17.『震駭』道
「リべレ!」
「…」
返事はない。当たり前だ。人間は頭がなければ死ぬ。
リべレはあの一瞬で死んだ。死。死んだ。
鼓動が早まる。恐怖からではない。私は恐怖を感じないのだ。それでも、リべレが死んだという現実を受け入れられない。
ああ。だから友達は作りたくないのだ。幸福よりも不幸が勝る。
被害はリべレだけではなかった。
振り向くと、地平線が見えた。先程まであった『恐国』を囲む樹木でできた木壁は大きく割れ、崩壊していた。壁際に移動した『嫌国』民の何人かは下敷きになっている。
「感情が人を形成しているのか、人が感情を形成しているのか」
最初、彼の口から発せられたとは認識できなかった。空気を震わせる風だと勘違いしてしまう程だった。遅れて、脳が意味を理解する。
私に向けられて発した問いなのか、独り言だったのか。彼は私から目線を外し、ゆっくりと歩みを進める。一歩、動くだけで空気が悲鳴を上げる。
その男は、フィアの死体の前に立った。四肢を切断し、胴体だけになった彼女を見ても、男は動じなかった。冷めた目で、彼は死体を見下ろす。
「フィア、何をしている」
「…」
「恐怖とは何か、思い出せ」
彼の言葉に反応するように、物を引きずる音が静寂に響く。耳に残る、不愉快な音だ。肉が摩擦でこすれ、血の跡が残る。
フィアの四肢が、まるで意思があるかのように胴体のもとに集まっていく。私の短刀『リーフ』で確実に心臓を突き刺したはずだ。先ほどまで、死んでいた。それは確認した。
しかし、フィアの体は震えながら起き上がる。四肢は不吉な音と共に胴体と接続し、壊れた絡繰り人形のように動く。
彼女の表情は一つの感情に染まっていた。我々が『恐国』にきて、幾度となく触れた感情。
恐れだ。『恐怖』のフィアは、目の前の男に恐怖していた。先ほどまで私たちに見せていた余裕は全くなく、彼の存在から目を離さず震えていた。
まるで、死ぬことより恐ろしい物に惹かれたような。恐怖によって生き返った。
「テ、テラー様」
「フィア、王の元に戻れ」
「で、ですが。あの二人を殺さなくては、私の立場が」
「フィア」
テラーと呼ばれた男は、その後に言葉を続けることはなかった。フィアと同じ深緑の目で、彼女を見ているだけだった。それだけで、彼女にとっては十分だったようだ。くっついて間もない四肢を大きく動かし、醜く走り去っていった。
その様子を見届けることもせず、テラーは私のほうを向く。
深緑の目は、吸い込まれるような闇を感じた。彼から目をそらすことができない。苦しい。しばらく呼吸をすることを忘れていた。
「感情が先か、人が先か」
「え、あ」
「お前はどう思う?」
仲間が隣で殺されたというのに、私は戦闘体制に入ることができなかった。彼の空間に取り込まれたように、動けない。
問いかけではない。尋問だ
答えを間違えれば、死ぬ。直感で分かった。テラーと呼ばれた男は、私を試している。
感情が人を形成しているのか、人が感情を形成しているのか、という問いだ。考えたこともない。何が狙いなんだ。
ここで答える正解は何だ。何を言っても殺されるかもしれない。私の生殺与奪はテラーに握られていると言っても可笑しくないほどの実力の差がここにはある。
彼の深緑の目を見る。そこにあるのは純粋な疑問だと信じたい。そうすれば、狙った答えより私の心からの考えを述べることが一番生きることにつながるのではないか。
嘘をついたら死ぬ。ありのままに答えるべきだ。
私たちが住む、感情大陸『エモ』。一つの感情を司る五人の王が、五つの大陸を作り上げた。民は生まれながらにして、得意な感情を決められていた。瞳の色に合わせた感情。黄金の目なら『楽国』、緑色なら『恐国』、紫色なら『嫌国』。
私は『呪い持ち』として生まれた。しかし、それでも『楽国』民だ。楽しいという感情を他の民より強く持ち、それを誇りに思っている。
「感情が先、だと思う」
感情が先に決まっている。私は『楽国』民だ。楽しいという感情が似合っている種族だ。他の種族をさべつするつもりはないが、その事実は揺らがない。
感情に合わせて人は作られると習った。実際にそう在れと、私は動いている。『呪い持ち』という中途半端な私だからこそ。
彼はその答えを聞いて、何を思ったのか。少し首を傾げ、腕を組む。
「片目だけが黄金の哀れな少女よ」
「な、なによ」
「歪な存在であるにも関わらず、感情が先だというのか」
その問いは、フィアのように私を煽っているわけではなかった。純粋に、不思議で仕方がないという感情を読み取ることができた。
「私は『楽国』民よ」
「名を何という」
「スペア。『希望』のスペアよ」
『希望』のスペア。それが私の異名だ。自らの仲間を殺すことでしか、戦うことができない『呪い持ち』。それでも、『楽国』に希望をもたらす存在になれ、という意味を『楽国』の王から授かった。そのために、ここまで来たのだ。
私は歪でも何でもない。私は私だ。
「く、ははは」
その答えをお気に召したのか、それとも馬鹿馬鹿しいと思ったのか。静かに、しかし長く笑い続けた。
「哀れな少女よ。ここで貴様を終わらすことが、悲劇の終幕として一番適した道だろう」
「適した道?」
「『恐国』がここまで攻め込まれたことも、過去一度もないだろう。貴様たちには敬意を持って『恐国』の恐ろしさを教えてやろう」
テラーは腰に再び小枝を手に持つ。
「我は『震駭』のテラー。『恐国』最強の男だ。だが、『恐国』民としてではなく、1人の人間としてお前たちを屠ろう」
震えは止まっていた。テラーのあまりに巨大な圧力にも、体が慣れたのだろうか。
いや、違う。覚悟が決まったからだ。
ここで死ぬのは間違いないだろう。それほどの戦力差。蟻と象が戦うことよりも、現実味がない。
それでも、戦うのだ。
どこで道を間違えたのか、と私はよく考える。人生とは、常に選択の連続だ。全て、自分が選んだ道だ。
ここで死ぬのが、一番適した道だ?
「さっき会った程度の男が、私の人生の道を決めるんじゃない!!」
『恐国』とか『嫌国』とかどうでもいい。私のために、戦うのだ。




