母の願い
トラとその母親は抱きしめ合っている。
俺達は一旦孤児院の中に入り、先生に事情を聞くことにした。
「先生…トラの母親の事で知りたいことがあります」
「…そうですね、その質問は予想できてました」
あいつの母親がなんであいつを捨てたのか、そんなの家族なら気になるだろ。
「…実はトラのお母様、リブさんは…病を患っていたんです」
「病?」
先生はリブさんの母親について色々と話をしてくれた。
病って言うのは…どういうことか分からないが。
「リブさんは過去に伝染病を患っていました。
成人ならばまだ生存は可能でも、子供に移ってしまえば
その子供はほぼ確実に命を落とすような病です」
そんな病気があるのか…トラの母親はその病気だった。
だから、トラに移るのを避ける為に預けたのか。
「その病を患っていた彼女は当時かなり悩んでいたらしいです
トラさんを生かすために娘を捨てるか…自分の我が儘で娘を殺すか。
どっちにしても、彼女はトラさんに大きな傷を与える事になります。
捨てた場合、トラさんの心を酷く傷付ける。
簡単には回復出来ないほどに大きな傷を。
しかし、捨てなければ彼女を殺してしまう」
「…だから、捨てたんですね…でも今は」
「今はその病が回復したらしいですよ、戦争も終り
医療技術も向上し、過去では不治の病だったはずのその病気も
無事、回復する手段が発見されました」
やっぱり戦争が原因だったんだな。
当然、追い込まれてた国家に医療技術を向上させる余裕は無いだろう。
「皮肉な物ですね、戦争に行かせたくなかった子供達が戦争へ向わされ
その結果…自分も国も救われた…本当に何が正しいかなんて分かりませんね…」
「……」
先生の目は、何処か寂しげだった。
…きっと、今まで望まないで送ってしまった子供達の事を思いだしてるんだろう。
「実を言うと、私達が食事を取ることが出来てた理由はリブさんのお陰なんです」
「どういうことですか?」
「リブさんはトラさんを私に預けた後、内職を行なってたそうです。
その内職で稼いだお金を自分が最低限生きるためのお金以外は
全てひまわりに寄付してくださってました」
「そうだったんですね」
「じゃあ、あの人って私達の恩人?」
「そうなりますね」
…本当、立派な母親じゃねぇか。
ここまで娘の為に頑張ってた母親が、母親失格だって?
何処がだよ…十分母親じゃねぇか。
「でも…気になるんだけど…お父さんは?」
「…トラさんのお父様は…戦争で命を落としました。
トラさんが生まれたのは、戦争で父親が命を落とした後らしいです」
「つまり、トラは父親の忘れ形見って奴ですか」
「えぇ…お父様もトラさんの為に兵士として努力をしていたらしいです。
生まれてくる娘と妻を養うために、命の危険を覚悟して。
リブさんはそんな夫を必死に止めていたそうですけど
現状、自分が出来る仕事で最も給与が貰えるのは兵士…
家族を養うためには…仕方なかったのかも知れません」
そうか、満足な仕事が無かったから
殆どの家庭は家族を養うために兵士になるしか無かったんだな。
「リブさんは夫の訃報を受け、泣き続けたそうです。
肉体的にも疲弊し…その時にトラさんを出産。
ただでさえ弱っていた肉体に出産という大きなダメージ。
それが原因でしょうね、リブさんが病を患ったのは」
……あぁ、精神的疲弊に肉体的疲弊…病になってもおかしくは無い。
「…その結果、リブさんは唯一の家族となったトラさんを捨てるしか無くなった。
本当に…可哀想な方です。夫も失い、唯一残った娘も自らの手で捨てるしか無いなんて
……私は、そんな彼女に…娘まで戦争に向ったと伝えた」
夫も戦争で失い、娘まで戦争に向うしか無くなった。
そんな話を聞かされれば…彼女の心はより傷付くだろう。
それ位は先生だって分かってた筈なんだ。
だけど、それが分かってたのに伝えるしか無い。
なんで伝えたのか…理由は分かる、簡単に分かる。
トラが兵士として徴集したときに渡されたあのお金だろう。
「…なんでそんな事伝えたの? 先生…」
「…トラさんが徴兵されてしまったときに渡されたお金。
それを…リブさんに渡すためです」
お金に困っていたはずのリブの母親。
その母親に大事な娘が徴兵されて手に入れたお金を渡さないわけにはいかない。
「今でも思い出します…私の言葉を聞いて、泣き崩れたあの人の事を。
私は殴られる覚悟でした。殺されても文句は言えないと思っていました。
ですが、帰ってきた言葉は意外な物でした。
…そのお金は他の子達に使ってあげてください…あの子も、きっとそれを望んでいる」
…そんな理不尽を告げられても、自分の感情よりも娘のことを思ってたのか。
「私は説得しました、でも、どれだけ説得しても彼女は受け取ってくれませんでした。
最悪、自ら命を絶つかもとも私は感じました…恐らくですけど。
トラさんが命を落としたら、自らも死を選ぶつもりだったんだと思います」
娘が生きている間は必死に生きようとしていたと。
あくまで先生の見解だから、本当かどうかは分からないけど。
「先生…なんでトラにその事を伝えなかったんですか?」
「口止めをされてました、娘に自分の事を伝えないで欲しいと。
あの子を捨てた私には彼女の母親を語る資格は無いからと。
私のせいで…彼女が幸せに生きる事が出来なくなるのは嫌だからと」
「じゃあ、トラの名前は? 俺はずっと先生が付けたのかと」
「名付けたのは私とリブさんの2人です。
本来、名前はお父様が付ける予定だったらしいです…ですが」
「……」
「なので、私は一緒にその赤ちゃんの名前を考えました。
2人で考えて、出て来た名前はトラです。
この名前には2つの意味が含まれています。
1つは私が話したトラベルという意味。
もう1つはトライ、挑戦です。どんな物にも挑んで欲しいという願いです。
自分やお父様には出来なかった何かに挑戦するという行為。
それをして欲しいからと」
追い込まれ、戦争してる国家で何かに挑戦するのは難しいだろう。
だからきっと、母親はトラに何かへ挑戦して欲しいと願ったんだろう。
戦争が終わることを祈って。
「2つも意味があったんですね」
「えぇ」
ここまで娘思いの母親が何処までも不憫な一生を過ごす。
娘思いだからこそ、きっと何処までも不憫だったんだろう。
何処かで妥協できていれば、辛い思いをすることは無かったかもな。
更に戦争が終わった後も、自分で不憫な道に進もうとしてたなんてな。
全部娘の為…何処までも娘想いな母親だ。
「そんな不幸な母親の不幸を止めたのは…その娘と大事な友人達」
「いえ、不幸を止めたのはトラですよ。
あのままだったら、きっとあの人はもっと不幸な道を歩んでた」
「そもそも、先生が居なかったら…私達って出会えてないし」
「そうだな、元を正せば全部先生のお陰か」
「いえ、私は何もしてませんしこれからも何も出来ません。
私は無力な先生ですよ…」
「先生のお陰でこうやって生きてるんですから」
「うん! 先生のお陰!」
「ありがとう、先生」
「…私にお礼なんて言わないでください」
先生は自分の事を良しと考えないタイプだからな。
「…ごめんなさい、お待たせしました」
俺達の会話から少し経ち、トラとその母親がひまわりの中に戻ってきた。
2人とも散々泣いたからなんだろう、目が赤い。
しかし、その表情に曇りは無く、清々しい表情だった。
あれだけ泣いて、スッキリしたのかも知れない。
「トラ、よかったな」
「…うん!」
トラの表情が今までで1番と言って良い程に明るかった。
母親との再会、そりゃあ、明るくなるだろう。
「それで、どうするんだ?」
「え?」
「お前は母親に出会えた、その人はもうお前を捨てる事は無いだろう。
このまま…自分の母親に付いていった方がお前は幸せだと思うが」
トラの母親は俺の言葉を聞いて、トラの方を向いた。
トラも同じく母親の方を向いた…迷っているのか?
母親は少しした後、トラに向けて微笑みを向けた。
「…あなたの好きなようにして良いわ、あなたが選ぶなら
私は何も言わない…それが、お母さんだと思ってる。
それに、あなたには挑戦をして欲しい、自分の意思で選んで」
「……うん」
少し考えた後、トラは小さく頷いた。
「リオ、私は兵士を止めない。今まで通り兵士として戦う」
「だが、それには命の危機があるんだ…出来ればお前は」
「私は兵士…だけど、ただの兵士じゃ無い。
皆を守るために兵士をしてる。
最初は無理矢理だったけど、今は違うの。
今は…自分の意思でリオ達と一緒に兵士をして居るんだ。
だから、私は兵士を止めない、私は皆を守りたいから。
私にしか出来ないことを、私はしたい!
最初はちょっと違ってた、最初はリオに勝ちたかったから」
え? こいつ、俺にライバル意識なんて持ってたのか?
そんな雰囲気は感じなかったけど…うーん。
「でも、今は皆を守りたいから…だから兵士をしてるの。
だから、私は止めない…お母さんも応援してくれるはず」
「勿論よ…出来れば戦争には行って欲しくないけど。
あなたが自分の意思で選んだ事なら、私は喜んで応援する。
正し、約束して…絶対に帰ってきてね」
「うん」
「…後悔するぞ? お前はこれからもっと怪我をするだろう。
痛すぎて泣いちまう事もあるし、体中が痛むこともある。
最悪、自分の最後って奴を見ることになるかも知れない。
俺達は全力でお前を守ろうと努力はするが
当然、守り切れるという保証も無いんだ。
だが、このまま母親と一緒に過ごすって言うなら
お前はそう言う危険から離れることが出来る。
怪我もあまりしないだろうし、最後に直面することも少ない。
大怪我も多分しないだろう…絶対にそっちの方が幸せだ」
「私からして見れば、皆を見捨てて自分だけのんびりと過ごす方が不幸なの。
皆が居ないと、お母さんと一緒に居てもきっと笑えないから。
だから、私はずっと笑っていくためにも、皆と一緒に兵士をする。
私が兵士じゃ無くなる時は皆が兵士を止めたときか
…世界が平和になった時、私は笑いって過ごしたいから後者を選ぶ。
幸せを得る為に、私は一時的な不幸に身を投じる
その不幸の中でも、皆と一緒に居れば絶対に幸せだから」
……そうか、この決意は揺らがないか。
なら、これ以上は何も言わないでおこう。
「…分かった、後悔するなよ」
「後悔しないよ、今更」
こいつの幸せをつかみ取るためにも、戦いに勝たなきゃな。
 




