俯瞰からの自覚
一学期の終業式の日。
午前中で学校が終わりそのままレッスンへ向かおうとして駅で電車を待っていた時だった。
立華君がホームに上がってきた。今日は一人みたいだった。
綾乃ちゃんと話したときに感じた、立華君への気持ちの正体が気になり私は自分から話しかけてみることにした。
最初はただのファンの人としか思ってなかったけれど、そのあと私にできた初めての友達になって。
それからまた別の違う何かになった。
それは学校で受ける模試の数学の問題の様に全く理解できないような姿。
でも綾乃ちゃんの話を聞いた段階からなぜかずっとそれが分からない感覚が気持ち悪い。
「こんにちは」
自分から彼に話しかけるのは初めてだったかもしれない。
「あっ。一紗か。なんか久しぶりだな」
立華君は驚いたような顔をしてからほんの少し笑った。
私は何となくそれが嬉しかった。
そう言われてしばらくずっと会っていなかったことに気付く。
「そう……だね」
彼のことを考えていたにもかかわらず彼本人には全然会っていなかった。
「なんか前にもこんなことあったよな」
「こんなことって?」
「駅で二人で話したこと」
「あのときは……そうだね」
あの時はまだ出会ってすぐの頃だった。その時はまだ彼はただのファンでしかなかった。
今日はあの時とは違って雲一つない青空だ。
「立華君そのときライン聞いてきたよね」
「いや! それは!!」
彼は焦ったようなリアクションをして頭の後ろに手を置いた。
「ふふ」
そういう姿を見るのも久しぶりで、それもなんだか嬉しい。
でもどういうことを聞けば、何を話せば、その気持ちの正体が認識できるのか、それは全然分からない。
「立華君はさ、なんで私推しなの?」
「な、なんだよ急に!」
「気になって」
「うーん。そうだな。いっちばん最初の握手会の時」
「握手会?」
「始業式の日、一紗と握手してなんかすごい楽しかったんだよ」
立華君は思い出すように少し遠くの空を見ながら呟く。
「楽しいって?」
「楽しいって言葉はなんか変だけど、とにかく一紗の握手がすごい良かったってことだよ」
「それは……良かった。アイドルとして」
そんな質問をしてみても、余計に分からなくなるだけだった。
「そういえばさ、朱、最近どうだ?」
「朱ちゃん?」
「なんか変わったことないか」
「うん。あれ以来練習も毎回来るし、前より自信家になったかも」
「……そっか。あれ以上自信家になったのか」
立華君は苦笑しながら線路の方を眺めている。
「あれ? 立華君と一紗ちゃん?」
そんな中で改札の方から聞こえてきたのは綾乃ちゃんの声。
そちらの方を振り向くと朱ちゃんも一緒みたいだった。
立華君も私と同じように振り向いて二人の方を見ると、私が話しかけたときよりずっと驚いている様子だった。
二人は私たちの方に歩いてきて、私たちを挟む形で綾乃ちゃんが立華君の隣、朱ちゃんが私の隣に立った。
「ちょうど朱ちゃ――」
「一紗!! お腹空いてないか?!」
私が口を開こうとすると突然立華君に口をふさがれた。
「ちょっと! なにうちの一紗に触ってんのよ!!! 早く離れなさい!!」
すると朱ちゃんが彼の手を掴んで私の口から彼の手を離す。
「わ、悪い! つい」
「ついって…… アンタそのうち警察に捕まるわよ?」
「それは勘弁だな」
立華君はなぜか朱ちゃんから目をそらしている。
「立華君は私が捕まえるけどね」
「はぁ? なんだそれ」
立華君は怪訝に思っているような表情をする。
綾乃ちゃんは朱ちゃんに視線を送ると小悪魔のような笑みを浮かべた。
私は彼女の気持ちを知っているからいいけど朱ちゃんがいるこのタイミングでそんなことを言っても大丈夫なんだろうかと思って、私は妙に冷静になった。
でもそのような言い回しからは彼女がこの前みたいに悩んでいる様子ではないことだけは伝わってくる。
彼女は「自分で決める」ことができたようだ。
「綾乃アンタ、さっきアタシの話聞いてた? 身の程をわきまえなさい」
「はいはい」
「さっきの話ってなんだ?」
立華君が二人に聞くも二人とも示し合わせたかのように彼の質問には答えない。
「アンタは知らなくていい」「立華君は知らなくていい」
「っていうか、なんでアンタが一紗と二人きりなわけ?」
「え? たまたま会っただけだけど」
二人は私を挟んですごい勢いで会話をする。
「はぁ? なんで推しメンとたまたま会えるのよ。どんだけ運いいのよ!」
半分喧嘩みたいな会話は電車が到着するまで続いた。
到着した電車にみんなで乗り込んで座先に座ろうとしたときのことだった。
ホームで並んでいた順番通りに座席の端っこから綾乃ちゃん、立華君、私、朱ちゃんの順番で座るのだと思っていた。
「一紗、ちょっとごめん」
朱ちゃんが私に断りを入れてから彼の隣に座ったのだ。
その時朱ちゃんの表情はライブ前みたいに真剣な顔をしていた。
その顔を見て私は気づいてしまったのだ。
「立華君、この後暇?」
「ああ、暇だけど」
「じゃあ、二人でお茶しない?」
「ちょっと、それアタシも行く」
「朱はこれからレッスンでしょ」
「う゛っ!!」
綾乃ちゃんが言っていたもう一人が誰か。
いくらそういう経験が無いからって言っても、流石に私でも気づく。
その事実に彼らの会話は全く耳に入ってこなくなった。
彼女も綾乃ちゃんと同じなのだ。
私たちが乗っている電車は学校の最寄り駅から一つ隣の駅に停車して再び走り出す。
後ろの遮光幕が私の後ろだけ下りていて、真昼の太陽が三人の背中を照らしている。
朱ちゃんは彼の方を向いている。
あの日綾乃ちゃんから聞いたことが次々に浮かんでくる。
彼女の背中はいつもたくましくて頼りになるのだが、なぜか今は違った意味で大きく見えた。
彼女の気持ちがそれほどのものならばおそらく私はどうすることもできない。
それはフォーチュンのメンバーならみんなが分かることだ。
彼女の一度決めたことに対するこだわりは計り知れない。
しかしアイドルとして、これからフォーチュンとして活動していきたい私にとってそれは素直に頷ける話ではなかった。
朱ちゃんと一緒に踊りたい私にとって彼女の感情は邪魔になるのだ。
そして、綾乃ちゃんの友達としての立場もある。
「一紗。降りるわよ」
「あ。うん」
考え込んでいたら乗り換えの駅についてしまったようだ。
「二人ともレッスンがんばってね」
「フェス、楽しみにしてる」
二人に挨拶をして電車を降りた。
電車内の冷房から解放され、湿った空気が体にまとわりついてくる。
その駅で降りる生徒は私たちしかいない。
ホームから階段へ降りようとする朱ちゃんを呼び止めて、私は勇気を出して聞いてみることにした。
「朱ちゃん」
「なに?」
「朱ちゃんは、フォーチュン続けるよね?」
「え? 何よ。突然」
「フォーチュンで私と踊りたいんだよね?」
「ええ。そうだけど」
朱ちゃんが振り返った後、私たちはその場で立ち止まる。
「じゃあ、ずっとフォーチュン続けるんだよね?」
「アタシはフォーチュン続けるよ」
「じゃあ! 立華君は諦めて!!」
ホームにその声はこだまする。
「……一紗も、知ってたのね」
「……うん」
朱ちゃんにホームのベンチに座るように促される。
自動販売機でアイスティーを買ってから朱ちゃんは戻ってくる。
それを私に手渡してから席に座った。
「アタシはアイドルも恋もどっちも諦めない」
私はそれになんて答えたらいいか分からなくて黙り込んでしまう。
「もちろんバレたら解雇だって分かってる」
「だったら!」
「でも、アタシが今一紗の隣に居れるのはアイツのおかげだから」
彼女は線路に向かって落ち着いた声で呟いた。
「どういうこと?」
「アタシが人気投票で最下位になったときあいつが居なかったら一紗とダンス対決することなかったのよ。だからフォーチュン続けてるのはあいつのおかげ。ま、一紗のおかげでもあるけどね」
ほっとした表情をする朱ちゃんを見ても私は納得できなかった。
アイドルは恋愛禁止。バレたら終わり。そこまでのリスクを背負う意味が分からない。
「私と踊れなくなってもいいって言うの?」
「そんなわけない!」
突然の大きな声につられて私の声も大きくなってしまう。
「じゃあ!」
「アタシは……アイツが好きで仕方ない。フォーチュンも好き。優先順位なんて付けられない。だからアタシはどっちも諦めない」
「……私は……反対」
とっくのとうに自覚していたのかもしれない。
「一紗が反対しても、アタシの意思は変わらない」
自分で反対しておきながら、その違和感に。
朱ちゃんと対峙している私は偽物で、本当の私はもっと空高くから見ている。
嘘ではないけどそれは建前で。
フォーチュンとしてとか、アイドルとしてとか、綾乃ちゃんの友達としてとか、朱ちゃんのライバルとしてだとか全部抜きにして。
彼女が彼の隣に座ったときに感じた本当の感覚。
綾乃ちゃんから話を聞いたときに芽生えた気持ちの正体が。
本当はその場所を彼女に譲りたくなかったのだ。
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