38.あの日の記憶2
お転婆、自分勝手、笑う時は全力で。太陽のような少女ではなく、話してみると嵐だ。周囲を巻き込み、自分の行きたい道へ進む。楽王と知り合ってから、僕は『楽しい』という感情を心の底から理解した。
彼女に引っ張られるように、僕はいっぱい遊んだ。湖で一緒に泳いだり、付近の森を探索したり。お互い初めての友達だった。王として対等に会話できるのは王しかいない。国内では良き王として国を統治し、国外では少年少女のように遊んだ。それに釣られて、嫌国と楽国は深い関係が結ばれるようにもなった。
会えない日は毎日手紙を交換した。隙間を見つけたらすぐに会いに行った。護衛も兼ねて二魔嫌士にはついてきてもらってたから、彼らには随分迷惑をかけた。
でも、その関係は長続きしなかった。
嫌国の中で、内乱が起きた。リパグーは詳しく知っているだろうけど、学園魔法と自己流魔法の仕組みについての反発が大きくなってきた事態だった。僕もその対処に追われて、楽王と会うどころじゃなかった。文通も間隔が開くようになっていった。
ある朝、雲一つない快晴で、やけに熱い夏の日だった。まるで、彼女と出会った日のようだ。僕にとっての分岐点はこの日だ。いつものように、楽国の使者が訪れ、手紙を渡してくる。汗だくになっていた使者に冷たい飲み物と風の魔法をかけてやった事をよく覚えている。
いつもなら、達筆な文に隠れた踊る文字から笑っている彼女が想像できたし、読んでいるこちらもにやけてしまうような愛の言葉も書かれていた。だけどその手紙は雰囲気が違った。
『誰かが感情大陸を崩壊させようとしている』
とてもきれいな文章だった。ユーモアのかけらもない、お手本のような。それが、より不気味さを際立てた。楽国に何か良からぬことが起きたという話は聞かない。楽王に何かあったのだろうか。嫌王は心配に思ったが、嫌国も慌ただしい時期だったこともあり、「なにかあったのかい」という旨の手紙を送るだけで終わった。
また次会うときに、詳しく話を聞こう。手紙の返信で何か書いてあるだろう。それとも、楽王のいたずらかもしれない。あのお転婆な女の子ならば、楽しいという感情を優先させるに違いない。
『時間がない』
最後に書かれた、楽王の嘆きがやけに脳裏にこびりついていた。
手紙が返ってくることは二度となかった。
五つの国の中で、誰かが感情大陸を崩壊させようと企んでいる。楽王からのSOSは、嫌王の緩んでいた脳みそを引き締めた。なんとしても、嫌国民は守らなくてはならない。嫌王は秘密裏に二魔嫌士を中心に様々な国の調査を始めた。
各国の強者、重役、そして王。もちろん、嫌国自身も調べに調べた。各国に信頼できる人間を忍ばせ、異変があればすぐに知らせた。幸い、魔法によってさまざまな国を調べることができた。
怒国には怒王、悲国には『悲惨』ミザリー、恐国には『恐怖』フィア。強者の動向は特に注目していた。感情大陸崩壊と言っても、どのように崩壊させるかは見当もつかない。物理的に国をひっくり返すことができる実力を持つのは怒国しかないが、感情を揺さぶる能力者も多数いる。各国の内部に侵入し、腐らせていくのかもしれない。
怒王とは会ったことがある。燃えるような正義感を持ち、その力を持って全てを成し遂げてきた。その実力は一人で国を落とすことができるのはもちろん、加えて四怒将もいる。あの怒王が大陸崩壊を巻き起こすとは考えられないが、実現できる力がある。警戒するべきは怒国か。
そう考えていたが、風向きが変わったのは『論争』アーギュが恐国を警戒し始めた時からだった。怒国の王妃である彼女は、情報収集能力に長けている。その彼女は、嫌王と同じくさまざまな国を調べていた。まるで、感情大陸崩壊の事実を掴んだかのように。
アーギュの動向を詮索しているにつれ、恐国の怪しさが増していく。僕は感情大陸崩壊を目論んでいるのは恐国で間違い無いと確信した。
後からわかった話だが、恐国も準備を始めていたのだ。崩壊の事実を入手し、他国にバレることなく武器を揃え、感情を昂らせていた。失敗があったとしたら、恐国は隠しすぎていた。『震駭』テラーなんて存在、歴史に一度も出たことがない。彼は中部戦争が初舞台だった。
どちらが先に攻撃を始めたのかはわからない。感情大陸中部戦争は始まった。恐国は『震駭』テラーという、二魔嫌士を圧倒できる最強の男を隠し持ち、嫌国は裏通りという従順な捨て駒を利用した。
そして、嫌国は負けた。
とはいえ、敗戦国家とは思えないほどの戦力が嫌国にはある。二魔嫌士の治療は完了しているし、嫌国民全員に感情の強化が与えられた。敗北者が故の憎悪。恐国に対する憎しみの感情は嫌国民の力を巨大なものにした。
恐国も嫌国民の恐怖の感情を餌に更に強くなった。感情大陸中部戦争は両国の強化という結末になった。そして、それが恐王の狙いなのだろう。
彼らにとって、僕たちは敵ですらなかったのだ。むしろ、味方だと思ってすらいるのかもしれない。元凶に立ち向かう者として。
我々は生かされた。戦うために。
と、同時に。元凶の正体が明らかになった。
***
「わかったんですか?」
怒国でなく、恐国でもない。残りは悲国しかない。
話のスケールが大きすぎて若干ついていけないが、元凶の正体がわかったのならそれは良かったと思う。というか、とてつもなくでかい事件の渦中に無理矢理巻き込まれてないか?私。
リパグ―は寒さに凍えながら、冷や汗を流す。背中を伝う汗がやけに冷たく、いつもに増した不快感が体を襲った。
「悲国の序列1位『悲惨』ミザリー。彼女の話は聞いたことがあります。二魔嫌士にも劣らない実力に加え、他者を不運に巻き込む魔法使い。悲国の彼女が感情大陸崩壊を企んでいるとしても不思議ではありません」
『悲国は既に滅んでるよ』
「え」
『あと、元凶は楽国にいるよ』
「えええ」
『今夜、暗殺しに行ってもらうから』
「えええええ」
ーーこの王様め!!
心底嬉しそうな笑い声が、伝達魔法に乗ってくる。
自分が今どこにいるのか、理解して再度体を震わせる。ここは都市ピス上空。つまり、楽国にいる。このまま直行させるつもりなのだ、この王は。
というか、そのためにリベレと私を楽国に派遣したのだ。スペアちゃんを言い訳に、嫌王は暗殺部隊を送り込んだわけだ。
そして、『嫌気』としての能力を高めるために、すべての情報を隠していた。私が計画通りにいかない人生が嫌いだと知っていて、あえて振り回しているのだ。
嫌王とは伝達魔法で話しをしていて心底良かったと思った。嫌王は今頃、王室でにやにやと笑っているだろう。リパグーなら理不尽な状況に我慢できず、何をしでかすかわからない。軍にいた頃に隊長を殴り飛ばしたと言う事件があるほどだ。王を殴ったとなったら、一発で処刑だ。
そんな彼女の様子を音だけで楽しみながら、嫌王は続けた。
『あと、協力者を紹介するよ。僕の信用できる仲間であり、君の…で…ある』
風だ。嫌王との通信が途切れ途切れになる。障害がない限り、音の伝達が進む魔法が途切れることはない。暗雲が生まれたのか、鳥が通りがかったのか。
いや、そのどちらでもない。リパグーのもとへ、何かが近づいてくる。




