聖女、失意の勇者と再会す
わたしは若い騎士の腕をつかんで走った。
同時、魔族の放ったエネルギー体がほとばしり、次々と廊下や壁を串刺しにして破壊していく。
「ひいいいいい!?」
必死に逃げるが――
もちろん簡単には逃げられない。
わたしと騎士を貫くかのように、黒い奔流が躍りかかり、わたしたち二人を呑み込んだ。
轟音!
わたしたちは黒い龍に突進されたかのように吹っ飛ばされ、廊下の壁に激突。
えぐられた建物から立ちのぼる煙で目の前が真っ白になった。
なーんて風景が描写できるということは――
つまり、死んでいない。
わたしは尻餅をつきながら、大きく息を吐いた。
わたしと若い騎士を取り囲むように、間一髪で防御魔法を展開したのだ。
しかし――容赦のない一撃だった。
あの魔族は強い。
魔法の盾を展開したわたしの両手がわずかに痺れている。盾越しに伝わってくる衝撃にはそれほどの破壊力があった。
パンチ一発で沈んだレッサーデーモンとは明らかに違う、中位――いやおそらくは上位の魔族。
あいつプラス巨大蜘蛛かー……。
さすがに荷が重い。
わたしが聖女としての能力を極めていたならば――おそらくはなんなく駆除できるだろう。だが、残念ながらわたしはまだ未熟で送還や破魔の魔法は習得できていない。今のところ、わたしが使える魔法は回復と防御が主。あくまでも盾、サポートのスペシャリストなのだ。
ならば、やはり矛が必要で。
その役割は――
勇者以外にありえない。
「ねえ、騎士さん。煙が立っている間に逃げられる? わたしはちょっと用意があるから、ね?」
そう言って、わたしは騎士と別れた。
ノーマンを探す。
それしかない。
ノーマンがこっちの建物にくるのは見ていたので、こっち側にいるのは間違いない。
だが、こっち側の建物は王城のメインなので半端なく広い。その中からノーマンを見つけ出すことなど不可能に近い。
普通ならば。
だが――わたしにはだいたい見当がついていた。
ノーマンは物置にいる。
それは間違いない。
そして、わたしたちはこの王城をほとんど知らない。わたしとノーマンの王城に対する知識は同等だ。ゆえに、ノーマンが行ける範囲というのはわたしの行ける範囲と同じ。
つまり。
わたしが知っている範囲にある物置っぽい部屋。
それを探せばいい。
城内を走り回って、四つ目の部屋のドアを開けたとき――
ほこりまみれの部屋にしゃがみ込むノーマンの姿を見つけた。
わたしはほっとして安堵の息を吐く。
「ノーマン……」
わたしの声に反応して、ノーマンが顔を向ける。
「サーシャ……どうしてここが?」
「だっていつものことじゃない。あなたがネガティブな気持ちになったら物置に隠れるの」
「ああ……そうだったな」
ノーマンが薄く笑う。
タネも仕掛けもない、ただ知っていただけの話。
ただそれだけ。
たかだか一五年も一緒にいれば知っている癖だ。
「こんな辛い気持ちになるなんてもう恋なんてしたくない……」
ぼんやりとした目でノーマンが言った。
「そんなきざな台詞いらないから。似合わないから」
「放っておいてくれ……俺にはミジンコ並みの価値しかない」
ノーマンくんは気分のアップダウンが激しいんだよな……。調子乗ってるときはイケイケだけど、落ち込むと深海魚である。
わたしはノーマンの前に立つ。
「はいノーマンこっち向く」
ノーマンの頭を両手で挟み、上に向けた。
「あのね……失恋ごときで落ち込みなさんな」
「サーシャは失恋したことないからわかんないんだよ……この胸の辛さは……俺は本当に姫さまのことが――」
「はいはい、運命だったんですよね。だけど本当に姫さまのこと好きだったの? 少し前に会ったばかりでしょ?」
「恋に落ちるのに日にちは関係ないぞ!」
「そうですね。じゃあ、ノーマンにとって姫さまは今も大切な人?」
「当たり前だろ! 振られたからってチャンスがないからって――それとこれとは別だ」
「そう。なら――その気持ちを証明してみなさいな」
わたしは話を続けた。
「ねえ、ノーマン。今は落ち込んで引きこもってる場合じゃないの」
「え?」
「敵が――魔族が城を襲ってるの」
瞬間、ノーマンの目に輝きが戻った。
「な、なんだって!?」
「狙いはおそらく姫さま。巨大な蜘蛛が城壁にはりついていて――おまけにかなり強力な魔族がいる。このままだと危ないわ。勇者としてのあなたの力が必要なの」
「わかった!」
ノーマンはためらうことなく立ち上がった。
だが、数歩歩いて――足を止める。
「どうしたの?」
ノーマンは難しい顔でわたしをじっと見た。
「なあ、サーシャ、俺を殴ってくれ」
「なんでよ」
「口ではああ言ったけどさ……俺、姫さまを助けることになんて言うか……微妙な気分になってる。こんなこと思っちゃいけないのに」
ノーマンが悔しそうな顔をした。
「そんな狭い俺が、俺は許せないんだ」
「そんなことか」
わたしはにっこり笑った。
そんな弱さを、わたしは怒ったりしない。
ノーマンが完璧からほど遠いことなんて――もうずっと前から知っている。こいつは勇者だけど、わたしにとってはノーマンだ。赤ん坊のころから知っているただのノーマンだ。
そんなノーマンの弱さと正直さが好ましかった。
それはわたしも同じだから。
勇者だ聖女だと持ち上げられてもわたしたちはただの人間。気が乗らないときもあれば嫉妬もする。聖女になっても三文ロマンス小説の最新刊は買おうと思っている。
いきなり神さまに「ちょっと魔王倒してきてよ」と言われた普通の人なのだ。
完璧を求められても困る。
完璧を求めるなら他を当たってくれ。
そんな気持ちを、普通の人は理解できないだろう。
わたしだけなのだ。
聖女であるわたしだけが勇者の弱さをわかってやれる。
わたしだけの、わたしにしかできない役割なんだ。
「勇者だって人の子。そういうこともあるよ」
「そうかな?」
「そうよ。だから……あなたの気持ちは買ってあげる」
わたしはこぶしを握りしめて――振りかぶった。
「ノーマン! 目ぇぇぇ覚ませ!」
わたしは思いっきり、ノーマンの頬をぶん殴った。




