サーシャさん、ノーマンが好きですか?
「ノーマンさんの寝込みを襲いなさい」
「それ母親が娘に言うセリフ!?」
メリッサは真っ赤になりながら抗議した。メリッサも立派な彼氏いない歴=年齢の女の子なのだ。
「何よ? そんなにひどいアドバイス?」
「ひ、ひどいじゃない! だって、た、大切な娘に、その、か、身体を使えなんて、そ、そそそ、そんな!」
「そう? だって、あなたはノーマンさん好きなんでしょ?」
「そうだけど……」
「そりゃ好きでもない男にそうしろなんて言ったら、わたしはろくでなしの母親よ? だけど、あなたはノーマンさんが好きなんだから、別にひどくなんてないわ。それに効果的なのよ、これ」
「ホントかなあ……」
「ホントよ。だって、わたしはお父さんをそれで落としたから」
「ぶほっ」
「おまけに、そのときにできたのがあなた」
「ぐはっ」
とんでもない話の流れだった。メリッサは両親のなれそめから自分の出生の秘密までわずか五秒で明かされた。衝撃だった。
(いや……聞きたくなかったんだけど……!)
「というわけでメリッサ。頑張ってね。マスターキーの場所はわかってるわよね?」
「何を頑張ればいいの、わたしは!?」
「え、言わせるの?」
女将がおろおろする娘を見て楽しそうに目を細める。うー、とメリッサはうなった。
(絶対にお母さん、わたしをからかって楽しんでる!)
メリッサは首を振った。
「だ、ダメだよ……そんなの……」
「どうして?」
「だ、だって……まだノーマンさんのことよくわからないし、そ、そういう関係になるのはもっと時間をかけてからだと思うし……」
「そうね。それも悪くないけどね。時間はないんじゃない?」
「え?」
「だってほら、あなたはわたしの娘。いつわたしみたいな体格になるか……」
女将の横幅はメリッサの二倍あった。
「やだやだやだやだやだ!」
確かに時間はない。
「うそうそ、今のは冗談。でもね、時間がないのはホント」
「そうなの?」
「だって風の騎士が帰ってきたらノーマンさんたち出発でしょ?」
メリッサははっとした。
早ければ――ひょっとすると明日の朝にでも風の騎士は帰ってくるかもしれない。
そうなると、もうノーマンとは会えなくなるのだ。
「そんなの……やだ」
「でしょ? だったらノーマンさんにアピールしないと!」
「だ、だけど! それも――その迷惑なんじゃないかな……」
「どうして?」
「だって……わたし自分がノーマンさんにふさわしいなんて思えなくて……ノーマンさんは勇者。世界を救う英雄だよ? わたしみたいな小娘が言い寄っていい相手じゃないよ……」
女将はそっとメリッサの手を握った。
「あんたは文句も言わずに家の手伝いをしてくれる立派な娘で――自慢の娘さ。だけど、マジメなのが玉に瑕で心配なんだよね」
じっと女将がメリッサの目を見つめて続ける。
「いいかい? ときには感情に身を任せてみるのもいいものだよ。それに恋のチャンスっていうのは――そんなにない。ぼやぼやしてると燃え上がる前に終わってしまうんだ」
女将が立ち上がった。
「というわけで、報告よろしくね♪」
「ほ、ほほ報告なんて、するわけないじゃん!」
「報告しないってことは――寝込み襲うのは決まったんだ?」
「もう! 何言ってんの! お母さん!」
「はいはい。じゃあ、お母さんは行きますね」
女将はへらへらと笑いながら奥へと消えた。
しんと静まり返った食堂に、メリッサはまたひとりになった。
ひとりになると、心の中の自分が話しかけてくる。
――本当にやるの、メリッサ?
メリッサはぷるぷると震えた。
恥ずかしすぎて、そんなことできるはずがない。
――でも、ノーマンさんが好きなんでしょ?
それは否定できなかった。ノーマンと一緒に並んで歩く未来を想像するのは悪い気分ではなかった。
(だめだよ、そんなの、まだ出会って一日なのに……)
そう思っても、最後には「だけど」の文字がついてしまう。
自分でもよくわからなくなってメリッサはテーブルに突っ伏した。
「も~~~! お母さんが変なこと言うから!」
母を呪うが後の祭りだ。
明日の朝、ノーマンと顔を合わせて今日みたいに接することができるのか。それがメリッサにとって不安だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
わたしサーシャは彼氏いない歴=年齢の非モテ女子であるが、三文ロマンス小説を日夜読み続ける研鑽のおかげで恋愛の機微については達人級である。孤児院のシスターのお墨付きだ。
そのわたしの眼力によると――
なんだか翌日のメリッサは様子がおかしかった。
昼食どきのことだ。
昨日はいそいそとノーマンの横に座り、かいがいしく世話をしていたメリッサがやってこない。
「はいはい。あんたの席はここだから」
女将さんが無理やり手を引っ張って連れてきてノーマンの隣に座らせようとするも――
「ちょ、ちょっとお母さん! きょ、今日は! 仕事あるでしょ!」
なんとびっくり、謎の抵抗を示している。
「客もいないのに仕事とか。ほらほら。あんたの仕事はここ。私情を挟むんじゃないよ」
そう言って女将はのしのしと厨房へと帰っていった。
なんでもないやりとりであるが、わたしは聞き逃さなかった。
私情――
女将はそう言った。
さて、その私情とは何なのだろうか。
「もうお母さん……強引なんだから……!」
「……お、俺はメリッサが来てくれて……う、嬉しいぞ」
こっちはこっちで頑張ってアピールしようとするノーマンくん。ぎこちなさがたまらない。
それに対してメリッサは
「あ、ありがとうございます……」
と恥ずかしそうにもじもじした。
それから女将さんが運んでくる食べ物をメリッサは取り分けたり、切り分けたりしようとするのだが――
がちゃん!
力を入れすぎたナイフが皿を強く叩く。
「あ、ああ……ごめんなさい!」
慌てて謝るメリッサ。
だがその後も改善の余地はなく、ばたーんどかーんとミスを連発していく。
あるぇ?
なんかもっとこー、びしばしてきぱきという感じで仕事をこなしていた印象があるのだが……。
さらに――
「あ……どうぞ」
と言って切り分けた肉の皿をノーマンの前に押し出す。
あるぇ?
昨日までは「はい、あーん♪」とかやってなかったでしたっけ?
ていうか、皿を押し出す前にフォークで肉を刺すかちょっと迷った感じなかったでしたっけ? その後、顔を赤くして小さく首を振りませんでしたっけ?
なんか迷いました?
挙げ句の果てにノーマンと手が当たったとき――
「あ」
メリッサがびくりと身体を震わせる。
「ご、ごめんなさい」
と照れた顔で謝った。
え?
そういうキャラでしたっけ、あなた?
「よ、よーし。じゃあ、きょ、今日も仕事を手伝おうかな?」
昼食が終わった後、今思いつきましたーでもホントは食事中からずっと言うのを我慢してましたーみたいなバレバレの口調でノーマンが言う。
だが、メリッサはオーバーアクションで手と首をぶんぶん振った。
「い、いえ、大丈夫ですから! 勇者さまにそんなことしていただくわけにはいかないので!」
などと早口で言ってスタタタタとひとりで仕事に戻っていった。
絶好のアピールタイムを失ってしまったノーマンは寂しげな様子で「部屋に帰る……」と言って戻っていった。
夕食も同じような感じだった。
どこかメリッサはノーマンに対してよそよそしかった。
夕食後、二人がいなくなったテーブルでわたしは三文ロマンス小説の読書で鍛え上げた灰色の脳細胞をフル稼働させていた。
メリッサがノーマンを避けているように見える――
メリッサはノーマンが嫌いになったのだろうか?
わたしも言ったではないか。
女心は変わりやすいと。
だが――
わたしはその推測を否定する。
この三文ロマンス小説一〇〇〇冊斬りのサーシャさんの眼力はごまかせない。
メリッサの様子にノーマンへの拒否感がないのだ。
どちらかというとあれは、逆。
逆なのだとわたしは思う。
昨日まではノーマンのことをそれほど意識していなかったが、今日は意識している――してしまったのだ。
ノーマンのことが好きだと気づいたからこその距離感。
つまりそれは、わたしにとって最悪という意味だ。
メリッサはノーマンに本気になりかけている。
そして、ノーマンもメリッサを意識している。
ということは――
カップル成立の未来しかない!
はい、サーシャさん敗北確定!
負け負け負け! これより撤退戦を開始する!
いやいやいやいやいやいや。
それはさすがにまずい。わたしだってノーマンが好きなのだ。ずっとずっと好きなのだ。
そんな簡単に諦められるものですか。
そんなの、あんまりじゃないですか。
なんてことが頭の中でぐるぐるぐるーと回って。
気づいたらわたしは、ノーマンの部屋の前に立っていた。
窓からのぞく景色は真っ暗。おそらくはもう深夜を回っていることだろう。
ノーマンは眠っている。
ドアの向こう側に眠ったノーマンがいる。
ごくりとわたしはつばを飲み込んだ。




