姫さまと風の騎士と
「お待たせしました」
背後から声がした。聞き覚えのある声だった。え、まさか? と思って振り向くと――
「ひ、姫さま!?」
まさかの人がいた。
クラウディアさまは謁見の間のドレス姿とはまったく違う服装だった。動きやすいジャケットにズボン。長い髪を頭の上で結い、手に乗馬用の鞭を持っている。
ラフな服装だが――漂う気品はまったく損なわれていない。
……くっそー、美人って得だな……。
「今日はわたしもご一緒させてもらおうと思いまして」
「そ、それは光栄……あっ!」
わたしが慌ててひざを折ろうとすると、姫さまがそれを制す。
「気にしないでください。公的な集まりではありませんから」
そう言って、クラウディアさまが手をひらひらと気軽に振る。
「姫さまも乗馬をたしなむのですか?」
「はい。自分で言うのも何ですが、うまいと思いますよ。わたしがみっちり教え込んで差し上げます」
「ありがとうございます!」
「ノーマンさんも、よろしくお願いしますね」
「はい、よろしくッ!」
むっちゃのりのりで返事をするノーマン。
そりゃ姫さまに夢中だからなあ……テンションマックスだよなあ。
「ノーマンさん、リラックスですよ。じゃないと、馬が怖がってしまいます」
姫さまがにっこりと笑う。
話が一段落したようなので、わたしは――
「あの、姫さま。申し訳ありませんでした」
そう謝った。
姫さまが首をかしげる。
「え、どういうことですか?」
「昨日の――姫さまのお父さまの病気を治せなくて」
「ああ……」
姫さまが少しさみしそうな表情を浮かべた。
「残念ですが、仕方ありません。神官たちからは聖女の力でも治せないのではないかと伺っておりました。あなたですら治せないのなら諦めるしかない。これが父の運命なのでしょう」
その通り――運命なのだ。
わたしは聖女。回復魔法のスペシャリストだ。そのスペシャルのなかには病気の治癒も含まれる。
なので昨日、わたしは姫さまの父上――現国王の治療を行った。
結果は話の通りだ。
国王は助からない。
ただ、これはわたしの実力不足というわけでもない。
風邪のような一時的な病気ならばわたしは一瞬で治療できる。だが、その人間の運命に決定づけられた――命数を使い果たした末にわずらう最終的な病気については回復できない。
それは言ってみれば神の与えた病だからだ。
神が御許にその魂を返そうとするための病。
それはわたしでは治せない。
わたしが聖女だからだ。
聖女の力は神から与えられたもの。
ゆえに――神の法則、神の決定に逆らうことはできない。
神が死ねと命じた人間にわたしたちができることは、ただ静かに祈りを捧げることだけだ。
「サーシャさん、むしろ謝らないといけないのはわたしのほうです」
「え、どうしてですか?」
「あなたがたを宮中のイベントに巻き込んでしまって……疲れているでしょう?」
「い、いえ、そんなことありません!」
わたしは強く否定した。
まあ、確かにちょっと歓迎パーティー多すぎでしょってくらい開かれているが……。内向的なわたしには正直きつい。
とはいえ、これも勇者と聖女の有名税。にっこり笑って流すもの。
人間は本音と建て前が大事!
「あらそう? なら、イベントの数を倍にしますね♪」
「ごめんなさい! 疲れてます! 今すぐ逃避したいです!」
「ほらやっぱり」
そう言って姫さまがくすくすと笑う。
意外とおちゃめだなー、この人……。
などと姫さまと会話をしていると、腰に剣をさした平服の騎士が二頭の馬をつれてやってきた。
……あれ、なんか見覚えある人のような……。
「おや、姫さま。こんなところで油を売っていて大丈夫ですか?」
現れた騎士のふざけた物言いにクラウディアさまがくすりと笑う。
「あなたこそ、こんなところで雑事をしていて大丈夫ですか?」
「俺もそう思うんですけどね。部下が話しかけやすいように暇なふりをしていたら本当に暇だと思われて押しつけられたんですよ」
「そういう扱いを受けるのがあなたの人徳というものなんですよ、ヴィーガス」
――ヴィーガス!?
思い出した。この王城に来た日、ノーマンの腕前を試した王国最強の風の騎士だ。
「あ、お久しぶりです、ヴィーガスさん」
「や、覚えててくれたんだね。光栄だよ」
ヴィーガスさんが軽いノリで会釈する。ヴィーガスさんは二〇代後半くらいの男だ。筋肉もりもりの感じはないが、背が高くひょろりとしている。おそらく細マッチョなタイプなのだろう。
だが、特筆するべきは――
イケメン!
三歳児が落書きしたような顔のノーマンと違って、宮廷画家が本気出したような顔のよさである。
おまけに少しはやした無精ひげまでばっちり似合っている。男も女も美形は得である。
「今日は俺が乗馬訓練の教官だから。よろしく」
ヴィーガスさんがそう言って、さわやかに笑った。
そうして、乗馬訓練が始まった。
さて、まず最初に言っておくと――
わたしは運動神経がよろしくない。
子供の頃からシスターのお下がりである三文ロマンス小説の読書に明け暮れていたため、頭でっかちのインドア少女になってしまった。
おかげさまで運動神経というものがまったく発達していない。両手を広げて片足立ちすると三秒でよろけるくらいだ。
さて、そんな体幹がへろへろでバランス感覚をどこかに置き忘れてきたわたしが馬に乗ると――
「わ――ったったったったった!」
馬上でふらふらとわたしの上半身が揺れて。
どごしゃっ!
馬から落ちた。
「ててててて……」
わたしは打った背中をさすりながら身を起こす。
いやー……無理なんじゃないかなー……とは思っていたけど、想像以上に無理だった。
わたしの絶滅寸前の運動神経が悲鳴を上げている。
やめてくださいやめてください! 死んでしまいます!
わたしもやめたいのだけどねえ……。
「大丈夫かい?」
ヴィーガスさんがにこやかに手を差しのばしてくる。
「は、はい……」
生まれ出でてからインドアで三文ロマンス小説千本ノックをしていたわたしである。イケメンに優しくされることに慣れていない。それは三文ロマンス小説の主人公の役目だ。
よって、その手を握るだけで、少しばかり動悸が激しくなる。
うー、美人に優しくされただけで惚れたとか言っているノーマンを笑えない。
いや決してこれは愛のどきどきではない。
これは気恥ずかしさ! そう、気恥ずかしさよ!
わたしは自分にそう言い聞かせて、ふんぬと立ち上がった。
ヴィーガスさんが笑う。
「なかなか苦戦しているようだね?」
「いやー……今まで運動してなかったつけですかね……ちょっと簡単にはいかなさそうで」
「そんなに悲観的にならなくても大丈夫だよ。難しくないから。慣れだよ、慣れ」
「そうですかねー」
なんか腕立て伏せを一〇〇回できる人に腕立て伏せなんてちょろいちょろいと言われたような気分である。わたし腕立て五回もできないんですけど……。
とはいえ、諦めるわけにもいかない。
孤児院にいるときなら、疲れたやーめたですむのだけど、これからわたしはこの広い大陸を旅しなければならない。二本の脚でえっちらおっちら旅するわけにはいかない。乗馬の習得は必須だ。
「ま、ぼちぼち頑張りますよ……」
「そんなに気張らなくてもいいさ。ホント簡単だから。ほら、ノーマンくんを見てよ」
「ひゃっはー!」
ノーマンくんはやられ役のちんぴらみたいなかけ声を上げながら、のりのりで馬を操っていた。
くっそー……。
そうなるだろーなーとは思っていたのだが、やっぱりそうなるとそれはそれで微妙な気分である。
インドアの暗がりで妄想と読書に励んでいたわたしと違い、ノーマンはアウトドア派である。無尽蔵の体力を誇り身体能力は高い。だいたいどんなスポーツもすぐに慣れて大活躍している。頭がからっぽなのでルール違反も多かったけど。
ノーマンにとって乗馬なんて朝飯前なのだろう。
「あ。そうだ」
名案と言わんばかりにヴィーガスさんが手を叩く。
「馬に乗る感覚を養うのが大事だと思うんだ」
「そうですね」
「というわけで、俺が馬に乗るから後ろに乗ってみる?」
ヴィーガスさんがさらりと言っているが――
わたしの心臓はばっくんばっくんした。
ヴィーガスさんは無精ひげを除けば王子さま然としたイケメンである。その後ろにわたしが、乗る?




