第一糞
「ブリブリブリブリィ!!」
突如として教室内に響き渡った誰もが聞き覚えのある音。
ここは静岡県立鰤便高等学校一年三組の教室だ。
(おい、おいおいおい! 誰だ!? 屁をこいたやつは! ……いや、これは固体も出ているんじゃないか!? 脱糞だっ)
三組の一員である池谷和人は周囲を見渡した。
今は、現国の授業中。順番に随筆の朗読をしていたクラスメイトたちは、あまりの出来事に絶句している。当たり前だ。高校の教室で脱糞ともなれば、そいつの高校生活は確実に終わる。しかも、まだ一年生だ。これはどう考えてもまずい。
しばらくして、硬直から解かれた生徒たちはそわそわと周囲をうかがう。和人は恐怖した。
(始まってしまった……犯人捜しだ……)
誰もが疑心暗鬼に陥る中、明らかに挙動のおかしいやつがいた。虚弱そうな男子がしきりにお尻のあたりを気にしている。
(中村……まさかお前……!)
他の生徒も中村の不自然さに気づき始めている。
(やめろ、そんなあからさまに怪しい動きをしていたらすぐにばれる!中村は陰キャだが根はすごくいいやつなんだ。この前なんか俺がゴミ箱に捨てそこなった鼻水付きのティッシュを二十メートルも追いかけて『落としましたよ……』って返してくれたんだよ!だめだ、俺にあいつを見捨てることはできない! ……いや、まてよ。本当に脱糞したのは中村か?)
和人はそこで初めてその臭いをかいだ。
(臭い……臭い! これは、一週間溜め込んだみたいに強烈だ。だが、この臭いは中村の方角からじゃない……もっと近くから臭ってくる! 誰だ! 誰なんだ! 中村を貶めようとしているやつは!)
「先生」
和人が必死に真犯人を捜そうとしていたとき、スッと立ち上がり、挙手をした生徒がいる。眼鏡をかけた女子生徒だ。
(委員長……相変わらず見事な挙手だ。……ん? この場面での意思表示……おいまさかお前、中村を密告しようとしているんじゃないんだろうなっ)
「どうしたのかね?渡辺さん」
委員長にそう聞いたのは初老の男性教師だ。彼は茂木という名前で、このクラスの担任も務めている。朗読中に机の間を回っていたが、脱糞の音がしてから和人の席付近で立ち止まっていた。
委員長が唇を持ち上げる。
(やめろ! 中村は悪くない! あいつは……あいつは本当に良いやつで――)
「池谷君です」
(は?)
和人は最初それを理解することができなかった。
「池谷君が脱糞しました」
(何を言ってるんだこいつは?)
「彼の方向から大便の臭いがします」
(まてまてまてまて)
混乱する和人は恐る恐る周囲を見る。クラスメイトたちは全員が和人を見ていた。
(違う! 俺じゃない……ああっ楠さんまでそんな目で俺を見ないでくれ!)
因みに楠はクラスの中でも飛び抜けて美人で、和人の思い人である。
兎にも角にも反論をしなければならない。このままでは、高校生活が終わってしまう。
「ち――」
「うん、私もそれには気づいていました」
(もてぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!)
まさかの教師の裏切りに、彼は天を仰ぎ、そして慟哭した。
この瞬間、和人の高校生活終了が決定した。
しかし、これはこのクラスに巻き起こる悲劇の始まりに過ぎなかったのだ。
大便戦争の始まりである!