誕生日に欲しいもの
朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。
早朝、カーテンを開けると霜で庭の木が白い葉が生えたようになる。もう少ししたら、雪も降るだろう。
新しい年がやってくる。しかし、私には新年の前にもう一つ行事があった。
「誕生日なのよね……」
誕生日を楽しみにしていたのなんて、子どもの頃だけだった。
私の誕生会は大きなパーティーではないが、諸侯が多く集まるのが恒例だ。もちろん私を慕っての事ではない。
誕生祝いなどはついでで、私への挨拶が済めば、次年度に向けて隣接する領主同士が非公式に情報を交換する場になる。
それはそうとして、私にとっては妹に会える最後の日になるかもしれなかった。
年をまたげば妹はサルベリアへ嫁いで行く。次は、いつ会えるかもわからない。妹に会っておかなければと気もそぞろだ。アイリーンは私にとって、特別な妹だから。
「それは、おめでとう。何か贈り物をしようか?」
ミスティの心のこもらない祝いの言葉にため息をつく。
最近はあまり城に来ないミスティだが、ジェームズが今日は休みをとると言い張ったらしく、書類を持って私の部屋に来ている。
「要らないわよ。私の誕生会なんて退屈なだけ。それより、アイリーンと暫く会えなくなるなって……」
「年末にサルベリアへ出発するのだっけ?」
「そう。今までだってそんなに頻繁に会えていたわけじゃないのだけれど、サルベリアへ行くとなると、もう簡単には会えなくなるもの」
「王族って妹と会うのも面倒なんだな」
「ほんと、つまらない政策を始めたものよね。家族にもなれないのに、きょうだいばかり増やして」
王妃の子以外は城に住むこともできない。アイリーンとここで暮らせたら随分と心強かったはずだ。
「誕生会って婚約者は何か役目があるの? 去年は参加しないで済んだけど、今年は俺も出る?」
「そうね。私は挨拶を受けるのに忙しいから、あまりかまってあげられないと思うけど、いてくれた方が助かるわ」
「別にクララベルにかまってくれとは言ってないし。ダグラスも来るなら俺はダグラスとでもつるんでるよ」
ミスティの口からダグラスの名前が出たことに驚いた。
仕事でフォレー領に行った時、ダグラスの屋敷に滞在したようで、それから書簡をやりとりしているそうだ。
ミスティがバロッキー家と関係のない人と交流を持っている所を見たことが無かったので、少々意外だ。何にしても、ダグラスは信頼できる人物だし、ミスティが交際するのはいいことだと思う。
「そう。ダグラスといるなら安心ね」
私の誕生日にはバロッキー家から毎年、素晴らしい細工の装飾品が届く。いつも私が身に着けさせられている仰々しい物とは趣が違うから、きっとジェームズが選んでくれているのだろう。
「そういえば、私、ミスティの誕生日に、何か贈り物をしたかしら?」
「絵の具を貰ったよ。あとは、なんだっけ、刺繍?」
「ああ、そうだったわね、サリが何か手作りの物がそれらしいからって、匂い袋を縫ったのよね」
あの時、大きな喧嘩をしていた時で、贈り物を考えるのも手配するのも嫌々だったのを思い出した。
結局、実用的なものでいいだろうと、集めていた絵具の中から欲しいと言ったものをミスティに与えたのだった。その後に、さすがにそれでは恋人らしくないとサリに言われて、嫌々匂い袋に刺繍をした。
この二年、婚約者だというのにミスティにちゃんとした贈り物を選ぶことがなかったことが悔やまれる。
番だと分かっていたら、もっと気の利いたものを用意したかもしれないのに。
(……その考えはなんだか未練たらしいくていやだわ)
ミスティの次の誕生日がくる頃には、私達は婚約者ではなくて妻と夫になる。
「もう来年の誕生日には俺はいないかもしれないんだからさ。何か強請っておけば? 財政がいまいちなカヤロナ家じゃ高価すぎて手に入らないものもあるだろ?」
「清貧と言って欲しいわね。無駄に使っていないだけよ」
確かに、カヤロナ家が買い求めるには手の届かない価格帯の美術品はある。既に価値のあがってしまったものは私にはどうにもならない。
私が芽を出す直前の芸術家を探すのに熱心なのは、国庫を当てにしなくてもいいからだ。新人の作品も、有名になって値が吊り上がれば私個人が求めることは叶わない。青田買いだけが私に許された贅沢だった。
有名になりすぎて買えない絵をバロッキー家から贈ってもらうのはいい手だ。
形式上バロッキー家から何かしら贈り物を受け取らなければならないのだし、絵なら毎年贈られる装飾品より安価だろう。さて、誰の作品をお願いしようかしら。
「――なら、ミスティ画伯の描いた絵はどうかしら?」
真っ先に思いついた画家の絵は、経験上、願っても手に入れられないものだと思っていた。
「いいよ。どんなの?」
「ええっ?!」
まさかミスティがすんなり承諾するとは思わなかったので、自分の耳を疑った。
冗談ごかしていったのは直ぐに却下されてしまうと思ったからだ。だから、こんな風に続きを促されるとは思っていなかった。
「ええと、どんなって……ミスティが描きたい絵なら、なんだって……」
続きを考えていなかったので、しどろもどろに希望を告げる。
「誰にも見せないって誓うなら描くよ」
「え、本当に? 本当に、本当にいいの?」
めったにないチャンスに何度も確認をしてしまう。
今までミスティは、一度だってこの願いをきいてくれたことはなかった。
「クララベルこそ、本当にそれでいいの? マルスの伝手を使えば南国の珍しい作品だって手に入る」
「今までだって冗談や酔狂でお願いしていたわけじゃないわ。私、ミスティの絵がいいの」
私の熱弁に、ミスティは呆れ顔で書類を閉じた。
「熱心なことだね。クララベルはさ、おかしいくらいにミスティ画伯の心棒者だよな」
「なによ、何かおかしいことを言った? 作品と作者の人間性とは切り離して考えるべきだわ。作者がどんなに意地悪でも、作品に罪はないのよ」
「はっ! 俺、性格だっていいし」
「やだ、機嫌を損ねないで。今日のミスティは性格も最高よ! 今日だけは、全然大嫌いじゃないわ!」
にじり寄って力説する。
ミスティが絵を描いてくれるのなら、少しぐらい媚びを売るくらいのことなんでもない。
「なに? お礼にキスでもしてくれるの?」
「まぁ! キスでいいなら安いわね。ほら、いらっしゃい! どこにするの?」
「いや、いいし。なんだよ、おまえ、絵に対しての熱量が気持ち悪いんだよ」
前のように頭を捕まえようとすると、ミスティは急いで私の隣から身二つ分ほど遠ざかった。
こんなに嫌がられるのは気に入らないが、今日は許そう。
「なら、今から描こうか? 今日はこの後、何も用事が無いだろ?」
「今から?」
「素描だけ描いてしまって、家で仕上げるから」
「何を描くの?」
「何って、ここで描けるものって、クララベル・カヤロナ姫しかないだろ?」
「――肖像画を描くの?」
ミスティは何も言わずに口の端だけを上げた。
描いてくれると言ったくせに、なんだか少し機嫌が悪そうだ。何か考え込んでいる。
「この際、モチーフはなんでもいいんだ」
独り言のように言って、無駄のない動きで画材を用意していく。
どんなふうに何から描き始めるのか興味があるが、自分がモデルではそれを確かめる術がない。
「なんだ、なんでもいいのね」
「美しい物でも美しくないものでも、俺が描くことに意味があるんだろ? ほら、美しい物として描かれたいんだったら、口の端を下げてないで、そこに座って。姿勢はどんなでもいいけど、長く座っても疲れない姿勢がいいか」
私はいわれるままに微笑を浮かべてソファに深く腰かけて背もたれに寄りかかる。
見定めるように、ミスティの冬の湖のような色の目がこちらを見ている。
「それでいい」
厚手のサテンの袖をめくり上げて、アトリエに置いてあった画材をここに運んでくる。
ミスティは出会った頃の少年の愛らしさを脱ぎ捨て、手足の長い筋張った生き物に変わってしまった。レトの訓練のせいで、最近などはひょろひょろだというわけでもない。
ジェームズと色も質感も違う髪。イヴのものともまた違う。
夕方の光のように赤く緩く波打つ髪を掻き上げ纏め上げる。少し前まではミスティの髪はもっと毛質が細くて絵画の天使のようにくるくると丸まっていたのだっけ。
前髪をあげると、皆に見せている柔らかな美貌とは違う、人の弱点を容赦なく突いてくる性格にふさわしい酷薄な印象になる。
モデルとしてミスティに見られるはずが、こんなにまじまじとミスティの作業を注視できる場面になって役得だ。
キャンバスを出したり、木炭の芯を抜いたり、準備に忙しそうなので、今のうちにと、靴の編み上げを緩めようと前にかがむ。
「動くなって」
「靴がきついのよ。緩めるくらいいいでしょ?」
「座ってて」
ミスティはソファの前に跪くと、器用に靴紐を緩めていく。緩めただけではなく、つるりと靴を脱がされてしまう。
「なにするのよ」
「ソファに足を上げておけばいい。長く座ると疲れるだろ?」
目が見えるようになってだいぶ経つのに、ミスティは私の体調をずいぶん気にしている。
言いながら私の爪先と踵を掴んで形を確かめるように輪郭をなぞる。乙女の足に触れたというのに、相変わらずの仏頂面だ。
少し緊張したのが馬鹿馬鹿しくなって、行儀悪くポンとソファに足を投げ出す。
「馬鹿、俺に靴を脱いだ足を描かせるつもりかよ」
「前は裸婦を描かせろと言ったくせに。レトに叱られたら、ミスティに脱がされたって言うわ」
「いかがわしい言い方をするな」
「事実よ」
「口を閉じて座っとけよ。大口あけてる絵にされたくなかったらな」
ドレスの中に足を押し込まれて、ツンとそっぽを向く。どうせなら、もう少し優しく言えばいいのに。
むくれていると、ミスティがソファに手をかけ私を見下ろし、むんずと顎を掴みとる。
「そっちじゃないって。こっち」
近い距離でミスティの長い睫毛に縁取られた瞳を見据える。相変わらず、ミスティの竜の血は私にピクリとも反応していない。
角度が決まったのか、やっと顎を離して今度は乱れた髪を丁寧に整え始める。
私のミスティは美しい。
恋がどんなものなのか未だによくわからないけれど、番という意味はよくわかる。
どこに触れられても嫌じゃない。
それどころか、もう少し髪を撫でてくれてもいいのに、だなんておかしなことを考えている。
考えが伝わったとは思えないが、丁度いい具合にミスティは私の頭の形を探る様に髪を撫で、頭蓋を確認している。
思わず口の端があがってしまって、ミスティの手が止まった。
「へぇ、そんな顔もできるんだ?」
「そんな顔ってどんな顔よ」
「毛づくろいされる猿みたいな顔」
「どうしてそういう言い方しかできないの?」
絵のモデルは思った以上に不自由だ。
じっとしていようとすればするほどいろいろなことが気になってくる。
本でも読んでいる姿にすればよかったと後悔している間に、不覚にもそのまま眠ってしまっていたようだ。
目が覚めると、目の前にミスティの顔があった。
「動くなよ」
長い指が私の目前に迫ってきて瞳に触れそうになり、慌てて目を閉じる。
ごく柔らかな動きて睫毛に触れられて身震いする。
「なんなの? この間のことまだ根に持ってるの?」
「生え方を見てるんだよ。触らないと感触が表現できないだろ?」
何度か優しく睫毛を撫でられて、次は眉を逆撫でされる。
「くすぐったいわよ」
思わず片方の目を開くと、思った以上に真剣な顔で観察されていて驚いた。
画家の仕事なら仕方ないと、また目を閉じると次は頬を撫でられた。柔らかく顔の凹凸を指の腹で探られる。
「――まだなの?」
「もう少し、な」
ミスティの指は次は私の耳をなぞる。
きっと私はまた猿が毛づくろいされている顔とやらをしてしまっているだろう。
「……そういえばさ、あの絵、何であんなところに飾ってあるの?」
うっとりと撫でられていると、ミスティがボソりと尋ねる。
あの絵とはきっとミスティの描いた私の肖像画のことだろう。
あの絵は私の手元に来てからずっと、ワードローブの鏡の所に飾ってある。
「だって、あんな絵、人に見せられないわ」
私は片目だけを開けて、口を尖らす。
「ふーん。寝間着っぽいから?」
「そうよ! なんだってあんな格好の時に描いたのよ」
「べつに、父さんはどんな絵でもいいって言ってたし。あの後に着せられたちんちくりんな真っ赤なドレスで上手にお辞儀をしている所でも描けばよかった?」
「ええ?! そんなところも見ていたの? 覗きじゃない!」
中庭で気が抜けている所を見られていただけでも恥ずかしいのに、あの後の様子まで見られていたなんて屈辱だ。
メイドたちが着付けに来るまで、赤いドレスを睨みつけていたのも見られていただろうか。
「じゃあ、気に入らないなら返してよ。俺はあの絵、結構気に入ってるんだ」
ミスティはにやにやと笑う。私があの絵を気に入っているのを知っていて、わざと意地悪を言っているのだ。
「あれは、ジェームズにもらったものだから、ミスティに返すのは筋違いよ」
「なら、あの絵の代わりに別の絵と交換しようか」
「なっ、なんでよ?!」
「気に入らないんだろ?」
「……ってるくせに」
「なに?」
「知ってるくせにって言ったのよ! 私があの絵をどれだけ大切にしているか知っていて、そんなことを言うのね。ダグラスが言っていたのを聞いていたでしょ。ずっと探していたのよ。誰が描いたのかジェームズは教えてくれないし。自分で探してもいいだなんて、本当に底意地の悪い話だったわ」




