サイドストーリー:ある商人のお話
俺の名前はジョッシュ。
儲け話と聞けば大陸のどこへだって駆けつける旅の商人だ。
もっとも旅の商人だなんて言えば聞こえはいいが、実情は店を構えるだけの資金もない、うまそうな釣り餌がぶら下がるや否やそれに群がる哀れな小魚の一匹に過ぎないわけだが。
大陸中を旅する行商は移動自体のコストや、その際に魔物や山賊に襲われるリスクが常につきまとう。
しかもそれらに見合うほどリターンも大きくなく、場合によっては損失すらあり得るのだから、長く続けられるような仕事ではないということが分かってもらえると思う。
店を構え、周囲と信頼関係を築き、土地に根付いて安定した生涯を送るのが大半の商人の夢であり、もちろん俺もその一人である。
ただごく稀に、あえて店を構えずに行商だけでたんまりと稼ぐ強者がいたりもする。
行商で安定して稼げるなんて奴は飛び抜けて優秀であることは言わずもがな、間違いなく変人だろう。
何故なら店を構えればリスクを抑えられるばかりか、より多く稼ぐことができるはずなのだから。
そんなわけで俺は今、南大陸三大国家の一つであるバースマルド公国の首都、ノーラデリツェで仕入れた薪をここアリガルース王国で売り捌くべく、王都ルースへと向かっている。
面白いことに、アリガルースもバースマルドと同じく豊かな土地で当然木なんて見飽きるほど生えているにも関わらず、この国で薪は貴重品だった。
理由は単純で、アリガルースの木は燃えると凄まじい量の煙を出すものばかりなのである。
挙げ句にはあっという間に燃え尽きてしまうため、どんなに貧乏な村でも冬越えや料理のために薪だけは買う。
だから薪はまず売れないということがなく、扱う商人が多いために儲けこそ少ないが、行商の中では安定した利益を得られる駆け出し向けの商品だと言えた。
ただ念のために言っておくと、駆け出し向けの商品を積んでいるからといって扱う人間もそうであるとは限らない。
俺は間違っても自分のことを優秀な商人だとは思わないが、かといって駆け出しというほど皮肉屋なつもりもない。
十六の頃から十二年間商人をやっている、商才も見た目もごく当たり障りのない中堅どころだ。
一応、自分で中堅だと言えるくらいには場数を踏んでいるし、破産することなくここまで食いつないできたという自信もある。
つまり何が言いたいのかというと、薪はただのおまけでありメインとなるもう一つの商品を積んでいるということ。
それはヒノキと呼ばれるもので、美しい光沢と上品な芳香を持つ建材としても工芸用としても非常に価値の高い、言わずと知れた高級木材である。
なにせこいつを仕入れるのに、十二年分の稼ぎをすべて使ってしまったくらいだからな…。
それどころか十二年分の稼ぎですら必要量を買うには不十分だったので、さらに倍に近い膨大な借金までしたのだ。
普段ならば、衣擦れだけで火がつきそうな蒸留酒を浴びるほど飲んだとしてもこんな大ばくちを打つことはないんだが、それでも釣り餌を食べるにも慎重になる臆病な小魚が漁船ごと喰らってドラゴンになることを夢見てしまったのは、「アリガルースの貴族達の間では今、ヒノキが大流行している」という、そうせざるを得ない耳よりな情報を掴んだからに他ならない。
そもそも一介の行商人風情ではお偉い貴族様と取引することなど出来ようはずもなく、加えてこういった噂話は、さながら泉から水が湧き出てくるかの如く次から次へとまことしやかに流れてくるので、平時ならこんな情報を得たところで何か気の利いた皮肉を考えるくらいの価値しかないのだが、アリガルースの市場からヒノキがごっそり消えるという珍事に続き、いつもは偉そうにふんぞり返っている貴族達が、こぞって各国の街を取り仕切る商会の長に頭を下げに来るという大珍事が起きたため話が変わってきた。
言うなれば街の支配者である貴族が、平民からなる商会に頭を下げに来たという構図。
もっとも金なくして街はなり立たないので、実質の支配者は商会とも言えるわけなのだが、いずれにせよ体面を気にする貴族が平民に頭を下げたのだからその本気度が窺えようというもの。
そしてそんなことを大々的に宣伝しては流石に彼らの体面も丸つぶれなので、取引は国の商会を取りまとめる商会総長が認めた一部の商会に属する商人にだけ許可するという話になり、結果、こうして俺がヒノキを積んで馬車を走らせているというわけだった。
ちなみに俺は元々はバースマルドの首都ノーラデリツェにある大きな商会の一つに所属していて、数年前に独立し、現在は自分の商会を立ち上げている。
と言ってもまだ店はなく、会員も俺一人だけという名ばかり商会ではあるのだが。
それはさておき、当然、弱肉強食が常の商人の世界において、商会総長殿が聖母さながらの善意で取引を認めてくれるなんてことがあるはずもなく、その許可を得るにもヒノキを買い付けるのと同等に近い対価を払った。
とはいえ、もしも真っ当な値段ですべて売りさばくことが出来ればそれを補ってあまりある儲けが出るし、念願の店を構えることも夢ではなくなるのだから、決して高い買い物ではなかったと思っている。
要するに、今はまさに一世一代の大勝負を挑んでいる最中というわけだ。
と、いけないな、こんなことを考えては。
いわゆるジンクスというやつで、商売の最中に成功した時のことを考えるとろくなことが起きないというのはこの十二年で身に染みて分かっていた。
なので急ぎ意識を目下の問題へと切り替える。
自分でも下らないとは思いつつも、こいつがなかなか馬鹿に出来ないので困ってしまう。
…で、ここは一体どこなんだ。
改めて辺りを見渡すまでもなく、視界一杯に広がっているのは果ての見えない巨大な森。
いや、この森が何なのかは分かる。
呼び方は多々あるが、多く「北の森」と呼ばれるその名の通りアリガルースの北側に広がる森。
ただ、あまりにも広大すぎて現在位置が掴めないのだ。
本来ならもうとっくに王都に着いているはずなのに、このように俺は現在、見事に迷っていた。
理由は明白で、途中でこの巨大な森が妙に気になってしまったからだ。
興味を引かれるがまま街道を外れたのがいけなかった。
まあ、方向音痴が土地勘もない場所で街道から外れたら、それは迷いもするだろうな。
まるで自分の人生を表しているかのようで、思わず肩をすくめてしまう。
しがない農家の三男坊として生まれた俺は、まさに王都へと続く街道と同じく、本来なら農民として畑を耕しながら決められた通りの退屈な道を進むはずだった。
農民のままだったならばすでに所帯も持っていただろうし、悪夢にうなされるくらい金の稼ぎ方や人間関係に頭を悩ませる必要もなく、ただ明日の食い扶持だけを心配していればよかったに違いない。
だが誰かの決めた道をただ歩くだけなんて、それではもはや何のために生きているのか分からないじゃないか…。
そんな決まり切った未来が嫌で村を抜け出し、しかし若さ故の無計画さにより路頭に迷って倒れていたところを、バースマルドでやり手の商人として二つの商会を切り盛りしている師匠に拾われた。
あの出会いがなければ、今ごろ俺は商人ではなく、レイスかアンデッドにでも転職していたことだろう。
正直、今の生活が素晴らしいものかと言われると、たとえ後ろから金貨のたんまり入った袋で頭を叩かれたとしても、首を縦に振ることはできない。
だがそれでも決まり切った道を外れ、商人として生きることを決めたあの時の選択を後悔したことはただの一度もない。
だから今回のような一世一代の大勝負がある時でさえ俺は自分の直感を大事にするし、実際商人となってからも、そのお陰でそこそこ順当にやってこられた。
もちろん俺は万物を見通す魔法使いなどではないただの凡人であって、残念ながら直感がすべていい方向に働いたわけではなかったが、そういった理由から現在も困ってはいるものの後悔はしていない。
それに方向音痴とはいえ、これだけ天気がよければ流石に方角くらいは分かる。
森を右手に、つまり西に進んでいけば、いずれは街道にたどり着けるはずだ。
どうせ身軽な一人旅だ。
気楽に行けばいいさ。
普通商人は街から街へと移動する際には必ず護衛をつけるのだが、今の俺には積み荷と馬車があるだけで他には誰も同行していない。
もし護衛がいたならば、今のように森に近づくことは出来なかっただろう。
何故なら森には魔物が出るからだ。