彼の立ち位置と私の感情
「私、この前失恋したって話したじゃん?」
「えっと、勉強会した時?」
「うん」
もうほとんど人がいなくなってしまった夜の電車の中。
綾乃ちゃんが駅で号泣していた理由を話してくれている。
「その時とはちょっと状況が違うんだけど、また失恋しそうなの。なんでか分からないけどこの前のよりヤバくて」
その話は私にはなじみのない恋愛のお話だった。
興味が無いわけではないけれど、積極的になる理由がなかったから。
基本的にアイドルは恋愛禁止だし。
「この前の人とは違う人なの?」
確か勉強会の時には、次の恋に進むとか言っていた気がする。
心配してるとか言った割には、最初は他人事だと思って聞いていた。
「うん。っていうか私の好きな人、立華君」
「え」
でも、その人の名前を聞いた瞬間、胸の中がざわついた。
脱皮をしたみたいに、その感情は私の胸の中で確実に変化した。
それは、私の知らない感情だった。
「た、立華君になんか言われたの?」
これまでは単にファンとして、友達として接してきた彼の存在が私の中での立ち位置を変えたようだった。
「ううん、そうじゃなくて。私の大切な友達も立華君の事好きっていうか……」
「私は恋愛とかしたことないから分からないけど、三角関係ってことだよね」
けれど、その変化した後の正体は認識できない。
経験したことが無いのだから。
「簡単に言えば、そうかも……」
立華君。
私の一番最初の友達。
最近は意識してなかったけど、やっぱり彼は私にとって特別な存在。
彼が居なければ今こうして、綾乃ちゃんと話すことも無かった。
でもそれは綾乃ちゃんのような「好き」というものではない。
なぜかその感情には妙な焦燥感と疎外感がついて回っている。
それらを掴もうと手を握ってもふわっと霧のように発散して掴むことができなかった。
「――って、ねえ! 聞いてる?」
「へ?」
綾乃ちゃんの声が聞こえてはっとする。
「あ、うん。聞いてるよ」
返事をして話の続きを促した。
しかし次の瞬間、先ほどとは比べ物にならないほど思いもよらぬ単語が私の耳に入ってきた。
「その女の子が立華君にキスしてるとこ見ちゃった」
「キス?!!」
その単語は妙に生々しくて、胸の中で驚きとなってそれが口を出ていた。
「わ! びっくりした!」
「ごめん…… いきなり大きな声出して」
もわっと焦燥感と疎外感の霧が濃くなってきてどんどん分からなくなってきた。
「いや、私こそごめん。確かにいきなりそんな話したらびっくりするよね」
綾乃ちゃんはしゅんとしてしまって少し申し訳なくなった。
今は綾乃ちゃんが落ち込んでいるのだから。
そう思って私はちゃんと彼女に話を続けさせるように質問する。
「そ、それを見ちゃって泣いちゃったってこと?」
「まあ、そういうことかな……」
彼女の横顔を見るとネガティブな印象はあるのだけど、彼女は私とは違ってちゃんと現実を見ていた。
それだけ泣けるってなんかよく分からないけど、すごいと思う。私はそんなに号泣するってことが無いから。
そこまで心を動かされる物事って私の人生に無かった。
フォーチュンに受かったときは人生で一番うれしかったけど、綾乃ちゃんみたいに泣いたことは無かった。
私は頭の中でそんな感想を抱いた。
それを機にしばらく私と彼女の間には時間が流れて、何を話せばいいのか分からなった。
しかし、電車に乗り込む前に話していたこととどう関係があるのか気になったのだ。
「誰かに追い越されるっていうのはどういうことなの?」
「えっと、私修学旅行の時くらいから立華君のこと好きなんだけど……」
「そ、そうなんだ」
私と彼が友達になった時くらいからってことからってことか……
「その女の子は全然私より立華君と距離詰めるの早くてさ」
「そういうことかぁ……」
多分だけど綾乃ちゃんはその女の子よりも前から彼のこと好きだったんだろう。
綾乃ちゃんは自分と同じく彼を好きなもう一人の女の子のことに気付いていた。
最近になって、その子と彼の距離が自分と彼の距離よりも近いことが分かってしまった。
そのきっかけが彼女の目撃したシーンだった。
整理するとそんな感じだろう。
しかしそんなことを頭の中で整理しても、その出来事は私からするとなんか現実感が無くて、空の上から眺めてるみたいな感覚だった。
「どうすればいいかな……」
少女漫画に出てくるみたいな恋する乙女を体現するかのように人差し指同士をあわせてもじもじしている綾乃ちゃん。
けれど彼女の表情はやっぱり現実を見ていて、真面目な表情をしている。
そんなこと私に言われても……
というのが正直な感想だったが、そんなことを口に出すわけにはいかない。
なんて言おうか考えてみるけど最適なものは浮かばない。
「どうするもこうするも、気持ちを伝えるしかないんじゃないかな」
結局そんな当たり障りのない中身のない言葉が口をついて出ていた。
「そんな簡単に言わないでよ……」
でも言った後、自分で言った言葉なのにもかかわらず誰かにそれを言われているような感覚を覚えて、不思議に思った。
「ご、ごめん」
彼女の悔しそうな物言いにとっさに謝っていた。
その表情はやっぱり私をステージの外へと追いやるようなそんな効力を持っている気がする。
「その女の子はもう彼に告白したの?」
「……それは、分からない」
電車のガタンゴトンと揺れる音が響いて、逆にそれが電車内の静けさを強調する。
駅についても降りていく人がいるだけで誰も乗ってこない。
「綾乃ちゃんは…… これからどうするつもり?」
「え?」
「告白するか、諦めるか、二つに一つでしょ?」
結局選択肢は二つしかない。
そんなの私が決めることじゃない。
だから結論だけ聞いて、それを応援しようと思った。友達として。
「一紗ちゃんってやっぱりすごいよね。私そういうふうに考えられないからさ」
視線をやって続きを促す。
「最終的には、そういうふうにマルバツ問題みたいにはなってるのは分かるんだけど、最後まで私は選べないんだ。迷ってしまったら答えが出せないの。決まったときはスムーズなんだけどね」
「私は綾乃ちゃんじゃないからよく分からないけど、自分で決めるしかないんじゃないかな」
私はドアが閉まるのを待ってから続けて言う。
「立華君がその子とうまく行ったとしても、今からの行動で変わるかもしれないし。だから、悩んでも悔やんでもどうするか自分で決めるしかないよ」
ゆっくりと電車は走り出して、駆動音が徐々に高くなっていく。
「一紗ちゃんって、ほんとに恋愛したことないの?」
「え? なんで?」
「なんか、すごかったから」
「私はすごくはないよ」
ただ単にやるべきことをやっているだけで、特別な能力なんて何一つない。
何でもできる朱ちゃんみたいに。
すごい人っていうのは彼女みたいな人のことだと思う。
それこそ追い抜かれても立ち上がってまた走れる人のような。
「私、ちゃんと考えてみるよ。どっちを選ぶか」
次の駅に到着しドアが開くと、綾乃ちゃんは立ち上がった。
顔を見ると目は腫れていたけど、涙はもう付いてなかった。
「ありがと」
胸の前で小さく手を振ると彼女は電車から降りて行った。
ドアが閉まって電車が走り出すと自分のことについて意識してしまった。
さっき、立華君の名前を聞いたときに感じた感覚の変化が私の中には無いものだったから、ひどく気になったのだ。
「マルバツ問題か……」
それはマルかバツかを選ぶ問題でなくて、私にはそのマルやバツがどういう形をしているのかをまず確認しなければならない。
最寄り駅に着いた頃にはすでに十一時を回っていた。
しかし家に帰るまで考えてみたけれど、結局その正体は分からなかった。
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