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大都へ

 そうして身体的ではなく、趣向を変えて今度は精神的に大きなダメージを与えてきた三週目が過ぎれば。


「次はこいつを頼むよ」

「……」

「それからこれも」

「………」

「あとはこいつもだ。って、なんだい、まだそんなところをやっているのかい。さっさと終わらせないと、帳票を置く場所がなくなっちまうじゃないか」

「そんなに早く終わるわけないでしょ!?」


 息を継ぐ間もなく次々と積まれていく山のような書類に埋もれながら、それらが崩れないよう注意しつつ、クワッと目を見開いて抗議する。

 …まあ、書類の山が高すぎて見えていないとは思うけど。


 最後の週はまた力仕事に戻って…ということもなく、終わりの見えない数字地獄が私達を迎えてくれた。

 身体、精神ときて、次は頭脳。

 どうやら王都に行くまでの一ヶ月間で、一片の余りもなく私の活力を完璧に削り取る気らしい。

 お母さんはただのドラゴンではなく、一夜にして十数の国を焦土と化した、人類史上最凶の災害級魔物として知られている獄炎竜ティアマトの化身であるに違いない。


「そもそもいつも思うんだけど、なんでこんなにたくさんあるの…」

「本当にすごい量だよね…」


 息苦しさすら感じる書類の中でため息をついていると、ソラちゃんの座っている方向からも、苦笑いしていることが分かる若干くぐもった声が聞こえてきた。

 私と違って、誰かのために働くことが大好きな聖女様さながらのソラちゃんも、いくらこなしても量が一切減らないどころか、むしろ増えていく書類の山には流石にちょっと怯んでいるのだろう。

 なお、声がこもっているように聞こえるのは、私とまったく同じ状況だからである。

 もちろん姿も見えない。…書類で窒息してしまいそう。


 それはさておき、今私達が見ている書類はすべてマリナさんとエドガーさんが集めた商いに関する情報であり、各地の物価や流通状況が記されている。

 では何故これほどの量があるのかというと、ジョッシュさんの故郷であるバースマルドやシンスニルといった南側地方に始まり、果ては北大陸の帝国の最北端に至るまで、大陸中の情報が網羅されているからであった。

 しかもその範囲の広さもさることながら内容も細かく、店ごとの商品の値段や取引先についてまで記録されているという有様なのである。


 そりゃあどこに商機があるか分からないわけだから、色んなところに目を光らせる必要があるのは分かるけど、だからっていくらなんでもやり過ぎじゃないの…。


 これだけ手を広げて商売をしているのに、どうして村には廃屋や緑色のもの達が我が物顔で居座っていて、私のお小遣いも一切増えないのか。

 謎である。


 ちなみにディルジーラ事件から数日後、マリナさんの元にジョッシュさんから手紙が届いた。

 きっとあのあとすぐに手紙を書いたのだろう。

 なんでも今回の取引のために払った情報料や許可料が丸々返ってきて、遅刻した分の損を取り戻すどころか、想定の倍以上の儲けが出たのだとか。

 お陰で、自分が寝ぼけて夢を見ているわけではないということを確信した頃には、すっかりと木の実を頬張ったリスのような愛らしい顔立ちになってしまったし、長年の夢であった自分の店を構える資金も貯まって感謝してもし足りないと、ジョッシュさんらしい表現でお礼が書かれていた。


 追伸にはマリナさんの手紙を渡したときの商会総長の様子も綴られていて、読みながら赤くなったり青くなったり、震え出したかと思ったら、今度は打ち上げられた魚のようにパクパクしたりと、秋空のように移ろいゆく表情を見て、なるほど商会総長が大胆な商いでここまでの財を築けたのは、例え失敗しても大道芸人として食べていけるからなのだろうと、感心するあまり商会総長が手紙を読んでいる間はずっと身体の震え、主にお腹と口元の震えと戦わなくてはならなかったそう。

 文章からは、手紙を書きながらニヤリと笑うジョッシュさんの姿がありありと伝わってきた。

 どうやら商会総長には色々と思うところがあるらしい。

 手紙一つでそこまでの反応が返ってくるなんて、いったいどんな内容のものを送ったのかと思わず聞いてみたくなったけど、手紙を書いているときのマリナさんとエドガーさんの様子を思い出して、すぐに思い直した。


 …世の中には知らない方がいいこともあるからね。


 と、こうして四つの地獄により身体的、精神的、頭脳的に疲労した私は、もはや光のない目で虚空を見つめ、口からは「ァァァ…」とか「ゥァァ…」だとか、言葉になっていない重低音を発するリビングデッドと化していたんだけど、我が村のティアマトはそれで終わらせてくれるほど優しくはなかった。


「…こうして大陸歴百八十一年、タイタニアス帝国は北大陸を制覇し、南のアリガルース王国、バースマルド公国、シンスニル王国の三大国が慌てて同盟を組まなければならないまでに成長したのよ。この背景には、今までのような上から押さえつけるだけの治政ではなく、それぞれの文化や風俗を否定せずにそのまま受け入れることで、反発する可能性を抑えたということが挙げられるわ。

 尤も、帝国では未だ敗者を奴隷とする昔の治政意識が根強く残っているために、それもそこまでうまくは機能していないのだけれど。このことを示す最たる例が、十一年前のエフェレフト・イシスの反乱ね」


 毎日の仕事のあとは待ちに待った自由時間!…ではなく勉強地獄がてぐすね引いて待っていた!ゥァァ…!

 しかも最後の週は、私の苦手な歴史という二重苦。

 これがいかに辛いことなのかを説明するために、ここで改めて、この一ヶ月間の私の生活についておさらいしておくと…。


 朝:窓から差し込む朝日と、歌うような小鳥達のさえずり声に包まれながら、

   疲労感や絶望感と一緒に目を覚ますよ!

   鏡に映る私はいつだって干からびたサハギンのような目。

   うーん、今日もバッチリきまってる!

 昼:小さな村だけど、やることは盛りだくさん!

   殺意すら感じるニコニコ笑顔のお日様の下で骨と肉を軋ませながら力仕事

   をしたり、殺意すら感じる書類の山に囲まれて、窒息しそうになりながら

   事務仕事をしたり。

   時には筋肉と格差と黒魔術による、精神攻撃もあったりするよ!

   そのお陰で、今日は珍しくお仕事が順調♪と思ったときは大体、

   夢だったァァァ…、ってオチがついてくるよ!

   いっけな~い、立ったまま気絶してたみたい!

 夜:ソラちゃんと仲良く机を並べてお勉強!

   疲労困憊の私の口からは、ゥァァ…とか、ァァァ…とかしか声が出ていな

   いけど、大丈夫、お母さんにはちゃんと伝わるよ!

   分かりやすい顔でよかったね!

   ちなみに、少しでも勉強時間を減らして疲労を回復させようと、ご飯をあ

   えてゆっくり食べたこともあったけど、眠気のあまりうっかり食器に顔が

   落ちちゃってお説教が追加、結局睡眠時間の方が減っただけだったよ!

   やだ、私ってばもしかしてうっかりさん?


 ……。

 お分かりいただけただろうか。

 この一ヶ月間は遊ぶ時間なんてものは一切なく、そもそも心身共に疲労した私は遊ぶどころか、お布団を見た瞬間意識を失って倒れ込むような有様で、そのまま泥のように眠り、かと思ったらすぐにまた恐怖の朝が来てなすすべもなくそこら辺に転がされるという、その繰り返しなのである。

 これを地獄と呼ばずして、いったい何を地獄と呼ぶのか。


 まさに鬼…ッ!まさに獄炎竜の所業…ッッ!

 健気で可愛らしい愛娘(私のことね!)にこんなひどい仕打ちをしてくるお母さんの身体には、きっと赤い血ではなく、なんかこうすごい感じのそのあれが流れているに違いない…ああもう頭が回ってない…!ァァァ…。


「帝国領土であるエフェレフト区とイシス区、つまり旧エフェレフト王国と旧イシス王国が連合して独立を宣言したんだよね。当時すでに婚約者のいた両国の第一王女を、無理矢理アリガルースの上級貴族に嫁がせようとしたことがきっかけだったんだっけ。

 うーん…、反発を抑えるために新しい政策を執ったのに、かと思えばこんなこともしたり、なんかやってることがちぐはぐだね…」

「そうね。百八十一年に北大陸を制覇して以来、帝国の行動には矛盾が多く見られるようになったわ。この原因の一つには、帝国の執政機関の構成が…」


 そんな風に私が生気のない顔で重低音を出し続ける一方、隣に座るソラちゃんは真面目に勉強をしていた。

 こうして自ら進んで質問をしていることからも分かるとおり、とても熱心に励んでおり、私とは対照的な生き生きとした表情からはむしろ楽しんでいることが分かる。

 ソラちゃんは剣術だけでなく、勉強も得意なのである。

 優しくて、可愛くて、料理が得意で、強くて…はともかく、しかも頭までいいとか、もし私が男の子だったら迷わず求婚していたに違いない。


 __これから毎日ずっと、

   ソラちゃんだけのためにお肉をとりつづけるよ…__

 __わぁ、ありがとう!__


 ……。

 自分で考えておいてなんだけど、お肉が大好きで純真かつ素直な性格のソラちゃんなら、ホントにそれで頷いてしまいそうでちょっと心配になってくる。


 まあ、こんなロマンチックさの欠片もないお馬鹿なプロポーズをしてくる人がいたら、迷わず私が撃退するけどね!

 ソラちゃんの未来は私が守るよ!

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