ、与楽劇場」
「黙れ」
「ぎっ」
ごちゃごちゃと煩い男を黙らせる。短刀はアミューズの左目の奥まで刺さり、血が溢れ出る。前動作のないリベレの攻撃をアミューズは避けることができなかった。というより、自身に刺さるまで攻撃に気が付かなかった。
「ぎゃあああ」
左目を押さえながら、蹴りを入れる。しかし、リベレは軽く交わし、逆にアミューズの顎を蹴り上げる。そのまま、宙に浮いた男の鳩尾を蹴り飛ばす。
「ぐっ。与」
「邪魔」
嗚咽が響き渡る。アミューズの体から溢れ出る黄金のオーラを気にすることもなく、再度蹴りを入れる。橙色の長い髪は無様に広がり、大の字で倒れる。リベレは胸部に足を置き、いつでも心臓を踏みにける状態にした。
絶体絶命な状況にも関わらず、アミューズは不適に笑った。
「痛い…ですが、追い込まれているのは、君ですよ。今の魔法は、確実にあなたの感情を蝕みました」
「そうだな。叛逆の一滴は全く持って使い物にならない。だが」
アミューズの朱色の右目には、能力が使えなくて困っている男の姿は映っていなかった。静かに怒り、悲しみ、楽を与えられて感情がぐちゃぐちゃになっている男だ。しかし、そこには楽国への恐れや、嫌悪感も含まれている。
金髪の青年の瞳は、死者のように黒く変色していた。紫色の輝きは失われ、暗い底なしの闇。感情に支配される大陸に住まう民には持たない、人間の目をしていた。
『感情が人を形成しているのか、人が感情を形成しているのか』
確かに、『震駭』テラーの言う通りだ。強さに感情は関係ない。感情に左右されている内は二流だ。震駭と二魔嫌士の差はここにあった。
「お前を殺すのに、感情はいらない」




