伝説の魔術師マリク
「ぶっぶー。不正解。答えは――」
瞬間。
エレオノールがリサの唇に口づけをした。
「――ッ!?」
混乱したリサがもがく。もがくが、エレオノールの両腕に身体を押さえつけられてびくともしない。
「んん! んー!」
塞がれた唇から必死に声をあげるのがせめてもの抵抗だった。
だが、その抵抗への意志も急速にしぼんでいくのをリサは感じた。しぼんでいく――否、溶けていくような感じだ。
頭の芯がぼおっとしてきた。
ずず、ずず……。
エレオノールに塞がれた口から何かが入り込んできた。それはまるで心地よい麻薬のようにリサの全身へと染み渡っていく。
「お、あ、お……」
何も考えられなくなったリサは意味のない言葉を口から漏らした。すでに自分という境界すら曖昧だった。
消失していく、みずからの意志。
(すいません、クリス隊長……)
最後に青い髪の隊長を思い浮かべて――
リサの意識は完全に消えた。
同時、リサに口づけしていた女の身体が力を失って後方へと倒れた。倒れた瞬間に全身が黒い灰と化す。
壁に背を預けたまま、リサはぼんやりと宙を眺めていた。
その黒い瞳に、赤い輝きが灯る。
ぼんやりとしていたリサの唇がいびつに歪んだ。
つっ……とリサの指先が唇に触れた。
「……くっくっくっく……よかったわあ、かわいい子で。任務とはいえむさいおっさんとキスするとか勘弁してほしいものね」
それはリサの声をしていたが、エレオノールの言葉だった。
すでにリサの意志も魂も消え去り、その身体はエレオノールに乗っ取られていた。
「リサ! リサ! 遅れてすまない! 大丈夫か!」
路地の入り口に男の魔法騎士が立っていた。
エレオノールはそっと顔を手で隠した。次の瞬間、瞳の赤い輝きは消え去り、完全にリサそのものとなった。
「もう終わったけど? 遅かったわね、リッター」
エレオノールは知るはずもないリサの同僚の名前を呼んだ。
だが、それこそがエレオノールの能力の真価。
エレオノールの能力は相手の身体だけではなく、知識も経験もすべてを手に入れてしまう。
ゆえに――見破ることはできない。
「ごめん、危ない目にあわせて」
「気にしないで。好きで飛び込んだんだもの」
リッターは疑いなくエレオノールに近づき、その苦労をねぎらっている。
(まったくバカなやつだ)
エレオノールは内心で笑いをかみ殺し、最後にこう思った。
さあ、あとは勇者どもを待つだけだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
メリッサと別れて数日後。
聖女のわたしと勇者ノーマン、そして風の騎士ヴィーガスさん。三人はようやく目的地の魔法都市グレイノールにたどり着いた。
厩舎に馬を預けてわたしたちが向かったのは――
魔術師ギルド。
ヴァリス王国でも最大のギルドだけあって、王城ほどではないが敷地はバカでかい。魔術師だけあってさまざまな色のローブを着た人たちが行き来していて、なかなか新鮮な光景だった。
「ヴィーガスさん、このギルドの魔術師を仲間に加えるんでしたっけ?」
「ああ。伝説の魔術師マリクだ」
「伝説……ですか?」
「伝説といっても世に出てきたのはこの五年ほどだがな」
「五年!? その伝説短すぎじゃないっすか?」
「いや……その五年だけで伝説になったんだよ。俺も魔法は詳しく知らないが、人類の魔法史はマリク登場以前と以後でわけられるだろうって知り合いの魔法使いが言ってたよ」
「ほえー。すごいんですね。どんな人なんですか?」
「それがわからない」
「は?」
「ほとんど人前に出てこないらしく、ずっとこのギルドにこもっている。会うのも一部の幹部のみ。ヴァリス王家もマリクが何者か知らないんだ」
超がつくインドア派やんけ。
「そんな人が旅についてきてくれるんですか?」
「本人の意向以前にギルドが徹底的に反対していてね……話し合いが必要になる」
なんとも頼りないお言葉である。
そうして、わたしたちは魔術師ギルドの長の部屋にやってきた。
「ほっほっほっほ。遠いところはるばるよく来てくださった」
紫色のローブを身にまとった、腰のあたりまでひげの伸びた爺さんが挨拶してくれた。
いつも疑問なのだが――
多くの三文ロマンス小説でもそうなのだが、偉い魔法使いの爺さんはどうしてこう、あごひげが長いんだろうか?
邪魔だろ切れよ、ジャムとかついたら大変だろとか思うのだが。ひげの量で魔力があがるのだろうか。不思議である。
ギルドマスターとわたしたちはソファに座った。
口火を切ったのはヴィーガスさんだった。
「さっそくですが、魔術師マリクの件について話をさせてください」
「ほっほっほっほ。若いものは急ぎますなあ」
「老師。冗談はやめていただきたい」
「冗談ではないよ、風の騎士よ。物事には順序がある。魔術師マリクの処遇の話をするのに、我々だけでは足りないだろう?」
「どういう意味ですか?」
「つまりこういう意味だ。マリク、入ってくれ」
がちゃりと隣のドアが開いて――
二人の人物が出てきた。
一人は青い髪の青年。年の頃はわたしたちより上、二〇前半くらいだろうか。ローブの上からでもわかる、魔法使いにしてはがっしりした体つきの男だ。
……超インドア派のわりには鍛えていらっしゃるな。
もうひとりはマリクの横に影のように従っている真っ赤な髪の若い女。こちらもローブを着ているので魔術師なのだろう。髪型が特徴的で垂らした前髪で右目を隠している。
「マリクと申します。こちらは助手のリサ」
リサと呼ばれた女が静かに頭を下げた。
「ほっほっほっほ。マリクの話をするのなら――本人がいなければ話になりますまい?」
「ごもっともですな、老師」
言いつつヴィーガスさんの顔は引きつっている。
引きこもって出てこないと思っていた本人が出てきたのだ。不意打ちとはまさにこのこと。
どうやら会議の主導権はあちらに奪われてしまったらしい。
この老人なかなかやるじゃないの。
さて、どうなりますやら……。




