44.『与楽』ギブユー
与楽劇場は最高のエンターテイメントと楽王が認めた娯楽だ。
『与楽』アミューズによる演劇を楽国民は求める。目で見て、耳で聞いて、肌で感じるのだ。楽国民は劇を観るために働き、劇を観ることを夢に見て生きる。劇場に来たものは、家に帰るまで余韻に浸り、翌日には次いつ行くか計画を立てる。
アミューズの狂信者は布教を辞めず、中毒者たちはお金を借りて劇に行く。その行為全て楽王に認められ、誰しもが同意する。
というのが、建前である。
実際に与楽劇場で行われているのは劇ではない。リベレやリパグー、そして三剣士ワンダーのような魔法を嗜んでいる人間には全く別の景色が見えるだろう。
そこでは巨大施設を利用した集団洗脳が行われていた。アミューズを見たもの、声を聞いたものは全て『楽』という感情を受け取り、楽しみ始める。五感全てに魔法をかける、最高に最狂な娯楽だ。
魔法をかけているのは勿論、『与楽』アミューズ。左目に黄金を宿し、同時に怒りを採用した朱色の右目を持つ。一度に何百人に『楽』の感情を植え付けるという、一流の魔法使いだ。『恐怖』フィアに近い能力だろう。
フィアとの違いは継続力だ。フィアは恐怖体験を思い出させ恐怖させるまでだ。アミューズが与えた『楽』の感情は劇が終わっても消えない。与楽劇場のことを考えるたびに、再び魔法にかかる。他人の人生に深く影響を及ぼす魔法をかけることは、魔法国家嫌国でも見たことがない。
この常軌を逸した能力は呪い持ちの力に違いない、とリベレは結論付けた。
呪い持ちは「殺した仲間の力を還元するという能」とスペアからは聞いている。実際に彼女がカーティを殺した瞬間、筋力や瞬発力、跳躍力が加算されていった。それがスペアの能力なのだろう。それが故に、彼女は規格外の戦闘力を持っている。
対して、アミューズにその強さがあるようには見えない。戦闘力というよりも魔力に力が振られている。呪い持ちも所有者によって得られる力が違うということだ。
アミューズの体からは隠しきれないほどの魔力が漏れ、波の攻撃では体にあたる前に消えると直感でわかる。
「なぜ、お前ほどの強者が北部戦争に行かない?四怒将の1人くらい造作もないだろう」
純粋な疑問だった。楽国は戦力を極力温存したいという意思が見て取れる。三剣士のエキサイトとワンダーは都市ピス奪還に参加していた。
しかし、最強の剣士エクスが戦場に現れたのは怒王が攻めてきた初日だけで、アミューズが戦闘に参加したことがあるという話は聞いたことがない。そもそも、アミューズに戦闘力があると気が付いているのは魔力を感じ取ることができるリベレ達だけなのだ。
楽国は魔法の知識を排除することによって、アミューズの存在を秘匿している。それは、なぜ。
アミューズは何のために楽国民を洗脳している?
「僕はね、戦いはあまり好きじゃないんです」
「あ?」
「幼いころ、友達と遊んでいた時の話です。魔力を持った僕は身体能力も圧倒的でして。かけっこも、鬼ごっこも誰も僕に追いつけやしない。1人だけな僕はちっとも楽しくなかったんです。周りに合わせて、自分を抑えて生きる。そんな人生に怒りすら覚えました」
壇上の上をゆっくりと歩きながら、アミューズは言う。
「でも、演劇は違います。僕は努力の末にこの地位までたどり着きました。頑張って、頑張って、頑張って、気が付いたら、こんな大きな劇場で単独公演ができるほどになりました」
そこから、つらつらとアミューズは語り始めた。演劇との出会い、苦悩、そしてつかんだ栄光。数百人が入る会場はやけに声が響き、リべレの脳内を刺激する。じわじわと、怒りが溢れてきた。はやく、この男を黙らせなければ。
アミューズは手を頭にあて、やれやれとゆっくりとため息をつく。
「戦争とか、得意な人間に任せておけばいいと思いませんか。だから、僕は北部戦争にはきません。たとえ力があっても」
ブツッ
リベレの脳内で、何かが弾ける音がした。
「お前が、呪い持ちの前任者ってことだな」
「どういうことですか?」
「スぺアはお前の代わりに戦争に行ってるってことだよな!!」
ー-戦争が得意な人間なんていねぇよ!!
この男が前任者だ。
呪い持ちとしての責務を果たさず、あり余った魔力を使わず。泣きながら仲間を殺す少女に責任を背負わせている。戦争をしたくて戦っているのではない。スペアは孤児院の子供を人質に獲られているも同然だ。
その状況を放置して、自分は劇で演じている。
都市センという最も安全な場所で、優雅に過ごしているのだ。アミューズ程の魔力があれば、どこにいても安全な場所など作れるのにも関わらず。
リべレの怒りは頂点に達した。自信の両端に浮かばせていた『叛逆の一滴』で出きた槍を壇上の男に目掛けて射出する。
アミューズのにんまりとした笑顔は、槍が顔面に迫る直前まで続いた。刹那、彼の顔が驚きの表情へと豹変する。
自身の魔力のオーラによる防御を難なく貫通する黒い槍に驚いたのだ。間一髪のところで回避し、一本の傷が頬に残るだけで済んだ。
「おい!僕は楽国の宝ですよ!!!顔の傷はだめだって!!」
たらりと頬から血が零れ落ちる。慌てて魔力で傷を覆い、傷の深さを確認するために右手で触る。
そうしながら、左手でリべレの拳を受け止める。そのまま手を握りしめ、ねじる。
魔力をまとった左手は、リべレの体を宙に浮かばせるには十分だった。仮想筋肉といえばいいのだろうか、アミューズの細い腕から想像できないほどの怪力があった。そのままアミューズの左目が黄金に光る。
「与楽」
「ぐっ」
宙に浮いた回避不能のリべレに、アミューズの魔法が襲い掛かる。黄金のオーラがアミューズの体から溢れだす。
どしゃっという音とともに、宙に浮いていた『叛逆の一滴』が重力に従って落ちる。受け身をとりそこなったリべレを蹴り上げ、客席へ吹き飛ばす。
激しい衝撃が体を襲う。
何も、リべレはここまでの戦闘を予想していなかった。悲国について、崩壊人間について、アミューズにいくつか質問をする予定だった。
与楽劇場を通して、アミューズの魔法と魔力の多さを目にした。楽国で会った初めての強者がアミューズで、かつ呪い持ちだったから与楽劇場まで来たのだ。適当に脅して、情報を吐かせる予定だった。
勿論、戦闘になる可能性はアミューズの強さからある話ではあった。だが、『叛逆の一滴』がある限り、アミューズとの相性は良いと思っていた。演劇による精神魔法は叛逆することで効くことはないはずだった。
「!」
ーー『叛逆の一滴』が生まれない…
黒い液体から次第に魔力が抜けていき、元の赤い液体へと戻る。変化自在の液体は力を失い、動くことはなくなった。周囲には赤い血だまりが生まれ、リべレは力なく顔をあげる。
「なぜ、という顔をしているますね」
足音をやけに大きく鳴らしながら、ゆっくりと近づいてくる。
「魔力の障壁をいとも簡単に貫通する槍には驚きました。それが『叛逆』の力ですか?槍にあたった先から魔力が分解されていきましたねぇ。でも、私の前では無力ですよぉ。私の力は『与楽』、相手に楽の感情を与えるというものです。つまり、相手の感情を上書きするというもの。『叛逆』の力は嫌という感情に頼っているので、楽に飲まれたあなたにその力は使えません」
「聞いてもないのにぺらぺらと喋りやがって」
「でも、悪くないでしょ」
面白い能力だ。楽国民に対しては強化につながり、それ以外の人種には弱体化につながる。劇場下では多数に対しての精神魔法だったが、個人に対してはその何倍もの力になる。
感情に作用する魔法は、叛逆心そのものを削り取る。叛逆する前に、リべレはなんだか楽しくなってしまった。リべレ自身も気が付いていなかった叛逆の弱点は、一度攻撃を食らわなければならないということだ。その一度で楽に支配されたらそこまでだ。
強い感情を持つものほど、失う力は大きくなる。感情の崩壊を扱う者たちへ強力な特攻を持つ魔法だ。
ーーまずい
何が一番まずいかというと、リべレがこの状況を楽しみ始めているということだ。アミューズを見るたび、楽しいと思う感情が増幅する。心の奥から暖かいものがあふれてくる。心地よいその気持ちに身を任せてしまいたくなるくらいだった。
叛逆心が生まれない。初めての気持ちだった。生まれからして異質なリべレは、幼少期から天邪鬼な性格をしていた。心の底から、楽しいと思ったことは一度もない。与えられて初めて生まれる感覚だった。
「どうです?気持ちいでしょ?」
リべレは、紫色の目でアミューズを睨むことしかできなかった。




