成長とは
砂浜ガールズフェス、並びにDIFを終えた後、地元に帰ってきた俺はバイトに興じる日々だった。
遠征費用の出費を取り戻すためだ。
あれから数日、俺は誰とも連絡を取っていない。
一紗は俺に言いたいことがあると言っていたが、あちらから連絡が来ることもなかった。
俺も一紗には伝えたいことがある。
しかし三浦海岸でした電話を最後に俺は彼女に連絡を取ることを控えてしまっていた。
特に理由はない。
なんか気まずいからだ。
どういうわけか自分の中で今年の夏のイベントは全部終わったな~、なんて気分になってしまっている。
しかし、毎朝バイト先に向かう道ではクマゼミが自分の全生命を訴えるかのように鳴いていた。
まだやるべきことが残っていると言わんばかりに、夏は終わりを告げない。
自分でも分かっているはずなのにな……
それは、やるべきことというよりは俺自身がやりたいことであるはずなのにな。
夏の日差しはまだまだ眩しすぎる。
暑さはそんな自分のダメな部分を強調させる。
俺は発信ボタンを押すことがなかなかできないでいた。
一日、また一日と夏休みは過ぎていく。
八月も下旬に差し掛かった平日の朝だった。
基本午後にバイトを入れていた俺であったが、なぜかその日は朝の六時前くらいに目覚めた。
いつもなら惰眠を貪っているこの早朝の時間帯、すっきりとした目覚めだった。
俺は服を着替えて歯を磨いて、家を出ていた。
運任せというか神頼みっていうかこういうのをなんていうのか分からないけど、一紗に会えたらいいなっていうわずかな軽い気持ちであの公園を目指した。
そうしたら、同じ場所で同じ歌声が聞こえてきたのだ。
その軽い気持ちが結実するかのように。
以前の俺は自分の意思を自分で決めることさえできない人間だった。
人とのコミュニケーションを避けていたのは自分のスカスカの中身を知られるのが怖かったからだ。
いや、少し違う。
自分の意思が拒否されたりあるいは肯定されたりすることそのものに恐怖に感じていて、わざわざ人の反応を見るリスクを冒すくらいならはなから考えなければいいと。
今も人と話すときはその名残があるような言い回しをしてしまう。
何を考えているのかよく分からないと言われることが子供の頃からよくあった。小学校の通信簿にも担任の教師に書かれた記憶がある。
感情を表に出さないというよりは、感情そのものが希薄だったのかもしれない。
だが今、俺が一紗に伝えたいことがあるという思いだけは確かに自分の中にあった。
それを一紗以外の誰かほかの人に言うわけでも主張するわけでもないのだが、中身のない人間だとは自分では思わない。思考を放棄しているとは感じない。
声のする方へと歩みを進める。
確かに、一紗の様に夢があるわけでも、朱の様にやりたいことが見つかったわけでも、綾乃の様に今自分のやりたいことがどんどん出てくるわけでもない。
だけど、俺は彼女たちと関わることで変わることができた。変わったという実感は無いけど以前までといろいろな物事に関する感じ方が変わったから。
自分で情報を収集して、それを考えて、実行に移す。
そんな単純なことさえ、数か月前の俺はできていなかったのだ。
枝葉の間から差してくる太陽の光が視界をきらきらとさせる。
自分で決断して実行する。
それは成長といえるのかどうか怪しい。
おそらくマイナスが一般人になっただけなのだろう。
しかし、俺の中にある一紗に伝えたいことはその証明になる。
だからそのわずかな気持ちが現実になったのだと想像することにした。
偶然と言われれば偶然かもしれない。
それに俺の意思は介在しないのかもしれない。
だが、そんなこととの関連性はどうでもよかった。
彼女の歌声はまだセミが鳴き始める前の涼やかな森林の公園で心地よく聞こえてくる。
力強いというのとは少し違う、繊細でガラス細工のように儚げであるにもかかわらずその奥深くに確固たる意思のある声だ。
以前彼女にこの場所で出会ったのはフェスの前日の昼前の時間帯だった。
その時と同じく、彼女はワイヤレスのイヤホンをつけて踊っていた。
その姿を見て俺は再度息を呑む。
静かに彼女がステップを踏み、きらりと汗がはじける。
美しいとかそういう次元の感情を超越した、俺の心に直接訴えかけてくるような佇まいだ。
俺が初めて彼女のライブを見たときと同じ印象を受ける。だが、その精度と技術は格段に上がっている。
なぜかあの時の俺は彼女から友達がいないと聞いて、アイドルとして活動するような人間と共通点があるというように少しだけ嬉しくなってしまったのだ。
それが似て非なるものであると分かったのはすぐだった。
構成要素から、その道筋までもが全て違ったのだ。
学校で彼女の周りに人がいなかった原因は今の俺が推察してみるとこうだ。
彼女の異常なまでの目的意識とそれに伴う勤勉さが現代の高校生とはかけ離れていたものだったからだ。誰にも迎合せず、すべてを自分の努力と実力のみで達成させてきた一紗にとって「学校の友達」というのは必要なかったのだ。
早朝にたった一人で個人練習をするほどに。
対して俺の周りに人がいなかった原因はそれとは正反対で、自分の目的意識の無さ、活動力の無さ、そしてその自分自身に自分が怯えてしまっていたことだ。
だから他人との関わりを避けていた。
本当は今も彼女には友達というのは必要ないものなのかもしれない。
だけど修学旅行のあの日以降、彼女が学校で過ごすのが苦ではなくなったように思う。
そしてそんな一紗と関わる俺も。
二人の誤認識は結果的にそういう働きをした。
手品で絡まった紐を引っ張ると一直線になるように。
言うまでもなく、彼女はアイドルである。
アイドルであるという記号はやはりどこか現実離れした印象がある。
未だにアイドルというか、芸能人とかエンターテイメントを提供する人たちはすべて、俺たちとは違う存在なのだと考えてしまう。
しかし前回の邂逅のときの感動よりも、今俺は彼女に伝えたいことがある分、彼女の存在を、そして彼女は偶像ではないのだ、と再認識する。
彼女の性格は理想的過ぎて人間離れしていたのかもしれない。実はそれはものすごく人間味がある性格なのだ。
友達が欲しいと願い、そしてそれを実行した彼女の行動は最もその性格が表れているのではないだろうか。
しばらくの間、彼女のダンスを観察しながら思考を巡らせる。
学生らしい溌剌とした動きのあるダンスに反して、彼女の表情と歌声は大人びていて妖艶だ。
以前の俺は彼女に憧れていた。
ストイックで何事も妥協しない彼女にどこか雲でも見るようなそんな憧れを抱いていた。
夢があり、それだけに邁進する器用さがひどくうらやましく感じていたのだ。
俺に無かった「意思」を持った人物の代表として彼女を見ていたのかもしれない。
フィギュアスケートの広い氷のフィールドの周りに集まる有象無象として。
それこそ、ステージとは反対側の観客側のオタクとして。
だが今は違う。
彼女、もとい彼女たちと共に過ごすことで、彼女たちは俺と同じ人間なんだと分かったのだ。
一紗だけじゃない。朱や姫宮先輩もすごく人間らしい人間だ。
その性質が全く違うものであったとしても。
アイドルであってアイドルでないのだ。
錯覚していて、さらにその上色眼鏡までつけていて、それに写る像を信じ込んでしまっていた。
普段だとかライブだとかで俺が見た笑顔や泣き顔や、悔しそうな顔や、嬉しそうな顔、そういったものが俺にそう判断させたのだ。
そして、彼女が握手会で俺に見せた笑顔もその一部であると。
そして、それと同時に俺自身がそのような人たちと対等に向き合えたという事実が、自信となって人間性を獲得できている。それはまだ現在進行中ではあるが。
だから俺は見惚れて眺めているだけじゃなくて、同じ座標軸にいる存在として彼女に声をかけた。
「ひさしぶり」
ただのオタクではなく、一人の人間として。
「っ! 立華君!」
彼女の反応は意外なものだった。
少しだけ驚くような、そんなような反応。
今日も読んでくださりありがとうございました。
次で最終話になります。
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