②キッチンが狭すぎるとか適当な会話とか
【達成視点】
麦ちゃんはTシャツにスキニージーンズという恰好で階段を降りてきた。
少しブーたれながら「お待たせ~……」と言って。
そもそも待たせるのは悪い、と言っていたが、玄関先で少々待った。多分どこかしら直してあの状態だったのだろう。しかし上着を羽織るとかなにかなかったのか。家で寛いでいたとはいえ、隙があるにも程がある。
幼馴染という認識が確認できて良かったが、大人になったふたりの距離感が昔と違うのは当然のことだ。
よくあんな恰好で出てこれると思うが、憧れは憧れであり、男としては意識されてないのかもしれない。
タケオは麦ちゃんの現状をそのまま俺に説明していた。だから今彼氏がいないことはわかっているが、極力そういう意識はしたくない。
だが結局のところ、俺の方が意識しているのかもしれないと思うと少し複雑な気分ではある。
(いやいや……)
今日はあくまで食事の補助的な意味で来ているのだ。
なにを残念がっているのか。
妹分に鼻の下を伸ばしたりするなど論外だ。
くだらないかもしれないが、幼馴染の兄貴分として、あらゆる面で余裕は保ちたい。
☆☆☆☆☆
【麦子視点】
いきなり怒られてしまった。超恥ずかしい。
せっかく今までたまに顔を合わせる時には『イイ女になったぜアピール』をしていたというのに、一瞬にして昔と同じダメな子になってしまった。
(クソ~、タケオのやつぅ~)
やり場のない怒りをとりあえずタケオに向ける。
まだ気軽に隣に遊びに行くタケオのヤツを、どれだけ指を咥えて見ていたと思っている……確かにタケオに私の気持ちなど話した事は無いが、呼ぶなら呼ぶで何故もっと気を利かさないのか。
だが、たっちゃんが昔のように接してくれることが嬉しくもある。今まではカッコつけすぎて挨拶しかマトモに出来なかった私も、最初に恥をかいたせいで昔のように接することができた。
「なにを作るつもりだったの?」
「え、冷蔵庫にあるものでなんかこう、ツマミみたいの?」
「……漠然としてるね。 カレーとかじゃないんだ」
「カレー位作れるもん! 多分!」
「多分。 麦ちゃん昔シャバッシャバのカレー作ってたよね」
「箱の通りに作った筈なんだよ~! だって8皿分だよ?!」
「昔も言ったよソレ」
揶揄いながらたっちゃんは五徳包丁の小刀を指し、「慣れないうちは小さいやつのがいいかも」と勧めてくれる。
昔もこうして一緒にキッチンに立つことはあった。「危ないから」と包丁は持たせて貰えず、ピーラーやスライサーで下拵えを手伝ったものだ。
たっちゃんは普通のサラリーマンだが、高校卒業後は調理師になるつもりで専門学校に通っていた。何故サラリーマンになったかは知らないが腕はお墨付きである。
こんな風に喋るのは何年ぶりだろう。
昔と変わらず接するたっちゃんに私もそんなようにしているが……本当は物凄くドキドキしている。
たっちゃんはスラリとしたイケメンで、誰にでも優しく、とにかくモテた。それはもう、モテモテ王国の王くらい。
だから私はよくやっかまれ、特に中学の頃は先輩から呼び出しを食らったりしていたものだった。だが「幼馴染」は自分であり、変えようのない事実──内心ではザマアミロと思いながら、被害者ぶってこれみよがしにたっちゃんに甘えたりしていた。我ながら嫌なオンナである。
それにキレた先輩と結局キャットファイトを繰り広げたのも懐かしい記憶だ。物理攻撃になった途端に、私も被っていた猫が裸足で逃げ出す無法者ぶりを見せつけ勝利したせいで、『女ジャイアン』という不名誉なあだ名をつけられた。
しかも、当時高校生のたっちゃんにはどちらも子供にしか映っていなかったので相当不毛な戦いだった。
ツマミを作りながらそんな話をしていたら、たっちゃんは笑いながら「そんなこともあったね」と相槌をうつ。
時折手が止まる私と違い、喋りながらもたっちゃんはスムーズに作業を進めていく。
大人の余裕が腹立たしい。
ドキドキしているのは私だけなのだろう。
☆☆☆☆☆
【達成視点】
真鍋家のキッチンに立つのは久しぶりだが、記憶よりかなり狭く感じるのは俺が太ったからだけではない。
思った以上に麦ちゃんを意識してしまっているからだ。
……当たり前だがどうしても距離が近い。
幸いなことに、麦ちゃんは昔と同じように気軽に話しかけてくれる。だが居た堪れないのが、それが俺のモテ話だということ。
自分の過去の栄光なんか褒められても恥ずかしくて仕方ない。あのころ麦ちゃんの自慢が俺だとしても、今や立場は完全に逆転している。
普通の恰好をした麦ちゃんは、普通に美人である。料理の慣れてない様子も可愛らしい。いい匂いがする。
意識したくないのに距離がキツい。
変な劣等感や劣情が持ち上がらないうちに、おどけてみせた。
空気を変えたい。
「あの頃の俺は可愛かったからねぇ」
「自分で言った!」
「いいじゃん、言わせてよ。 今はこの通り太ったし、親父に似てるから、髪も結構ヤバいんじゃないかと。 既に大分キてる」
「ホラ」と言いながら前髪を上げるが、どう反応していいか困らせたみたいだった。焦りを悟られないように、すぐ言葉を繋ぐ。
「その点、麦ちゃんは変わらないなぁ」
「……そこは綺麗になったって言うとこでしょ? まあ今、スッピンだし、こんな恰好だけど……」
「いや、今日も可愛いよ。 普段は綺麗になったなぁと」
「適当だなぁ」
「いや本当本当」
しまった、変な話題を、と思ったが、極力淀みなく適当に言うことで切り抜ける。だが、本心だ。
口にしたせいでそれを自覚する。本心だ。ヤバいくらい、本心。
……空気を変えるつもりがこの体たらくとは。自覚してどうする。
「たっちゃんもカッコいいよ」
俺に倣ったかたちか、適当な感じで麦ちゃんはそう言った。
悪戯っ子のような笑顔はもう、昔の様には映らない。
……小悪魔がいる。そう思った。
このままではアッサリ気持ちを持ってかれてしまう。
隣の娘に不毛な恋心など抱きたくない。なにしろ隣だ。何も無くても期待できてしまう距離。
そしてバレて上手くいかなかったら、これ以上居た堪れない距離もないだろう。
(さっさと作って食って帰ろう……!)
俺は手際よく作業を進めることに専念することにした。
☆☆☆☆☆
【麦子視点】
「今はこの通り太ったし、親父に似てるから、髪も結構ヤバいんじゃないかと。 既に大分キてる。 ……ホラ」
そう言ってたっちゃんは前髪を上げた。
少し腰を屈め、触れられる距離。冗談でもその近さはヤバい。
触れたくなってしまう。
『でもそんなたっちゃんもセクシー。 お腹も可愛いじゃない』
冗談交じりにそう言って、軽い感じでお腹や頭に触れたら引くだろうか。
そんなことばかりを考えてしまう。
(──ああもうイヤになるなぁ……)
だが剥き出しにあざとく、オンナにはなれない。
あまりにも今更過ぎる。何故今まで距離を置いたのか……カッコつけすぎたせいだ。イイオンナになったと思わせたかった自分の馬鹿さが憎い。
「たっちゃんもカッコいいよ」
適当に「綺麗」とか「可愛い」とか言うたっちゃんにムカついて、適当に返してやった。
これが本心だとは、よもや思うまい。
距離が離れてしまった自覚をした私は、忘れようとする方に努力をした。しかしどんなカッコいい人といても、どうしてもたっちゃんと比べてしまっていた。
……で、勝つのはやっぱりたっちゃん。だから続かない。
たっちゃんに彼女ができても、私に彼氏ができても、成人しても……マトモに会わなくなっても。
この数年、精々道すがら挨拶する程度にしか顔を合わせなかったというのに。お腹が出ても、髪が薄くなっても結局そうなのを、この後に及んで実感させられるとは流石に思ってやいなかった。
誰かのせいにしたいのでとりあえずタケオを呪う。
そうこうしているうちに、ツマミが何品かできた。




