第一話 魔王、下界へ
私は魔王クロスという名前をいったん捨てた。
魔王と明らかにわかる漆黒のマントは魔王城の自室に置き、『ザ・チェンジ眼鏡』をつけて体外に放出されてしまう魔力を抑え、そこら辺の一般魔族とあまり変わらない、地味な格好に着替える。
そして、何百年ぶりか、魔王城城下町ーサザンクロスへと降り立った。
露店が立ち並び、魔族たちがいきかいにぎわう大通り。
商人たちが行きかう人々に自分の店のセールスポイントを高らかに宣伝する。その声があちらこちらで響き、やかましいのだが、何となく心地がいい。
「う~ん……流石だな。アモンは」
魔王軍四天王の一人、『烈火剛将アモン』。四天王で最も強大な魔力を持ち、武芸にも長けている最強の配下。彼がこの街を治めている。
文武両道とはまさに彼のことを言うのだろう。彼に任せた魔界で最も重要なこのサザンクロスの街。完璧に治めている。通りを歩く住民たちは笑い合い、何も不平不満は感じていないようだ。
「うまいようまいよ! マンドラゴラのクッキーだ!」
目が合った露店のおやじが顔型のしみがついたスライスされた黄色い菓子を私に見せつける。
マンドラゴラ……あれは薬に使うもので嗜好品として食べるものじゃない。万病には効くが……他の魔界の魔草にはない特有で強烈な苦みがどうも私は苦手だ。
「おい、兄ちゃん一口どうだい」
おやじは完全にこっちをロックオンしていた。
仕方がない。情報収集のとっかかりは必要だし、庶民の食べ物を口にする機会など滅多にない。これも一つの勉強だと自分に言い聞かせ、マンドラゴラのクッキーなるものを食べることにした。
「おやじ、では少しもらおうか」
「おう! いいね兄ちゃん。まぁ一つ食ってみな」
「あぁ……」
手のひらに乗せられた顔のしみのついたお菓子を見つめる。
アァァァァ……とマンドラゴラのクッキーが悲鳴を上げているようにも見える……。
意を決して口に入れた。
「……‼ 美味であるな! これは」
「おう、だろう! 人間の国から取り寄せた魔法で作った砂糖、『マジカルシュガー』を使ってるからマンドラゴラの苦みを完全に消せるんだぜ!」
「ふむ! ならば最初から苦くないものを使えばもっと美味になるのではないかと思うのだが、深くは問うまい! 一袋もらおうか!」
「おう、気前がいいねぇあんちゃん!」
気のいいおやじは上機嫌でマンドラゴラのクッキーがたっぷり入った袋を差し出す。
私は懐から金貨が入った袋を取り出しながら、
「ところで、店主。あなたに聞いても仕方がないかもしれないが、キティという名の子供を知らないか? 私は子供というだけで種族も男か女かも知らないのだが」
矢文が魔王城に届けられ、子供が書いたものなのだからこの城下町のどこかに住んでいるのだろうと試しに聞いてみた。
すると、おやじは眉間にしわを寄せた。
「あんちゃんも被害にあったのかい?」
「被害?」
「ここいらで有名な悪ガキだよ。盗みを働いて生計を立てている」
「そうなのか? では、私が探しているキティとは違う子かもしれないな。両親がいなくて困っていると私に助けを求めてきたのだ」
「ああ、そうかい。だけど、多分それはキティのいたずらだぜ。奴は孤児なんだ。地下水道をたまり場にして盗みをして生きてるドブネズミみたいなやつだ。金持ちっぽい兄ちゃんにたかろうとしたんだろう。気を付けた方がいいぜ。隙を見せるとすぐに足元救われるからな」
「そうだったのか……」
心にもやがかかったが、おやじに金貨を差し出し、マンドラゴラのクッキーを受け取ろうとした。
だが、おやじは目を見開き、
「そんなに要らねえよ! クラス銅貨一枚だよ!」
「そうなのか? だが、今は金貨しか持っていない……」
「じゃあ早くしまえ! じゃないと……」
おやじの尋常じゃない慌てように首をかしげる。
ぴゅー!
瞬間、一陣の風が吹いた。
どこからともなく現れた黒い人影が私の手から金貨袋を奪い、猫のように一瞬で人ごみの中へと消えていく。
盗まれた。
手持ちの金はおやじに払おうとしている金貨一枚だ。
「キティだ!」
「ふむ?」
「今のがキティだ! あんた早く追いかけな!」
今のが……?
姿は全く見えなかった。あの素早い動きからして盗み慣れしているのは間違いない。
悪ガキのキティが私に助けを求めていたキティか、それともまた別の子供なのか。
とりあえず確かめるためにキティの行方を追うことにした。
次もまた二日か三日後ぐらいにUPします。