村の日常-11
「ソラちゃん、見て、この美しい世界を」
翌朝。
北の森に到着すると、メイがふわりと嫋やかに振り返った。
ここは森の東側を流れる小川のほとり。
北から南へと森を貫くようにして流れているこの長い川は、本流から無数に分岐したものの一つで、上流は遙か北の帝国領にまで上り、急流の大河として有名であった。
もっともそれはあくまで上流側の話であり、この辺りの流れはとても緩やかなので、時々ミーアも連れてきて一緒に遊んだりもする。
せせらぎが涼やかで心地良い。
「雲一つない澄み渡るような青空、柔らかな絨毯を思わせる緑の大地、冷たく透きとおるみずみずしい川、そしてそれらを色鮮やかに照らす優しい光。ああ、まるで、世界が私達を祝福してくれているかのようじゃない…?」
今読んでいる物語の中に吟遊詩人でも出てきたのか、何やらそれらしい顔でメイが歌うように語る。
「ふふ、そうだね」
もっとも、表情や声の端々から溢れ出ている喜びは隠し切れておらず、微笑ましさに見ている私の頬も自然と緩んでくる。
と、このように、案の定メイは朝から浮かれっぱなしであった。
その程度たるや、いつもなら朝はチアキさんに起こされるまで意地でもお布団から出ないのに、今朝は自分で起きて、逆に庭先の掃除まで手伝ったほど。
すっかりと準備を整えたメイが、にこやかに私の家まで迎えに来てくれたのを見た時には、思わず目を丸くしてしまったものだった。
「はぁ~、いいわねぇ、あんた達は…。私なんて、休日はまだまだ先よ…」
すると、全身から喜びを溢れさせるメイとは対照的に、私達の傍らで、今日の狩りで使う道具の手入れをしていた女の人が、ずぅぅんと沈んだ声でため息をついた。
この女の人は、昨日何度も話に出てきたリズちゃん。
よく日に焼けたしなやかな身体を皮の軽鎧で包んでおり、歳はアーデさんの三つ上…あ、いや、同じくらいなんだけど、受ける印象は真反対。
短めに切られた燃えるような真っ赤な髪と同じ色の瞳が、リズちゃんの活発で直情的な性格をよく表していた。
ただ、今はその瞳をどんよりと曇らせており、恨めしそうに私達を見ている。
「いやだって、リズちゃんは昨日休んだばっかじゃん…。そりゃ、まだまだ先なのも当たり前だよ…」
そんなリズちゃんに、メイがジトッとした目を返す。
ちなみに一昨日のリズちゃんも今のメイと同じような状態で、帰り道で会った時には喜色満面で小躍りしていた。
仲いいよね、ふふふ。
「休んだってあんた、一ヶ月ぶりにたった半日だけよ!?何なのよ、この仕事量は!?なんで軍にいた時より今の方が忙しいのよ!?」
二人の様子にほっこりしていると、リズちゃんがクワッと目を見開いた。
メイもよく同じような顔をするけど、実は小さい頃にリズちゃんの真似をしたのが元々であり、それを知っている私はますます頬を緩めてしまう。
「それはお母さんに言って…」
「無理に決まってるでしょうが…。サトリさんに文句を言うなんて、ドラゴンに戦いを挑むようなもんよ…。なすすべもなくまたお説教されるのがオチね…。あ~…、この前のも辛かったわぁ~…。流石にマンドラゴラの時ほどじゃなかったけど」
げっそりした顔でまたため息をつくリズちゃん。
リズちゃんは昔、帝国軍に所属していたことがあって、理由はやっぱり聞けていないんだけど、私達が五歳の頃この村にやってきた。
元軍人らしい体力と身体能力の高さを活かし、狩りや夜の見回り、他にも護衛や運搬といった仕事を担当していて、他のみんなと同じように毎日忙しく働いている。
時々こうして不満を口にしたりもするけど、快活な性格のリズちゃんはメイと同じく、いるだけで周りの雰囲気を明るくしてくれる。
けど、反面ちょっと子供っぽいところもあって、メイの次にサトリさんにお説教される頻度が高かった。
なので二人並んでお説教されることも度々あり、ロックさん達からはお説教コンビだなんてからかわれている。
「あー、今日もいい天気ねぇ…。サボりたくなってくるわ~」
「ホントにねぇ…」
案の定、眩しそうに目を細めて彼方を見つめながら、二人がそっくりの顔で呟く。
いい天気→サボりたくなる、という流れが謎なんだけど、二人には通じるらしい。
ともあれ、このまま二人がサボるなんてことがあれば一大事であることに違いはなく、ほのぼのとするメイ達の一方で私は大いに狼狽えていた。
ど、どうしよう…!
何故なら、今日は狩り。
二人がサボることはすなわちお肉がとれなくなるということであり、すでに明日の夜に至るまで綿密に練り上げたご飯の計画が、すべて台無しになってしまう。
私にとって、それは致命打にも等しい。
「あ、あの、二人とも…?どうかサボるのだけは…」
「分かってるわよ。冗談よ、冗談。ミメイじゃないんだし、そんな堂々とサボったりなんてしないわよ。ちゃんとあんたが食べる分の肉も狩ってくるから、そんなこの世の終わりみたいな顔はやめなさいって」
「むむっ、私だって流石にソラちゃんがいるときだけはサボらないし!人をサボり魔みたいに言わないでよね!」
「いや、あんたは立派なサボり魔でしょうが…」
でも幸いただの杞憂だったようで、口を尖らせるメイをいなしつつ、リズちゃんが表情を苦笑いへと変えてヒラヒラと手を振った。
「なんだ、よかったぁ…。えへへ、早とちりしちゃった。ごめんなさい」
「まったく、本当にあんたは食い意地が張ってるわねぇ…。というか、そのほっそい身体でよく食べるわよね、あんたって。それでそのプロポーションなんだから、世の中不公平よねぇ…」
しかし、ホッとしたのもつかの間。
話しているうちに、段々とリズちゃんの目が怪しく光り始めた。
あ、な、なんか嫌な予感が…。
「やっぱり全部胸にいってるのかしらねぇ…。ってあんた、また成長したんじゃない!?」
「え、ええと、リズちゃん…?」
「かぁ~、いったいどこまで大きくなれば気が済むのよ!そういえば、ララちゃんも大きかったもんねぇ…。……。……ふむ。これは姉貴分として、ちゃんと確かめておかないといけないわよね?というわけでどれどれ~、どのくらい成長したか、お姉さんに見せてみなさ~い」
「え、いや、それはちょっと…」
案の定、げへへと悪い顔になって、両手をわきわきさせながら近づいてきたので、同じ分だけ後ずさってしまう。
リズちゃんは時々こうして、胸のことでからかってくることがあった。
うぅ…、私も好きで大きくなってるわけじゃないんだけど…。
正直私は、自分のこの大きな胸があまり好きじゃない。
だって胸なんてあっても変に視線を集めるだけだし、動くときも何かと邪魔になるのである。
だから、むしろ小さい人のことを羨ましいとすら感じているんだけど、何となくそれは口にしてはいけないような気がして、今日まで心の中だけに秘めている。
「酔っ払った変質者みたいだよ、リズちゃん…。もはや顔だけで捕まるレベルだよ…」
そんなわけでにじり寄ってくるリズちゃんに怯んでいたものの、するとメイがため息をつきつつ、その肩に手を置いて止めてくれた。
「そうは言ったって、こんだけ大きけりゃ、そりゃ触りたくもなるでしょ?で、あんたの方は……」
ニヤリと、続けてリズちゃんが今度はメイの方を向く。
しかし。
「……」
少し視線を落とすなり沈黙し、一間空けて再び顔を上げた時には、さながら聖母様の如くすごく優しい表情になっていた。
瞬間、クワッとメイが目を見開く。
「うがーーっ!!何っ、その哀れみの目はっ!?リズちゃんだって私とそう大きくは変わらないじゃん!?言っとくけど、山と比べれば、丘も平野も空気抵抗的にはほとんど差はないんだからね!?それに私はリズちゃんと違って、まだこれから大きくなる可能性があるんだから…って、いひゃい、いひゃい!」
そのまますごい勢いでまくしたてるも、みなまでは言えずに、むんずと両手で頬をつままれてしまった。
「あら~?あんたは何かを勘違いしてるようだけど、私だってまだ成長のチャンスはあるのよぉ~?何故なら、私は永遠の十・八・歳♪なんだから。いい?大事なことだからもう一度言うけど、私は永遠の十・八・歳♪…去年も今年も来年もこの数字は不動なのよ?分かったわね?」
ゴゴゴという音が聞こえてきそうな雰囲気で、にこりとリズちゃんが微笑む。
咄嗟に出てきた、永遠に十八歳なら成長もしないのでは…?という疑問は間違っても口にできず、やはり心の中だけに留めておく。
「なのに、あんたやあのお馬鹿三人組ときたら…。私のことを『三十路目前のおば○○』だとか?『行き遅れ』だとか?『お姉さんって…ぷぷッス!(笑)』だとか…。むきぃぃーーー!!思い出したらまた腹立ってきた!あいつら、あとでぶっ飛ばしてやるわ!」
「わらしはんへいはふはい!?(私関係なくない!?)」
言いながら色々と思い出したらしく、ぺちぺちと手で抗議するメイにも気づかず、キッと村の方を睨みつけつつ、みょいーん、みょいーん、と勢いよくほっぺたを伸ばし始める。
メイのほっぺはスベスベもちもちと、赤ちゃんみたいにとても柔らかくて触り心地がいいため、それが災いしてよくこうしてリズちゃん達にいじられることがあった。
そ、そんなに気にしなくてもいいと思うんだけどなぁ…。
実は、リズちゃんは最近自分の年齢をものすごく気にしていて、関連する言葉が出てくると、途端にこんな感じになってしまうのだった。
そして今本人が言っていたように、冗談が大好きなロックさん達が、このことでちょくちょくリズちゃんをからかっているらしく、近頃は度々、道ばたや工房周辺で三人が伸びているのを見かける。
元軍人のリズちゃんは狩人としてだけでなく、護衛としての腕前にも長けているのである。