王女クラウディア・ヴァリス
少しばかり前、わたしたちは姫さまと謁見した。
謁見の間には、赤くて毛足の長い絨毯が道のように敷かれている。その両側を政治家のおっさんたちが列を作って並んでいた。
わたしとノーマンはそんななかを歩いていく。
おっさんたちはわたしたちに興味津々のようだった。だが、じろりと――なんて、そんな露骨な視線を感じさせない。
値踏みする気持ちはあろうが、それを表に出しはしない。
さすがは宮廷で血みどろの政治闘争を繰り広げる連中だ。孤児院のシスターが読んでいた三文ロマンス小説にそう書いてあった。きっと政治家は賄賂をもらって政治闘争しているのだ。知らんけど。
玉座の前に着いたとき、まだそこには誰も座っていなかった。
わたしたちはそこでひざまづき、頭を垂れる。
一瞬の静寂。
それを払いのけるように大きな声が響き渡った。
「王女クラウディア・ミッツ・エスピア・ヴァリスさまのおなーりー! 一同、敬礼!」
両側に立つ政治家たちが居住まいを正す気配が伝わった。
直後、こっこっこっこっと玉座に近づく足音がして、何者かが腰掛ける音が続く。
「二人とも、面を上げなさい」
凜とした、女性の声。
顔を上げると玉座に美しい女性が座っていた。
わたしよりも一〇〇倍聖女っぽい人だった。石碑のようなわたしと違って、女性らしいラインに恵まれている。だが、それはセクシャルなシンボルというよりも母性にも似た落ち着きを感じさせる。もちろん顔は言うまでもなく美しく、柔和な表情で私たちを見つめていた。
ヴァリス王家の王女クラウディア・ミッツ・エスピア・ヴァリス。御年一八歳。
あかん――神々しい。
聖女のわたしから見ても神々しくてまぶしかった。
いいのかそれで。聖女のわたし。
「よく来てくれましたね。嬉しく思います」
にこやかな姫さまの言葉。その後に続いたのは――
沈黙。
ノーマンに花を持たせようと黙っていたら、会話が途切れてしまった。
ちらりとノーマンの横顔を見ると――
ぽかんと口を開きクラウディアさまを見つめている。
ん……どうしたんだろう……。
わたしはノーマンを心配しながらも口を開いた。
「……わたしたちも王女さまにお会いできて光栄です」
「本来であれば父であるヴァリス王がお会いするべきなのですが、病床についておりまして。申し訳ありません」
「お噂は伺っております。お父上は国家にとって必要なお方。御身をご自愛ください」
「そう言っていただけると助かります」
にっこりとクラウディアさまがほほ笑んだ。
意外とわたしはわたしでほっとしていた。今までの人生で礼儀やマナーなど、ほとんど学んだことはなかった。さっきの言葉遣いは全部シスターが読んでいた宮廷を舞台とした三文ロマンス小説の受け売りである。適当に喋ってみたが、なかなかいけるではないか。
それから儀礼的な会話を少しだけして――
クラウディアさまが謁見の目的を切り出した。
「さて、では――」
クラウディアさまの声に硬質なものが宿る。
別に居住まいを正したわけではないのに、朝の山の空気のように雰囲気が凜と引き締まった。
おそらくこれが――人を統べるものの威厳なのだろう。
「勇者ノーマン、聖女サーシャ」
「はい」
返事を返したのはわたしだけだった。相変わらず、ノーマンはぽかんとした顔でクラウディアさまを見ているだけだった。
わたしは背筋に冷やりとしたものを感じた。
王族の呼びかけを無視するなどありえない失態だ。
だが、クラウディアさまは寛大だった。
にっこりとほほ笑み、優しげな声で再び呼びかける。
「勇者ノーマン」
「……」
「ノーマンさん?」
「……は、はい」
今我に返りました。といわんばかりの調子っぱずれた声でノーマンが返事をした。
「ひょっとして――緊張していますか?」
「い、いえ……き、緊張しているわけではなく」
いや、お前むっちゃ緊張してるじゃん。
「そうなんですか? 緊張していないんですか?」
「はい」
「わたしには緊張しているように見えますが?」
「いや、違うんです。その――びっくりして」
「びっくりした? 何がですか?」
「その、姫さまがあまりにもお美しくて」
瞬間――部屋の空気が凍りつく。
わたしは心臓に氷のつららが刺さったような気分になった。
謁見である。
この公式な場所で姫さま相手に「ねーちゃんめっちゃ美人やん(意訳)」なんて言っていいはずがない。その次は茶でもしばきにいくつもりだろうか。
というか。
王家のようなはるかに格が上の人間に対して、平民がその優劣を論評していいはずがない。
わたしは慌てて頭を下げる。
「す、すいません、姫さま! 姫さまの御前で!」
返答は笑い声だった。
クラウディアさまが口に手を当てて笑っていた。
「ふふ、すいません。わたしが笑っていてはダメですね。あなたが代わりに謝るなんて……仲がいいんですね」
「え、ええ、まあ……ずっと一緒にいますから」
まぶしいものを見るように、クラウディアさまが目を細めた。
「そうですか……それはとても素敵ですね。頼れる人がいるというのはいいことです」
にこりとクラウディアさまが笑った。
「あくまでも公式の謁見ですから最低限の礼儀は必要ですが――気持ちの上だけで充分です。細かいマナーは気にしないでください。おふたりは貴族ではありません。作法など知らなくて当然です。自然体で返事してもらって構いませんよ」
「ありがとうございます、クラウディアさま」
寛大なるお言葉に、わたしの頭は自然と下がった。
ええ人や、この人……。
「それではもう一度――」
クラウディアさまが再び王家の空気をまとう。
「勇者ノーマン、聖女サーシャ」
「「はい」」
わたしとノーマンの返事が重なった。
「あなた方もご存じの通り、このヴァリス王国は魔王軍との長い戦いで多くの土地と人命を失いました。我々の力だけでは魔王軍を打倒することはかなわない。遠からず敗北することでしょう」
クラウディアさまが首を振る。
「しかし、神はあなた方ふたりを遣わしてくれた。勇者と聖女。まだ若いあなたたちに世界の命運を託すのは心苦しい限りですが――我々にはあなたたちしかいないのです。長く辛い戦いになるでしょう。しかし、きっとその先に勝利はあると思っています。わたしたちの希望の光として戦闘に身を投じてくれると――誓っていただけますか?」
「「誓います」」
再びわたしたちの言葉が重なる。
クラウディアさまは嬉しそうにほほ笑むと小さくうなずいた。
「ありがとう、ふたりとも。ヴァリス王に代わって礼を言います」
脇に控えていた騎士が前に進み、一本の剣をクラウディアさまに差し出した。
「では勇者ノーマン、ここへ。あなたにこの剣を与えましょう」
クラウディアさまが立ち上がり、剣を手にする。
わたしははらはらして見ていたが、さすがのノーマンも話の流れを理解していたようだ。しっかりとした足取りでクラウディアさまに近づき、眼前で再びひざまづく。
クラウディアさまがノーマンに剣を差し出した。
「これは我が王家に伝わる宝剣デュランダル。かの漆黒龍を倒した英雄が使っていた武器です。いずれあなたが聖剣を手にするその日まで、きっとあなたの助けとなるでしょう。お受け取りください」
「ありがたくいただきます」
ノーマンが手を受け取ろうと両手を伸ばしたが――
ひょいと剣がノーマンの手をかいくぐった。
クラウディアさまがいたずらっぽく笑う。
「あげません」
「え!?」
「貸します。必ず返してください――生きて帰ってくるのですよ」
「……約束します!」
元気よく応えて、ノーマンが剣を受け取った。
ああ、あの幼なじみが姫さまから宝具をもらっている。
わたしはやや感極まりながらその姿を見つめた。ちゃんとやればできるじゃないの、ノーマン。孤児院のシスターたちや同居人たちにも見せてやりたい。そんな晴れ姿だった。
クラウディアさまはノーマンの手を取り、両手で包み込んで最後にこう言った。
「この国を――いえ、この世界をお頼みします。勇者さま」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
というのが謁見の一部始終であるのだが。
わたしの頭がおかしいのだろうか。
どこに恋に落ちるポイントがあったのだろうか。
――俺さ、姫さまに恋しちゃったかも。
そのセリフにつながる糸口がわからない。
あ、そうか!
「えーと、ノ、ノーマンさん」
「何だよ」
「恋って言葉の意味知ってる? あ、いや違う! わかった。意味を間違えて覚えてるよね? まさか食べ物だとか思ってた? 新種のトカゲの名前とか?」
「お前、俺のことバカにしているのか。俺だって恋くらい知っているし――恋くらいするさ」
「う」
七歳児くらいで知能が止まっていると思っていた幼なじみはいつの間にか青春ボーイに成長していた。
お姉さん(同じ年齢だけど)はとても嬉しい。
嬉しいが――
なーんで目的語がわたしじゃないんだよ……。
ていうか……。
「ていうか……誰に恋したって言ったっけ?」
「姫さま」
「え!? サーシャ!?」
「違う、姫さま」
「姫さまかー……」
どうやらガチのマジでノーマンは『姫さまに恋した』とかのたまわっているようだ。
どうしよう、勘違いとか聞き間違い路線はないようだ。
「え、えと、ごめん。何でそうなったわけ?」
「素敵な人だと思わないか? すっげー美人でさ、すっげー気も優しくてさ、俺たちにも気さくに話してくれてさ。すっげーよな」
「ま、まあ、そうね」
すっげーすっげーと語彙力がすっげーと思うのだが、そこは触れないことにした。たぶんもう、我々が直面している未曾有の問題は、そんな小さなものに関わっているべきレベルではない。
「確かに姫さまはすごく美人でお優しいとは思うけど。何それ、一目惚れ的なやつ?」
「いや、そんな浅いもんじゃなくて――運命、かな」
運命!?