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13.『恐怖』分岐点2

『ROUND 2』


「熱い」


 熱い。右目が熱い。皮膚が焼けているのに、それよりも涙で濡れる右目が熱い。

 ここがどこだかなんて、考えるまでもない。


 私が『嫌国』に向かう数週間前。『楽国』の三つある都市のうちのひとつ、崩壊した都市ピス。崩落した住宅街と残された地下道が合わさった、自然の洞窟。私がいるのはその洞窟の奥深くだ。


 灼熱に燃やされている死体の数は十五。殺人鬼は一人。右手に握りしめられた短刀『リーフ』は青さを失い、真っ赤な血で染まっていた。どろりと血が滴り落ち、地面で蒸発する。


 『憤怒』のフューリ。『怒国』四怒将の一人。彼が帰ってくるまでの刹那の時間に殺人は行われた。


 私が殺した十五人。パーション隊長を殺して、ルプレスさんを殺して。唯の少女は、力を持った剣士となった。

 パーション隊長の左薬指についている銀の指輪を抜き取り、私の右手薬指につける。


 熱い。逃げなきゃ。熱い。

 燃える。燃える。

 『怒国』の人間を斬っても、十五人は生き返らない。それでも、復讐をする。『怒国』民は皆殺しだ。指輪を触り、大剣を持つ。大丈夫。戦い方は、さっき見た。

 軽々しく、大剣は私の体に馴染んだ。パーション隊長の力が、私に流れているのがわかる。


 『憤怒』のフューリを殺す。仇をとれ。


「でも、十五人を殺したのは私でしょ」


 隣には、7歳の私が立っていた。白い眼帯を真っ赤に染めた、母の死に絶望した私がいた。


ーー幻覚


 フィアの攻撃だとわかっている。これは幻覚だ。

 燃える煙に揺れながら、私は囁く。


「人を殺したんだ」


 幻覚だ。

 でも、本当に自分がやった行いだ。嘘偽りない過去だ。


 パーション隊長、ルプレスさん、『嫌国』のヘイト。名も知らない兵士たち。

 『怒国』民が殺したわけじゃない。私が、明確な殺意をもって、短刀で、胸部を、刺した。


 復讐する?仇を取る?

 誰に対して?彼らを殺したのは私だ。この感情は、誰に向ければいい。

 熱い。眼帯の裏の眼球が燃えるように熱い。感情の高ぶりを感じる。

 燃える。業火の炎は洞窟の中で逃げ場を無くす。



『憤怒』のフューリが帰ってきた。高笑いを上げながら、血濡れの私を見つめる。洞窟を火炎地獄に変え、『楽国』のある部隊を壊滅寸前まで追い込んだ男。


 恐怖だ。

 初めて人を殺し、初めて人に戦いを挑む。


 先ほどまで、仲間を蟻をつぶすように簡単に殺していたような相手にだ。無謀だ。怖い。嫌だ。

 それでも、ルプレスさんとパーション隊長を殺して、力を得てしまった。四怒将に戦いを挑める程の力だ。二人の還元率は異常に高く、ただの少女との実力差を埋めるほどだった。

 逃げることは許されない。戦うのだ。

 恐怖。恐怖だ。

 怖い。嫌だ。


「どこで身を間違えたのか」


「面白い」



 気が付くと、目の前に女がいた。


 黄緑色の髪を短揃え、綺麗な肌は天田の男を魅惑させただろう。豊満な胸は隠すことなく大きさを強調していた。美しさの裏に、深緑の目がちらつく。彼女は楽しそうに笑いながら、水面を歩いていた。


 『恐怖』のフィア。裏通りの連中を1人で壊滅まで追い詰めた『嫌国』民。

 そして、私の過去を好き放題閲覧する、最悪の魔女だ。

 口元は隠れておらず、初めて彼女の全体像が見えた。可愛らしい口元だった。

 私の人生を、深緑の目で見ていたのだろう。

 

 

「くふふふ。あなた、そんな人生なのに」


 ちょん、と私の腹を足で突く。身動きの取れない体は、軽く沈む。私を中心に波紋が広がる。


「そんな人生なのに、『楽国』民なのね」



 彼女の笑い声は、この空間に木霊する。頭の中にぐるぐると侵食するように、フィアが入り込んでくる。



「絶望するだけの貴方に、『楽国』民の資格はあるのかしら?」


 手元で口を隠すもの、笑い声は溢れ続ける。

 楽しそうに、私の人生を見て笑う。深緑の目は歪に歪み、笑顔を強調させた。


 その姿を、一刻も早く視界から外したかった。


 嫌だ。そんな事実を認めたくない。


 体は相変わらず動かない。視覚情報を遮断することもできない。

 

 嫌だ。


 『恐国』の女が、楽しそうに笑っている姿なんて見たくない。

 彼女の方が、私より楽しそうな人生を送っている。


 彼女の方が、私より『楽国』民らしい。



 あ



 ああああああああ。




 絶望。



 深い絶望。


 


「あ」

「ん?」

「あああああああああああああ」


「あら。壊れちゃった」


 体が熱い。体の内側から、熱い何かが溢れ出す。『呪い持ち』の力が発動した時と同じ感覚だ。

 力が湧いてくる。ルプレスさんとパーション隊長を殺したきのように。右手が解けるように熱く輝く。



「あ?」



 最初の殺人は、パーション隊長を殺した時は流れに乗っただけだ。そこに殺意はない。

 だけど、二回目以降は違う。自分の力を求めて、明確な殺意を持って人を殺している。


 ヘイトもアンクシャを倒すために殺した。


 恐怖ない。もう、それは乗り越えたはずだ。


 認めよう。私は自分のために人を殺している。復讐相手なんていない。

 

 そのことを、楽しむ必要がある。



 私は『楽国』民。





 私は『楽』を司る、『楽国』民なんだ!!



「あはは」

「こいつ…」


「あはははははははは」

感情の崩壊(エモ・コラプス)しやがった!」



 フィアが何か呟きながらこちらに近寄ってくる。

 だが、もう力の上昇は止められない。『恐怖』そのものがこちらに向かってくるが、関係ない。

 


 恐怖は充分味わった。もう、いい。怖くない。

 人殺しに、恐怖は抱かない。

 私は『楽国』民だ。



 目を瞑り、パーション隊長から預かった指輪を触る。


 体の自由が効く。

 右手に出現させた大剣を握りしめて、振りかぶる。

 視覚はいらない。恐怖は断ち切った。

 


「あ!ああ!」



 それだけで充分だ。

 生暖かい液体が顔面に激しくかかる。


 瞬間、風を感じた。

 深緑の海面の冷たさはない。地に足をつけているのを感じた。


 目を開ける。

 魔法の眼鏡は返り血で何も映らなくなっていた。それを捨て、改めて周りを見る。


 雲一つない青空。木で作られた壁。立ち尽くしたまま動かない裏通りの連中。そして、目の前で発狂しているフィア。


 深緑の空間ではない。戻ってきた。


「てめぇ!わた、わたしの、私の大切な左腕がああ」




「『ROUND 3』は来ない。私はもう恐怖しない!」



 絶望を楽しめ。


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