勇者vs魔精霊
息も絶え絶えになりながら、わたしは最初の大広間に戻った。
わたしのすぐ後ろを魔精霊が床や天井を打ち砕きながら驀進してくる。
わたしにとってラッキーだったのは通路が魔精霊の巨体に比べるとかなり狭かったことだ。おかげで魔精霊は通路を破壊して広げる時間が必要で体力ナメクジのわたしでも逃げ切れる時間が生まれたのだ。
とはいえ、ほとんど僅差なのだけど。
わたしが大広間に飛び込むと同時、わたしは背中に突風のような風圧を感じた。
続いて――
まるで背後で爆発したかのような音がした。
というか、おそらく魔精霊の触手の一撃がわたしの背中のすぐそこで床に炸裂したのだろう。
砕けた床の破片が飛び、わたしの背中にぶち当たる。
「うぐっ!?」
わたしは衝撃に押されて体勢を崩し、無様に床に転がった。
身を起こそうとしたとき、わたしの身体を大きな影が覆った。
まずい!
魔精霊の触手が次々とわたし目がけて振り下ろされる。
わたしは防御シールドを展開して、それに耐える。
がんがんがんがんがん!
まるで崖下で落石にあうような気分だった。豪雨のような速度で重い衝撃が手に伝わってくる。
一瞬でも気を緩めてシールドが解除されればゲームオーバー。
わたしは歯を食いしばって耐えた。
時間をつなげるんだ。一秒に一秒をつなげて、少しでも長く! 時間をつなげれば、きっと……!
そんなわたしをあざ笑うかのように、一本の触手がわたしに近づいてきた。
頭上からではなくて、真横から。
わたしは気づいたが、どうしようもなかった。
その触手はわたしを打ち据え――ずに、くるりとわたしの身体を包み込み、そのままつかんで高々と持ち上げた。
吹き抜け構造の大広間の天井は高い。
わたしの身体は一〇メートルくらいの高さまで持ち上がった。
「わ、わ、わ」
魔精霊の目がじっとわたしを見つめている。
その目にはなんの感情もない。
だが、わたしは魔精霊が次に何をするのか想像できた。この高さからわたしを床に叩きつけるのだろう。
聖女のわたしには常時シールドが張られているのだが――
大丈夫だという気持ちはまったくなかった。
試してみる気にもなれなかった。
わたしを最大速度で叩きつけようと魔精霊の触手がしなる。
死を覚悟したわたしは声の限り叫んだ。
「遅いじゃないの、ノーマン! 早く来てよ!」
その瞬間――
わたしは風を感じた。
「悪い」
聞き覚えのある声だった。もちろんそれは、勇者の声。
わたしが世界で最も信頼する声だ。
魔精霊がわたしごと触手を振り下ろす――だが、動いたのはわたしをつかむ触手の下半分だけだった。
二階から飛び出したノーマンが交差した瞬間に叩っ斬ったのだ。
わたしが感じた風はそのときのもの。
切断された魔精霊の触手は力を失い、ずるりとわたしの身体がはがれ落ちる。
そして、わたしの身体もまた、落ちる――!
ぐんぐんと近づく床。
だが。
「よっと」
そんなわたしをノーマンが両腕を広げてキャッチした。
「大丈夫か、サーシャ」
ノーマンがわたしを見てにこりとほほ笑む。
まさに九死に一生。
わたしは、はぁと口から息を吐いた。身体中に広がっていた緊張がすっと消えていく。
心の底から安堵した。
わたしの窮地に現れたノーマンの姿を見て。
ノーマン、ありがとう。
ノーマンはわたしを抱えたまま、ぽんと後ろに飛んで距離をとる。
「立てるか」
「うん」
ノーマンはわたしを下ろした。
「なんだあれは?」
「詳しくはわからないけど、魔精霊だって」
「いや、もっとシンプルに教えてくれ。敵か?」
「敵」
「わかった。ぶった斬る」
ノーマンはあっさり言うとデュランダルを再び引き抜き、魔精霊へと近づいていく。
そして、勇者と魔精霊の戦いが始まった。
相手は太古の先史文明すら滅ぼした悪魔。生ぬるい相手でないのは明らか。
だが、結局のところ――
これもまたノーマンの最強を示すだけだった。
魔精霊が触手を振り回す。本棚が切り裂かれ、壁が打ち砕かれ、床が破壊される。もしもその一撃が当たれば常人であれば一撃で消し飛ぶであろう。
当たれば。
ノーマンの動きは尋常ではなかった。
とんでもない速さで動き回りながら、乱舞する触手の森を駆け抜ける。そして隙を見つけた瞬間、素早い一撃で魔精霊の身体を切りつけていく。
ノーマンは魔精霊の巨体を手玉にとっていた。
強い。
わたしは素直にそう思った。
これが勇者の力なのだろう。あらゆるものを凌駕し、駆逐する力。
だが、ともわたしは思った。
今の時代と比べれば圧倒的な力を持つ古代文明を滅ぼした魔精霊。その力は本当にこの程度なのだろうか……。
そんなわたしの杞憂はすぐに証明された。
着地したノーマンを触手の横薙ぎが襲いかかった。
「!」
ノーマンにとってそれは予想外の一撃だった。ノーマンは身体を動かしてかわそうとするが、一瞬だけ反応が遅れる。かすった一撃がノーマンの頬に赤い傷を作った。
「ちっ」
ノーマンが頬の傷を手でこする。自分を攻撃した触手をノーマンはじっと見た。
それは奇妙な触手だった。
上半分と下半分で色合いが違っている。上半分はまるで今生まれた動物の赤子のように濡れ濡れと艶めいている。
あれは、たぶん――
わたしは気がついた。
わたしを拘束した触手。そして、ノーマンがわたしを助けるために真っ二つに斬った触手だ。
つまりこういうことだ。
生えたのだ。
よく見れば、戦闘中にノーマンがぶった切った他の触手もずくずくと先端が生えている。というか、傷そのものが時間とともに回復している。
こいつ、自動回復機能があるのか!
「面倒だな……」
ため息をつきながらノーマンが剣を構える。
「ま、回復する前に細切れに叩っ切ればいいんだろ?」
ノーマンがすっと目を細める。
その集中力が一段と鋭くなる――!
そのときだった。
どっごん!
文字通りの爆音だった。ていうか、タコの頭の近くでいきなり爆発が起こった。さらに二発三発四発と爆発が次々と炸裂する。
魔精霊が耳障りな金切り声を上げた。
「はあ、大広間がぼろぼろじゃないですか。なんて文化的な損失なんでしょう……」
なんてことをぼやきながら、奥の暗がりから人影が姿を見せる。
ローブに身を包んだ、青色の髪の少年だった。その容姿は偽マリクを演じたクリスに似ていた。彼の顔から精悍さを引き算し、柔和さを足し算するとこんな感じなのだろう。
マリクの兄クリスはこう言っていた。
弟は一〇歳だと。
現れた少年の背格好はちょうどそれくらいだった。
ということは、彼こそが伝説の魔術師マリクなのだろう。
「すいません、そこのお二人!」
少年が声を張り上げた。
「これは魔精霊です! 武器によるダメージは回復してしまいますが、魔法によるダメージは回復できません! 僕が引きつけますから、早く逃げてください!」
確かにマリクが爆撃した傷跡は回復している様子がない。
「だってさ、ノーマン。どうする?」
わたしの問いにノーマンはふっと笑い、マリクに声を返した。
「俺は勇者ノーマンだ! 悪いが、俺は逃げるわけにはいかない!」
「勇者……!」
驚いたような顔でマリクがノーマンを見返す。
「先ほどの言葉は非礼でしたね。お力をお貸しください」
「任せろ!」
最強の勇者ノーマンと伝説の魔術師マリク。
二人の力は圧倒的だった。
圧倒的な速度で魔精霊を解体していく。
疾風のように駆け抜けるノーマンが魔精霊を切り刻み、その傷をマリクの魔術の一斉射撃が容赦なく焼き払う。
なるほど。
これが魔術師マリクの力。
伝説と称される力。
だからこそ、姫さまはマリクの帯同にこだわったのだろう。
二人の超人が太古の悪夢を圧倒する。
「おいおい。なんだあの化け物は?」
いつの間にかやってきたヴィーガスさんがわたしの隣りにいた。
「魔精霊って言うんですよ。なんでも旧文明を滅ぼしたやつらしいですよ。ま、もう倒せそうですけど」
「化け物以上の化け物二人だな」
ヴィーガスさんが苦笑する。
魔精霊の耳障りな悲鳴がだんだんと頻度を減らし、か細くなっていく。
これは勝てるだろう、わたしの心に余裕、いや、油断が生まれたそのときだった。
魔精霊は本棚を触手でつかむと、それをマリクにぶん投げた。
「――!」
マリクは迫ってくる本棚に気づいたが反応できない。
それはそうだ。
マリクは魔術師なのだ。その身体能力は脆弱。
誰かが彼を護らなければならない。だが、魔精霊と戦っているノーマンはもとより、傍観しているわたしですら立ち位置的に厳しい。
しまった!
高速でかっ飛ぶ本棚をぶち喰らうマリク。
派手な音ともに激突した本棚が砕け散る。
わたしはマリクに向かって駆けだした。あんなものを喰らって無傷ですむはずがない。治すのはわたしの仕事だ。
「マリク!」
わたしが叫ぶ。
返事はない。
返事の代わりに――
どごごごごごごごご!
ど派手な音がして連爆が魔精霊の全身を焼き払った。
「大丈夫です!」
マリクの声。
え? なんで大丈夫なの?
「ノーマンさん、決めてください!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
まともに動けなくなった魔精霊にノーマンが斬りかかる。
宝剣デュランダルが魔精霊の頭を真正面から両断した。耳に痛い悲鳴を上げ、魔精霊の巨体がずんと重い音を立てて倒れた。




