牙をむく無貌
魔精霊はぴくりとも動かない。
勝った――
緊張がほぐれ、弛緩した空気が広がり始めたとき。
人影がノーマン目がけて飛び出した。
「ノーマン!」
わたしの緊迫した声が飛ぶ。
だが、続いたのはわたしの声とは対照的な甘ったるい声だった。
「ノーマン~。リサ、怖かったぁ~」
リサだった。
リサはノーマンの腕に抱きついてくねくね甘えている。
ちょ、ちょ、お前――!
ノーマンは諦めるって言ってたんちゃうんかい!?
わたしはリサに近づき声を荒げた。
「ちょっとあんた!? 話が違うじゃない!?」
「話ってぇ?」
リサがへらへらとした表情を浮かべる。
ここここここいつはあ……!
魔精霊が目覚めたとき、わたしを逃がしてくれたからちょっと見直していたのだけど!
ぽい! そんな気持ちはゴミ箱ぽい!
見直して損した!
「よく生きていたわね、あんた」
「うん? ああ、魔精霊があなたを追ってくれたからね。逆にむしろ安全だったっていうか?」
ぽんとリサがわたしの肩を叩いた。
「お・と・り、あ・り・が・と・う」
ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!
絶対におちょくられとる!
みんな無事だったからいいけど!
「ところで、君がマリクかな?」
ヴィーガスさんが少年に近づいて声をかける。
あ、そうだ!
マリクの傷を治さないと!
だが、わたしが見たところ、マリクは完全に無傷だった。
「あ、あれ? マリクって攻撃されてなかった?」
本棚が直撃していたような……。
「ああ、あれですか。僕はダメージを受けないんですよ」
そう言って、マリクが腕につけたリストバンドを見せてくれた。
「これは特殊な魔法具なんです。絶対的な防御フィールドを展開してくれるんですよ」
「すご。ていうか、そんなのあるの?」
それみんなつけたら便利やん?
聖女いらんやん?
わたしリストラやん?
これが一編の小説ならば、きっと次からは『みんな鉄壁防御になってパーティー追放されたお払い箱の聖女だけど成り上がる』になるやん?
やば、人気でるんちゃう?
「いや……これには強力な制限があるんです。指定された地域から出られない。つまり、僕はこのギルド周辺から出られないんです」
「……それってひょっとして、ギルドの指示でつけてる?」
「はい」
困ったような顔でマリクがうなずいた。
つまるところ、それはマリクを守る絶対の盾であり、マリクを縛る絶対の鎖でもあるのだ。
人権侵害も甚だしいが、あのちょっとイっちゃった感じの魔術バカ爺さんならばさもありなん。それくらいやっても不思議ではない。
「そんなの外しちゃえばいいんじゃないの?」
「どちらかというと呪いのアイテムに相当するんですよ。なので僕の意志では外せないです」
あの爺さん……!
マリクの意志がどうのこうのと言っていたけど、この保険をかけていたのか!
確かに呪いのアイテムは簡単に外せない。
高度な神聖魔法の使い手による解呪が必要だ。
高度な神聖魔法の使い手?
いるじゃーん、ここに!
というわけで、余裕であります!
とはいえ――
聞かなければならないことがある。
「マリク、教えて欲しいんだけど」
「はい?」
「わたしたちは勇者と聖女。魔王を倒すために旅をしている。ここに来た理由はあなたを仲間にしたいから」
「僕を……?」
「魔精霊を圧倒した魔力。さすがは伝説ね」
「そ、そんな。それほどでもないです……」
恥ずかしそうにマリクがうつむく。
なかなか謙虚なやつである。
「その力を貸して欲しいの。ギルドマスターからはあなたが前向きなら連れていっていいと言われてるわ」
だが、マリクは戸惑いの表情を浮かべるだけだった。
「ですが、この腕輪が……」
「その腕輪は外せるわ」
わたしが言った。
「え、そうなんですか?」
「聖女サーシャさんをなめないでね?」
ふふふん、と胸をそらす。
「だから、それは考えないで教えて欲しい。マリク、あなたの心を。あなたが魔法の研究を頑張ってるのは知ってる。その英知が宝なのもギルドマスターから教えてもらった。だけど、今わたしたちが必要としているのは兵器としてのあなた。安全もない。危険だらけの旅。だけど、わたしはあなたの力が欲しい。王国の民を、世界を救うため、その力を貸して欲しいの。ついてきてもらえる?」
わたしはマリクの目をじっと見て問うた。
魔精霊を圧倒した力は本物だ。彼は戦力になる。
もちろん、無理やり連れていくつもりはなかった。彼が嫌だと言ったら潔く身を引くつもりだった。
この沈黙は長い――
とわたしは思ったが、思いのほかマリクの答えは早かった。
「はい。行きます」
あっさりだった。
「え、いいの!?」
マリクはにっこりほほ笑む。かわいい。
「はい。僕の力がお役に立つのなら。僕は人々の役に立ちたい。僕の才能と力は、きっとその人たちのためにあるのだから」
できた子である。
うんうん、お姉さんは嬉しいよ。
「ありがとう、マリク。俺の名前はヴィーガス。王国の風の騎士だ」
ヴィーガスさんがマリクの手を握る。
「さて、また来た道を戻らないといけないのか――」
ヴィーガスさんの声はややうんざり気味だった。
「いえ、ギルドに戻るのなら簡単な道がありますよ」
ぴっとマリクが図書館の奥を指さした。
「あちらに魔法の鏡があるんです。ギルドへはすぐ帰れます」
「そんなのがあったのか……行きは使えないのか?」
「故障しているみたいでして。帰りだけの一方通行だけなんですよ。行きも使えるといいんですけどね……」
そして、わたしたちはようやく地上へと戻れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
地上に戻ったわたしたちはギルドマスターのもとを訪れた。
ギルドマスターの爺さんはマリクの表情を見て何かを感じ取ったようだが、それには触れず、
「クリスを呼ぼう。話はそれからじゃ。それまで身体を休めよ」
時間がかかるかと思ったが、クリスは飛び込むような勢いでギルドまでやってきた。
「マリク、無事か!」
「はい。ただいま戻りました」
そう答えた弟を見て、兄もまた彼の気持ちを察した。
「……話はあとで聞かせてもらう」
ギルドマスターの部屋に集まり、また会議が始まった。
マリクの意向を聞いたギルドマスターとクリスは瞑目したが、結局は何も言わなかった。
それがマリクの決めたことならいい。
幼い頃からマリクを見続けた二人は、異口同音にそう言った。
話はまとまり、マリクの腕輪を外すことになった。
場所はノーマンとクリスたちが模擬戦を行った攻撃魔法の実験場。
実験場の真ん中にわたしとクリスが膝をついた。残ったメンツがわたしたちを囲むように立っている。
マリクが腕輪をしている腕をわたしに差し出した。
「お願いします」
「わかったわ」
わたしがマリクの腕輪にそっと手を添える。
ちなみに呪いを解くと装備を外せるようになる代わりに、その特殊効果も消えてしまう。
もったいないなー……。
貧乏根性がうずく。というのも、場所移動の制限がある代わりに絶対防御が付与されるのだ。わりと使える部類だと思うのだが。
まあ、邪魔なので仕方ないが。
わたしはふぅと息を吐き、意識を集中させる。
そして、引き金となる言葉をつぶやいた。
「『解呪』!」
きん!
と輝きがこぼれ――
「はい、お疲れさま」
マリクの背後に立っていたリサの手から紫の閃光がほとばしる。
狙いはマリク!
マリクは振り返る間もなく、紫色の爆撃にのまれた。
わたしは知っている。リサの魔力の強さを。聖女のわたしのシールドすら切り裂く威力。
もしもそんなものが直撃すれば――
「マリク!」
わたしは叫んだ。




