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信頼すること

 夏休みに入り、今日は遠征の前日。

 

だが遠征費もバカにならないため、前日であるにもかかわらずバイトを入れた。夏休みはもうほぼ毎日バイトになるだろう。


 公園内をバイト先に向けて歩いているときのことだった。


 クマゼミの鳴き声の勢いが少し落ち着いた時間帯。


 その音の中から聞きなれた歌声が遠くの方から聞こえてきた。


 透き通っていて綺麗、それでいて芯のある声。


 音楽は無く、彼女の声だけがうっすらと聞こえてくる。


 俺はその声のする方へと歩を進める。


 公園内はちらほらと散歩をする人がいる。


 その歌声のする方へと進むと徐々にすれ違う人の数は減っていく。


 数十平米くらいの範囲に植物の屋根がある区画、その陰で一人の少女が汗をかいて踊っていた。

 

 やはり予想通りその声の持ち主は一紗だった。


 俺は彼女が踊っている横からその姿を眺める。


 彼女は俺に気付くことなく歌とダンスを続ける。


 昼前の時間帯は一日の中で最高気温ではないとはいえ、真夏のこの時期にわざわざ外で彼女は練習していた。


 彼女も遠征の前日のはずなのにである。


 その姿に息を呑む。


 美しくて、心が冷えていくような感覚を覚える。その空間だけ誰もいないフィギュアスケートの会場みたいに。


 曲が終わったようで彼女は耳に着けていたワイヤレスイヤホンを外した。


 彼女の一挙手一投足が俺の視線を釘付けにする。


 ベンチに置いてあるドリンクボトルを手に取ろうとしてようやく彼女は俺の存在に気付いた。


「あ…… 見てた?」


「見てた」


 オウム返しの様に俺は答えた。


「もう前日なのにわざわざ外で練習しなくても」


「売れない地下アイドルはスタジオ使えない時だってあるのよ」


 彼女は合同練習以外に一人で練習するのが当たり前かと言わんばかりにそんなセリフを言う。彼女のストイックさは前々から知っているが、改めてその光景を目の当たりにすると自分が置いてけぼりにされている気がする。


 上の方を見上げても太陽の光で見えないくらいだ。


 いまだに朱の告白にどう答えるか決めかねている俺とは対照的だった。


 俺は一紗に憧れているのかもしれない。


 絶対にその期限を守らなければならないというわけではないのだろうが、姫宮先輩から言われた期限はすでに明日に迫っている。


 彼女はドリンクボトルに口をつけて水分を補給し、そのあとで汗をぬぐった。


「まだ移動しなくていいのか?」


 ベンチに座り、彼女もその隣に腰かけた。


「今日の午後から新幹線」


「そっか」


「立華君は?」


「俺は夜行バスだ」


 金がないからな。三人仲良く夜行バス。


「じゃなくて、今の話」


「あ、ああ。今からバイト」


「なら、お互い様じゃない」


 彼女は笑って答えた。


 そして、それから数分間きまずくなるような時間が過ぎた。お互い無言で、俺の推しアイドルと一緒にいるのに時間を浪費するような感覚だった。


「「あの」」


「なんだ?」


「立華君こそ何?」


「いや、俺のは全然しょうもない話だから」


「なんか逆に気になるね。それ」


 そうも言いながら、彼女はなにかちゃんとした話をしそうな顔をしていた。

 だから俺はもう一度聞いた。


「一紗のは?」


「うん……」


 彼女はもう一口ドリンクボトルに口をつけてから話し始めた。


「朱ちゃんから聞いちゃった」


 一紗は明るい声で答えてくれた。その声音で話しやすい雰囲気が形作られた。


「そうか」


「私、反対って言っちゃった」


「そりゃ、バレたらスキャンダルだもんな。一紗からしたらずっと続けたいって思ってるんだし」


 彼女のフォーチュンに対する思いは、朱の一件で俺も良く理解している。

 

 アイドルと付き合うということはそのアイドルにとってもグループにとっても、そして一紗や朱にとっても障害になる。


「でも朱ちゃんは諦めないって。アイドルも恋もどっちも諦めないって」


「恥ずかしいこと言ってんなぁ…… まあ、あいつらしいけどさ」


「ほんとに、朱ちゃんらしいと思う」


 一紗は諦めたようなそれでいてそれを受け入れたような顔で呟いた。


「でも、一紗があいつと一緒にフォーチュン続けたいってのはあいつも分かってると思うぞ」


「それは私も分かってるつもり。だから確認したの。朱ちゃんもフォーチュン続けたいんだよねって」


「それでなんて?」


「フォーチュンは続けるつもりだって」


「一紗はどう思ってるんだ?」


「立華君の好きなようにすればいいと思う」


 朱に関して聞いたつもりだったのに帰ってきたのはそんな言葉。


 言葉の響きが持つ印象とはかけ離れた口調で、彼女ははっきりとゆっくりとそう言った。


 そのセリフが何を意図して言ったものか判然としなかったが、それは俺の背中を押してくれた。


 朱がそう言っているのなら安心した。


 確信して、俺はベンチから立ち上がった。


「明日のステージ楽しみにしてるよ」


 一言残して立ち去ろうとしたが、一紗に手首を掴まれた。


「ん?」


「ごめん、なんでもない」


 すぐに手を離して俯く一紗。


「……分かった」


「バイト頑張ってね」


「一紗も、練習はほどほどにな」


 自分でちゃんと考えたかと問われれば、そうではないのかもしれない。でも、最も自分の中にある気持ちに素直になることがカギだ。なんだ、簡単なことじゃないか。


 論理的な思考にとらわれ過ぎていた。彼女の一言はそれを砕いたのだ。


 あれだけ悩んで考えたけれど、自分自身の気持ちを信じてやれば簡単に答えは出た。


 目の前ばかりのことに気を取られていて、心に目を向けていなかったのだ。


 先のことばかり心配していたが、一番初めに立ち戻ればおのずと俺の選択は導き出された。そう、一番初めの。


 彼女の望みは俺の望みでもある。それを叶えてやりたい。


 だから、「好きにしろ」っていう言葉はすっきりと分かりやすく自分の中に入り込んでいった。


 こんな言い方だと変かもしれないけど「じゃあ、好きにしてやるよ」っていうニュアンスで。


 バイト先に着くと姫宮先輩は俺と入れ替わりの様だった。


「これから新幹線ですよね」


「げぇっ!! なんで知ってるんですか。ストーカーですか。シンプルに気持ち悪いです」


「一紗に会ったんですよ」



 いわれのないことを言われたので俺は真実を伝える。


「一紗さんと?」


「公園で練習してましたよ」


「マジで?!」


 俺が素直に伝えると、姫宮先輩は目を丸くしてつい「マジで?!」と素が出るくらい驚いた。


「マジです」


「やっぱり、一紗さんは……すごいですね」


 それまでいつも通りの表情だったがその話をすると真面目な顔になった。


 一番近くで一紗と一緒にいるはずなのに彼女がそう驚愕するくらい一紗のストイックさは厳しいものなのだ。


「一紗さんは世界一かっこいいんですよ。私が一緒のグループにいるのが奇跡ってくらい」


「……そうですね」


「一紗さんと付き合いたい」


「え?! 何?! いきなり何言ってんすか?!」


「すいません。今のは水に流してください」


「水に流せませんよ!!」


「なんか今日元気ですね」


「姫宮先輩が爆弾発言するから!」


「口だけは達者になりましたね。この研修期間で」


 つい先週コンビニバイトの研修期間が終わったところで、姫宮先輩の指導が無いのも少し寂しく感じる。


「そんなことないですよ。元からですよ。お世話になりました」


「これからもよろしくお願いしますの間違いじゃないですか?」


「確かに。そうですね」


 一応言っておくと姫宮先輩はバイトが先輩なだけで、年下である。


 彼女もフォーチュンのメンバーなのだが、バイトの先輩という印象の方が強くなってしまった。


「明日、楽しみにしてますよ」


 姫宮先輩は試すようにそんなことを言ってくる。間違いなく朱の件。


 これまでの様子から姫宮先輩は何となく察したのだろう。


 でも今の俺はそんな言葉に動揺することは無い。


 自分の中で答えが出たのだから。


「それはこっちのセリフです」


 だから俺も笑顔で言ってやった。


期間が空いてしまい申し訳ございませんでした。

今日も読んでくださりありがとうございました。

「おもしろい!」「最後まで読みたい!」と思ってくださった方はぜひブクマの方していただけると幸いです。


また評価や感想もお待ちしております。

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