00.分岐点
「どこで道を間違えたのか」
豪華の炎の光は止まる気配がない。轟々と燃え、炎に巻き込まれた人間の肉を焼き、骨すら残らない。洞窟は熱を閉じ込め、蒸し鍋を彷彿させるほど熱い。
流した汗はその場で蒸発し、深く呼吸をすれば体内から焼かれてしまうだろう。
初めて人を殺したというのにやけに冷静だな、とスペアは思った。まるで、実感がない。自分がやったことじゃないみたいだ。
倒れた男を見ながら、首をかしげる。眼鏡の奥に見える眼球は黒く濁り、生気を感じさせない。熱された地面によって、皮膚は焦がされ、不愉快な臭いが辺りを漂う。
男の名はルプレス。軍の隊長補佐を務める優秀な軍人で、スペアの育ての親の一人だった。笑顔を振り撒き、周囲を楽しませていた彼の表情は、死後も変わらなかった。歪な笑顔のまま、彼は死んだ。
どこで道を間違えたのか。その問いに答える人間はいない。
スペアの右目は眼帯によって隠され、左目も前髪に隠れ見ることができない。長い黒髪は地面に垂れ、右手に持つ短剣からは血が滴り落ちている。地面についた血は黒い煙と主に蒸発する。
ルプレスを殺したのは、スペアだ。短剣を持つ手は震え、脳が現実を受け入れ始める。
殺した
自分が生き残るために、ルプレスさんを殺した
ああ、どこで道を間違えたのか
死体から目を逸らす。あたりは業火と煙で覆われ、視界不良だ。煙の中で、一人の少女が走っているような気がした。
あれは、スペアだ。近所で有名だった、愛嬌のある看板娘だった時のスペアだ。いつも楽しそうに笑って、愛されていた時のスペアだ。
煙は新たな火柱によって、霧散する。少女が走っているわけがない。幻覚を見ていただけだ。そこにいたのは、可愛らしい少女ではなかった。深く絶望した、女がいた。
「はぁ」
ため息は業火の煙に溶ける。
いまため息をしたのかすら、現実味がない。
正面の死体から目を逸らし、いつも想像してた未来を考える。
普通の生活をしたい。結婚をして、両親が二人そろっている家族を作るのだ。孤児院の院長になるかもしれない。自分の子供と一緒に、孤児たちを育てるのだ。そんな未来を。
「そんな未来は、もうない」
道を間違えた場所は、この洞窟に来てしまったところか。それとも、その前か。お母さんが死んだときか。
それとも、今選んだ行為ーー人を殺すという選択をしてしまったからこそ、こんな人生になったのか。
短剣を突き刺す先は、男性の胸ではなく、自分自身にするべきだったのだ。人を殺すのではなく、自分が死ぬべきだった。そうすれば一回の悲劇で済んだ。
後悔を送る人生とその場で終了する人生を天秤にかけたら、考える間もなく前者を選ぶ。死んだら後悔する脳すらなくなるから。
そんな考えを16歳の少女が持つほど、状況は歪だった。
「ああ」
いくらため息をついても、人殺しという事実は変わらないし、目の前の男性が生き返ることもない。
そんなことはわかってはいるけども、ため息は止まらなかった。