地下大図書館
「はい。地下大図書館にようこそ」
重々しいドアをくぐりながらリサが言った。
ドアの向こう側は風景が一変した。今までは人工的で無味乾燥な通路が延々と続いていたが、そこはまさに『図書館』だった。
王宮にあった舞踏会場もたいがい広かったが、ここはもっと広い。膨大な空間に無数の棚が整然と並び、棚の中には無数の本がびっしりと並んでいる。
本は棚からあふれ出して、足下に乱雑に散らばっていたりする。
まさに――
棚。棚。棚。棚。棚。棚。棚。棚。棚。棚。棚。棚。
本。本。本。本。本。本。本。本。本。本。本。本。
そんな空間だった。
ひんやりとした静謐な空気と相まって、まるで時間から取り残されたような印象すらある。
「すっご……」
わたしは思わず息を呑んだ。
床に転がっている本をなにげなく手にとった。ぺらぺらとめくるも読めない文字がずらずらと書かれていて内容がわからない。
「むむむ……読めない」
「古代語で書かれているからね。普通の人間には読めないわよ」
「なぁんだ、残念」
わたしは興味を失い、その本を手近な棚の隙間に押し込もうとしたが――
「ちなみに、その一冊を売り払っただけで、家が買えるくらいのお金になるのよ」
わたしの手がぴたりと止まった。
え、このちょっと古い感じの本が、そんなに?
「え……と、おみやげに何冊か持って帰ってもいいですか?」
「いいわよ。持ち出した瞬間、塵になるけどね」
「え?」
「ここの図書館全体にかなり強力な保存魔法がかかっているのよ。ほら、本が新書みたいにみずみずしいでしょ? たぶん時間固定の魔法か何かだと思うんだけどね。ここから出した瞬間に時間が復元されてぼろぼろになるわけ」
「なーんだ」
わたしはがっかりして本を戻した。
……じょ、じょーだんだからね!? 本気で売り払おうとか思ってないんだからね!?
「ここにマリクがいるんですか?」
「ギルドの話だとそうみたいね」
わたしはすーっと息を吸い込んで、大声で叫んだ。
「マリクさああああああん! ギルドからの使いですううう! いますかああああああああああ!?」
わたしのバカでかい声が静かな図書館に響いた。
しーん。
図書館は静寂の魔法にでもかかったかのように静かだった。
「むう……反応ないですね」
「無理よ。ここの図書館の広さは半端じゃないから。このバカでかい部屋だけじゃなくていろんな小部屋があって、さらに通路で別棟まであるんだから。おまけに階段で上下階層があるの。ちょっとやそっとの騒ぎじゃ聞こえないんじゃないかな」
「うっはー……」
わたしは気が遠くなりそうだった。
図書館に着いたらマリクと合流して終わりだと思ったが、どうやらマリク探索の旅はここからが本番らしい。
「じゃ、マリク探しね。その前に渡すものがあるの」
そう言ってリサが腰のポーチから手のひらサイズくらいの、四つの玉を取り出した。
「これはギルドから渡されたもので、お互いの場所がわかるものよ」
それぞれの玉には、三つの光点が輝いていた。
「この光点は他の玉の位置とリンクしている。玉を離すと――」
リサが玉の一つを手放し、わりと勢いよく床を転がす。玉が離れていくに従って、三つの光点のうちの一つが移動していく。
「ま、他のメンバーの位置がわかるってわけ。あと、ここのスイッチを押すと――」
リサが説明したとおり、玉についているスイッチを押す。
するとすべての玉の色が薄いピンク色に変わった。
「これで合図が送れる。マリクが見つかったらこれを押して合図を送ればいいわ」
そう言ってリサはわたしたち三人に玉を渡した。
「じゃ、ここからは別行動で。図書館からは出ないように」
そう言って、リサは転がした玉を拾って図書館の奥へと向かっていく。
わたしたち三人もめいめいに別れ、マリクを捜すことにした。
はずなのだが。
前を歩くリサがぴたりと足を止めて後ろを振り向く。
「うーん。どういうつもりかしら? 別行動しようって話じゃなかったかしら?」
「……ちょっとリサさんとお話ししたいなと思って」
振り返ったリサとわたしの視線が、ばちりと火花を散らせた。
……夫を取り合う正妻vs浮気相手みたいな感じだな、これ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
なんて言ったものの。
リサとわたしが和やかに会話するはずもなく、先行するリサと距離を置いてついていくわたしが無言で黙々と歩くのが続いた。
リサはドアを見つけるたびに部屋の中を確認し、マリクがいないとなると次のドアを目指して移動するのを繰り返している。
ばたん。
リサがドアを閉じる。
またわたしに背を向けて先に歩くかと思ったら――
その首がわたしのほうを向いた。
「話があるんじゃなかったの? 黙ってついてくるだけなら働いて欲しいんだけど?」
なかなか攻撃的な言いぐさである。
「……ノーマンのことなんですけど」
「あら、やっと口を開いた」
くすくすとリサが小馬鹿にしたように笑う。わたしはリサの挑発を無視して続けた。
「ノーマンのこと、どう思ってるんですか?」
「どうって?」
「その……本気なんですか?」
「本気って?」
リサがわたしのほうに歩いてくる。
「ほ、本気っていうのは、その、れ、恋愛的な意味で……ノ、ノーマンのことが、すすす、好きっていうか……」
ばん!
わたしの眼前に立ったリサが、わたしの後ろにある壁に手をついた。ちょうどわたしの顔の横あたりに。
わたしの背が低いのもあるが、リサの身長がやや高めなので見下ろされる形になる。リサと壁に挟まれ、わたしは息苦しさを覚えた。
「本気ってさ……」
リサの指先がわたしのあごに触れる。
「キスをする関係ってこと?」
リサの指がわたしのあごをくいっと持ち上げる。
「な、なにを……!?」
わたしはどきりとしてリサの顔を見た。
リサの舌が生き物のように動き、ぺろりと自分の唇を舐める。
「意外とさ、サーシャってかわいいよね。小さくてさ。わたしはサーシャとキスしてもいいと思ってるんだけど……」
想像もしていなかった展開にわたしの身体がこわばる。
「この気持ちも、本気ってことなのかな……?」
リサがにやりと笑うと、わたしに顔を近づけてきた。
だんだんとリサの顔が、唇が近づいてくる。
リサの唾液に濡れた唇が――
「いい加減にしてください!」
わたしはリサの胸を両手でついた。
リサが後ろへとよろける。
「わ、わたしはそういう趣味ないですから! それにノ、ノーマンともキスし、しようとしたんですよね!? なのにわたしともキスするなんて、その、誠実さに欠けます!」
「ふぅん……ノーマン、そういうの話したんだぁ。男女の話を他に漏らすってのはどうなのかなぁ」
「そ、それは! ノーマンも、その、な、悩んでいるからで! 別に面白おかしく自慢げに喋ったとかじゃなくて――」
「早口ぃ」
くっくっくっくとリサが笑う。
「なに? ノーマンのことになると必死ね、あなた。わたしの大好きなノーマンを悪く言わないでーって? わたしの大好きなノーマンをとらないでーって? ホント純情ねぇ」
馬鹿にしたようにリサがわたしの頭を撫でる。
「ぐっ……!」
わたしは下唇を噛んだ。なんだか悔しかった。一瞬、涙腺がぴりっとしたけど、わたしはこらえた。
泣いてなんてやるものか。
こいつはきっと、わたしのそんな顔を見たがってるのだから。
わたしはリサの手を払いのけた。
「そうですよ! それのどこが悪いんですか!」
わたしは力のこもった視線でリサをにらみつける。
リサはふっと笑うと両手を上げてわたしに背を向けた。
「悪くはないわよ。からかうと面白いだけ」
そして、ちらりとわたしを振り返る。
「わかったわ。あなたにノーマンは譲ってあげる」
「……え?」
「もともと、ちょっとキスしたかっただけだから。ほら、勇者さまとキスしたって言ったら自慢になるでしょう? だから、あなたでもよかったってのもホントよ?」
くくくくと笑いながら、リサが自分の唇を指で撫でた。
「それに、わたしのホントの獲物は別だから」
「獲物……?」
「それは内緒。ま、いい男は勇者さま以外にもいっぱいいるから。じゃ、安心したらさっさと仕事に戻りなさい」




