③酒が入るとかいい歳の男女とか
【麦子視点】
「おおーすばら! 見てーこのトマトの美しいスライス! 私が切ったのよ?!」
「うん、綺麗に切れてる! ハラハラしたけど」
「私が実力を出せばこんなものよ! しかし流石は五徳包丁……切れ味が違う」
「伝説の」
「そう、Amazonからの召喚。 しかしタケオ遅いなぁ……先に始めちゃう?」
「そうだね~」
たっちゃんの買ってきた酒を開けて乾杯した。
楽しい。どうしよう。
(もっと近づきたいなぁ……)
べろべろに酔ってしまえば、この気持ちを告げられるのだろうか、とか、勢いに任せてエロチックな雰囲気を出せるだろうか、とか、ちょっと考えたが……多分無理。
タケオの部屋で見たエロ漫画の様に、幼馴染に乗じてエロいことをするとか、有り得ない。幼馴染というのはリアルでは結構厳しい設定だと思う。
できることと言ったら、昔の話で盛り上がるくらいのモンだ。
もしも真面目な顔をして「ずっと好きなの」とか言って、もし駄目だった場合、イタイことこの上ない。
流されてヤっちゃったりしたら、後腐れがあり過ぎるし、むしろそういう目ですら見て貰えてない感が凄い。
なんせ、ああもサラッと褒められちゃうんだから。
そこはちょっとくらい口説き文句的な要素を醸してくれてもいいだろう。イタリア男ならそうする筈だ。何故たっちゃんは日本男児なのか。
そして何故私達は幼馴染なのか。
しかも隣の家とか。
いつまでたっても諦められないから、サッサと結婚してほしい。
さぞかしいい旦那になるだろう。
「なんで結婚しないの? たっちゃんならいい旦那さんになるだろうに」
「ええ?」
酔った拍子でそんな言葉は出た。
いや、実はそんなに酔ってない。酔ったフリして、聞きたいだけだ。さして酔ってはいないけれど、酒が入ると勢いがつく不思議。
私が忘れるべく努力したのは、カッコイイたっちゃんには当然彼女がいたりしたからだ。今はどうなんだろう。聞きたい。
彼女とか、タイプとか。流れで聞けないもんかな?
たいして酔ってないのはバレてる気がしないでもないが、ちょっとくらい意識するとかしてほしい。
でももし「麦ちゃんは?」とか聞かれたら、どう答えよう。
☆☆☆☆☆
【達成視点】
──いい旦那になる。
アルコールが入り仄かに上気した顔で、小悪魔はまた小悪魔らしくとんでもないことを言い出した。
全くとんでもない小悪魔だ。『とんでもない』と『小悪魔』しか単語が出てこない。
マトモに相手をしてはいけないと思いながら、期待する気持ちとそんな自分への羞恥、無防備にそういうことを言う彼女への怒り。余裕を見せて上手く流さなければという焦りなど、頭に血が上っているのを感じる。
「──相手がいないから……麦ちゃん貰ってくれる?」
酔ってないのに頭がまるで回らない。
俺はなにを言ってんのか。もう無茶苦茶だ。
「貰ってくれる? なにそれ。 いいよ! 貰ってやらぁ!」
「オトコらしい!」
「女ジャイアンだからね」
ひとしきり笑った後で、ビールを一口飲む。軽く溜息が出た。
麦ちゃんから目を逸らす。
「……気を付けた方がいいよ。 そういうの」
「……なにが」
俺は大人だ。少なくとも彼女より。
だからそれらしく注意するくらいいいだろう。
──そんなのは言い訳に過ぎないことはわかっていた。振り回されて、嫌味を言ったというのが事実だ。
つい先程まで浮かれ気味だった麦ちゃんも、俺の苛立ちにトーンを落とす。
多少酔ってはいるけど……ふたりとも、そこ迄じゃない。
麦ちゃんにしてみればヨイショのつもりかもしれないし、もしかしたら俺はまだ彼女にとって『素敵なお兄ちゃん』なのかもしれない。
家にふたりきりだとか、昔は気にならなかったことを色々考えてしまう俺が悪いのかもしれないが、あの頃とは違う。
変な間があく。
なんとなく、麦ちゃんの顔が見れない。
やましい気持ちがバレてしまいそうで。いや、もうバレているのかもしれない。
大体「貰ってくれる?」ってなんだ。貰われる側なのか俺は。劣等感丸出しの口説き文句だ。どうせそんなような台詞を吐くなら、もっとマシな言葉はなかったのか……
い や 、 ま ず 口 説 く な っ て 話 。
(やっぱり来るんじゃなかった……)
後悔しても遅い。
もうどうしようもなく意識してしまっていた。
☆☆☆☆☆
【麦子視点】
また叱られてしまった。
自分だって「貰って」とか言ったくせに、ズルい。
彼女がいないんだって言ってからあんなこと言っといて……ああでも、私の返しも良くなかったのだろうか。
彼女がいなくて嬉しい反面、あからさまにふざけた言い方に頭に来た部分もあった。……悔しかったのだ。今もまだ相手にされてないのだと思うと。
(うう……でもあそこはこう、色っぽく迫れるチャンスだった! 確実にチャンスを逃した!!)
ただ叱られたのは『女性として気をつけろ』、という意味だとは思う。多分。軽いオンナと思われるからっていう。
意識はしてくれている気がする。なんとなく空気が、違う。
気まずいは気まずいのだけど……呑んでるからだろうか。
ふたりはもう毎日顔を合わせていた幼馴染ではなく、いい歳の男女であること。
どんなにあの頃のようなフリをしても、それはあの頃のとは違う圧をもって私の胸を締め付ける。
幼馴染のふたりには、要らぬ話題を振ってしまったのかもしれない。──でも、
この先になにか、言ってくれるなら。
「──たっちゃん、何飲む?」
「ん……あぁ……ん~もう、やめとく」
「…………そう」
たっちゃんは何も言ってくれなくて、空いた酒に気付いて次を勧めるも断られてしまった。……線引きをされたのだ。
ガ ッ カ リ し た 。
思ってた以上にガッカリした。
結局私達は、幼馴染なのだ。泣きたい。
☆☆☆☆☆
【達成視点】
沈黙の後で酒を勧められて、いよいよ困惑する。
全くわかってないのだろうか。
美人局にでも引っかかった気分で断って、勝手に振り回されている馬鹿さ加減に気付く。どういうつもりなのか探るように、あからさまに意識するような話題を振った。
「……タケオ、帰ってこないつもりじゃない?」
「ええ?」
だがダメだ、全然わからない。
そもそもおかわりを断った後にこんなことを言っても、お開きの前フリにしか。ああなんで断ったんだ、俺。
つーか本当にタケオは帰ってくるのか?早く帰ってきてほしい。帰らない気なのかもしれないが……ちゃんとそこは確認しておくべきだった。
──今帰る意思を示さないと、まずい。
そう思いながらも踏み切れない。
今の微妙な空気の中でも、麦ちゃんの気持ちなんか探って、おかわりを断ったことを後悔しているとか。
俺は多分、このまま帰りたくないのだ。
幼馴染でいたいなら、帰るべきなのに。
☆☆☆☆☆
【麦子視点】
──タケオが帰らないかもしれない。
「だからもう、帰る」……そう言われると思っていた。おかわりも断られたし。でもたっちゃんは席を立とうとはしなかった。
「もう7時も過ぎたし……俺が来てから三時間以上経ってる」
ただ少し気まずそうにそう言う。
タケオが帰らないということはふたりきり。それなのにいてくれるのは心配だから?いや、そんな歳でも時間でもないよね?
(もしかして……幼馴染だから躊躇してる?)
私がそうであるように、たっちゃんも。
たっちゃんの表情を見てもあまりよくわからない。
でも酒もなく、ツマミもないのにいる意味もわからない。
(ツマミ……)
「──本当だ。 まあ帰ってきてもツマミもないね。 よし、作ろう」
「麦ちゃん酔ってるじゃん。 危ないよ」
「危なくないよ~」
まず酔ってないのだ。酔いなんかさめた。
だがここはちょっと酔っているフリしとこう。多少あざとくてもいい。むしろもっとあざとくてもいいくらいだ。
「いや危ない」
タケオのツマミなんか本当はどうでもいいが「帰るよ」って言われそうでツマミを理由に席立つ。なんとか場を持たせたい。
「……じゃあ手伝ってよ、たっちゃん」
キッチンの方が、距離感も近いし作業があれば話しやすい。
「ふたりでもいいじゃない」とか言えるほどの勇気は出ない。これが限界だ。
「…………いいけど」
「けど」ってなんだよ。
身の危険を感じているのだろうか。先程のやりとりでも叱られたし、肉食系だと思われてしまったのかもしれない。
だが生憎そんなに器用じゃない。
肉食系だったらもっと上手いこと立ち回り、既になんか違う感じになっている筈だ。
肉食系だったら、私が今手にしているエクスカリバーは、五徳包丁の一振では無い筈だ。
ああ何故私は肉食系ではないのだろうか。
こんなチャンスは二度とないかもしれないのに。
「──あっ」
そんな思春期男子レベルのしょうもないことを考えてたら、手を切った。
それは奇しくも、肉を切っているときだった。




