村娘、賢者さまに出会う。
ジュディ・ウッドワードは今年16歳になる。
母親は子供の頃に流行り病で亡くなり、ロアノーク王国の西のはずれにあるジンデル村で、猟師の父親と二人暮らしである。村人誰もがそうであるように、村から遠くに出たことは無く村の近くにあるヘイスティングスの森に行く位である。森では薬草や木の実を採取し、村に来る行商人に売ることで多少の現金収入を得る。
父親も猟で得た獲物を売って生活の糧にしているが、収入はぎりぎりで余裕のある生活には程遠い。
生まれてからずっと同じ生活なのでジュディは諦めているが、顔見知りになった行商人の話を聞くと華やかな王都へ憧れる気持ちが強くなる。いずれお金を貯めて王都に行きたいと思っているが、それが叶うまで何年かかることやら想像もできない。
今日もジュディは通い慣れたヘイスティングスの森に入っていた。
通い慣れたと言っても森はとても広く、彼女が知るのは広大な森の一部でしかない。
ー森の奥に入ってはいけない、迷って戻れなくなってしまう。
猟師として森をよく知る父親は彼女にそう言い聞かせていた。しかし言われれば言われるほど彼女の好奇心は大きくなっていく。
「父さんは入るなと言うけど私だってこの森をよく知ってるんだ」
確かにジュディは森をよく知っている。どこにどのような木の実が成り、薬草が生え、川がどこに流れているのか、村でも彼女以上に知る者はいないはずだ。ジュディにとってヘイスティングスの森は子供のころから通い慣れた自分の庭のようなものであった。知り尽くしているから、更に奥に入ればもっと珍しい薬草が見つかるかもしれない。そうしたら
父親はいつも日の出と共に森に入る。
ジュディはそれを見送り、もう少し日が高くなってから父親とは別の場所から森に入る。いつもなら太陽が少し傾いた頃には村に戻るが、今日は奥まで入るつもりなので帰りは遅くなるはずだ。勿論父親には何も話していない。どうせ反対されるに決まっているから。
森に入り、獣道を歩く。その歩みに迷いはない。もう10年以上森を歩いているのだから。
ジュディは父親からこれ以上奥に入っては行けないラインを定められていた。普段はそこに至るまでの間で十分収穫があるのでラインを越えて奥に入ったことはない。
父親が定めた越えてはいけないライン、目印は一本の大木だ。直径がジュディの身長より太いそれは無言の圧力をかけるように佇んでいた。その奥は今まで歩いてきた場所とは違って薄暗い。木々に遮られ太陽の光が余り届かない為だ。薄暗い様子に恐怖を感じ、やはりやめた方がいいかもと足がすくむ。
「同じ森なんだから大丈夫!」わざと大きな声で言って弱気を追い出す。
ジュディは森の奥に向けて一歩を踏み出した。
彼女以上に森を知る村人はいない。
しかし彼女は気が付いていなかった。
自分が森と思っていたのは広大な森の一部、ほんの外縁部に過ぎないという事に。
森の中は薄暗かった。
時折遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。いつも聞く可愛らしい鳴き声ではなく、聞くものが不安に思うような不気味な鳴き声である。彼女は奥に入った事を少し後悔し始めていた。
それでもおっかなびっくり歩き続ける。考えていたような珍しい薬草は見つからなかったが、殆ど人が入らない為か薬草そのものの収穫は普段より多い。 初めこそ若干不気味な雰囲気にビクついていたジュディも収穫の多さに笑みが隠し切れない。そしてあれも、これも、それもと収穫しているうちに…
「ここどこ?」
見事に道に迷っていた。
ずっと真っ直ぐ歩いているつもりだった。しかし収穫に目がくらみ獣道を外れ気が付くと来た道もわからなくなっていた。目印も無く、同じような光景の続く森林は容易に方向感覚を失う。ジュディは半分泣きながら通ってきた方へ戻ろうとした。だがそれは更に迷う悪循環であった。恐怖に駆られ闇雲に走り、木の根に躓き転んでしまう。
「父さん…父さん…助けて…」
二度とこの森から出られないのではないかという恐怖と、躓いたときにぶつけた痛みで涙が出てしまう。彼女は膝を抱え、静かに泣き始めた。
どれくらい時間が過ぎただろう。
いつの間にか眠ってしまったらしい。薄暗いのは相変わらずだが、まだ日は高いようだ。泣いて、少し眠ったら気分も落ち着いてきた。
「とにかく外に出ないと。」
立ち上がり、落ち着いて木々に遮られた空を見上げる。さっきまでは動転してわからなかったが、太陽が枝の隙間から微かに見える事に気が付いた。太陽は真上ではなく、少し傾いた位置にあるようだった。彼女のジンデル村は太陽の沈む方向にある。つまり太陽の沈む方へ向かえば村の方へ出るはずだ。希望が見えた、そう思って歩き出そうとした時である。
「ゴフッゴフッ」
荒い鼻息が耳に入った。
恐る恐る視線を動かすと、10メートル先に1匹の巨大な獣がいた。
体長は5メートル近くあるだろうか、黒く固い体毛に覆われた4つ足の獣。額には一本の角が生え口からは鋭い2本の牙が伸びている。
「ゴ、ゴブリン…」
ゴブリンはヘイスティングスの森に生息する獣である。気性が荒く、敵と見れば巨体で体当たりをして角を突き刺し止めを刺す。巨体に似合わず足は速く、更に厄介なことに皮が厚く固い為弓矢ではどうにもならない。ベテランの猟師が数人がかりでマスケットを撃ち込んでようやく仕留められるほどだ。そして武器も持たない小娘が、たった一人で遭遇して生き残れる可能性は零に等しい。
「キャーーーーーーーーーーーーーーッ」
悲鳴を上げることができただけでも上出来だったかもしれない。足ががくがく震え始め、力が抜けてすとんと尻もちをついてしまった。彼女にできるのはガタガタ震えながらゴブリンが己の身体を潰す瞬間を待つだけであった。
パーン!
破裂するような音が響き、ゴブリンの額から赤いものが飛び散る。
続いて間髪入れずに破裂音が響き、ゴブリンの身体の彼方此方から赤いものが飛び散るのが見える。ジュディはようやくそれが血しぶきである事に気が付いた。10数回同じことが繰り返され、ゴブリンはようやく踵を返し森の奥へ消えていった。
「大丈夫ですか?」
いきなりジュディの前に男が現れた。男は黒髪を持ち、彼女が見たこともないコートを着ていた。そこでようやくこの男が自分を助けてくれたのだと気が付く。
「う、うん」
「立てますか?」
男が手を差し伸べてくれたのでその手を取り立ち上がった。一見華奢だが、ジュディを引き上げた腕は力強い。
「うん。ごめんなさい、ゴブリンに襲われるなんて思わなくて」
「ゴブリン?」
男ははて、それは何でしょうという表情を浮かべていた。この人はゴブリンも知らないのだろうか。
「今追っ払ってくれたじゃない。知らないの?」
ゴブリンは凶暴な獣だがその肉は食用となる。簡単に狩れる獲物ではなく、猟師の危険も大きいので頻繁に食卓に上るものではないが、それでも森の近くで暮らしていれば誰もが知っている獣である。
「北海道にそんな動物がいるなんて知りませんでした。イノシシではないんですよね」
「ホッカイドー?イノシシ?」
男は彼女の知らない地名と獣の名前を言う。そうか、この人はきっとどこか遠い場所に住んでいる人なのだろうとジュディは思った。それならばゴブリンを知らなくても不思議はないかもしれない。
「あ、えーとすみません、教えて頂きたいのですがここは北海道ではないのでしょうか」
「ホッカイドーがどこかは知らないけど、ジンデル村の近くにあるヘイスティングスの森だよ」
ジュディの言葉に男は戸惑った表情を浮かべる。まるで自分がどこに居るのかわからないような。
「あ、ゴブリンから助けてくれてありがとう。私はジュディって言うの。あなたは?」
「いえいえ。私も偶然通りがかったのでよかったです。私は赤森良仁と言います」
「アカモリヨシヒトさん?変わった名前だね」
「あー、えーと、アカモリって呼んでくれればいいですよ」
「アカモリさんね。わかった」
アカモリは曖昧な微笑みを浮かべていた。
「そういえばジュディさんの村は近いんでしょうか」
「あ、えーとね、実は…」
ジュディは自分が森の中で迷ってしまった事をアカモリに説明した。そして太陽の沈む方向に向かえば帰れるはずだとも。
「なるほど、それなら村まで送りましょう。ただ森の中は危険な動物もいるようですので準備が必要です。まず私の家に寄ってからでも構いませんか?」
「家って…アカモリさんまさか森の中に住んでいるの?」
「ええ、そうなんですよねえ。どうしてこうなったのかさっぱりわからないんですが。とりあえず私のバイクのとこまで行きましょう」
アカモリはそう言うとスタスタ歩き始め、ジュディも慌ててそれを追う。森の中に住んでいるという得体のしれない男の家に行くというのに彼女は不思議と恐怖は感じていなかった。
これが、村娘ジュディと賢者さまとの出会いであった。
思ったより間が空いてしまいました。
文章を書くって大変だなあと改めて思います。
ブックマークや評価ありがとうございます。
自分の書いている作品を読んで頂けるというのは本当にうれしい事ですね。
今後ともよろしくお願い致します。