イエティ生活始まりました!
浩は困惑する。
当然だろう、眼前に広がるのは浩にはまるっきり見覚えのない景色なの
だから。
「……え? 何処? ここ……」
キョロキョロと周りを見回す。
辺り一面見渡す限りの銀世界、ついさっきまで居たはずの自分の部屋と
は似ても似つかない光景。
雪に覆われた平野が広がり、だいぶ遠くに白い葉を枝に乗せた木が立ち
並ぶ雑木林が見える。
所々に今までに見たことも無い、3、4mほどの高さの巨大な水晶が地
面から生えるように屹立している。自分の後ろ、数mほど離れた所にもあ
る。
「……お、俺、確かに自分の部屋にいたはず……ま、ま、ま、まさか、本
当に異世界に?」
浩は光を放つ前のテレビ画面に表示されていたゲームのテキストを思い
出す。
「……い、いやいやいや! そんなゲームやラノベの世界じゃあるまいし
……そうか! これは夢だ! 徹夜だったからなぁ~~…………あ!?」
自分自身を納得させるように独り言を言いながら、夢であることを確認
する為、自らの頬をつねろうと顔に手を近づけた浩の目に奇妙なものが映
る。
白くてふわふわとした体毛に覆われた太く逞しい腕、その先に付いてい
る手からはこれまた太く逞しい指が生えている。
普段見慣れた、必要最低限の筋肉しか付いていないような自分の細い腕
とはまるで違う。
浩は暫しの間、無言で自らの手を凝視しながら固まり、不意に弾かれた
ようにぐりんと振り返ると、少し離れた場所にあった巨大な水晶へと向か
って歩き出す。
すぐ近くまで来ると、巨大な水晶は浩の〝今の姿〟を鏡のように鮮明に
映し出してくれた。
「ノオォォォォォォォォォオォォォォォォォォォォォオオォォ!!!!」
その姿を見て浩は絶叫する。
まるで兎のような、垂れ下がった長い耳。黒くつぶらな瞳。真っ白でふ
わふわの体毛に包まれた、まん丸な巨体。
3m近いと思われる身長を持つ、巨大な毛玉……もとい『雪獣人』。
それはつい先程、数時間掛けて完成させたアバター――『イナバ』の姿
そのものだった。
「ま、ま、ま、ま、ま、ま、マジかぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!
い、いやいやいやいやいや、そんなわけねぇって! お、落ちつけ俺!!
落ちつくんだ!『素数』を数えて落ちつくんだ!! そ、そうだ!これは
夢だ、夢!! 目を覚ませ! 俺!!」
浩は自らの顔を殴る。割と強めに何回も殴る。
(……ん? 全く痛くないぞ! やっぱりこれは夢だ!)
そう思い、早く目を覚ませ俺! という気持ちを込めて更に自分の顔を
殴り続ける。
しかし、殴れど殴れど一向に目が覚める気配は無く、段々と虚しくなっ
てくる。
それどころか、痛みこそ感じないものの拳を顔に当てる度に、拳の硬い
感触や顔を覆っているふわふわの体毛の柔らかな感触等は、とても夢とは
思えない程リアルに鮮明に感じられ、殴れば殴るほどこれは夢ではないと
いう事が確信でき るようだった。
そのうち浩は、顔を殴るのを止める。
「……なんてこった……」
地面に両手を付き、うな垂れる。
もはや認めるしか無い。
あまりにも信じ難いことだが、自分は異世界に雪獣人として転生してし
まったのだと。
「……何だったんだよ…あのゲームは……」
浩……いや、イナバは暫しの間、うな垂れながら放心していたが、そう
しているうちにようやく少し頭の中が冷えてきたようだった。
(……いや、まぁ確かにゲームの世界に入れたらなぁ~…なんて妄想した
ことは何回かあるけど……いくらなんでも唐突すぎるだろ、これは……)
立ち上がり、再び辺りを見回す。
「…これからどうしよう……」
何気なくそう呟いた時、イナバは不意に何か…嫌な気配のようなものを
感じ取った。
「な、なんだ!?」
慌てて気配のようなものを感じる方向に目を向ける。
何か……遠くにある雑木林の方から何かが大量に、凄まじい速さでこち
らに迫って来ていた。
「お、お、お、狼!?しかもデケェ!!」
それらは狼だった。いや正確には狼に非常によく似た怪物だった。
数はおそらく20頭ほどだろうか。
それらが狼に似ているが狼(少なくともイナバの元居た世界の狼と同じ
もの)ではないと断言できる理由はいくつかあった。
まず頭に山羊のそれに似た2本の角が生えていること。
そしてなによりも、とにかく体がでかい!
頭の角に目を瞑れば姿形こそ狼そのものだが、体の大きさは成牛に匹敵
するものだった。
『狼の怪物』達はイナバの周りを取り囲み、低く唸っている。
自分達の縄張りに入ってきた侵入者に対する威嚇だろうか?
それとも餌を発見して、嬉しくて興奮しているのだろうか?
あるいはその両方か。
イナバには分からないが、少なくとも自分に対して好意的な感情を持っ
ていないことは確信できた。
怪物達からは『害意』と言うか『殺意』と言うか、とにかくそんな感じ
のものがはっきりと感じ取れるからだ。
「待て待て待て待て! 君達!! 話せば分かる! 同じ〝モンスター〟
じゃないか!!」
イナバは必死になって平和的に解決しようと試みる。
だが『狼の怪物』達は変わらず『害意』と言うか『殺意』と言うか、そ
んな感じのものをビシビシとイナバにぶつけてくる。
話し合う気は皆無のようだ……ただ話せるだけの知能が無いだけなのか
もしれないが。
(駄目だ! こいつら完全に俺をヤル気だ!! どどどっど、どうしよう!?
……つーか、転生した直後にいきなり取り囲まれてゲームオーバーってど
んなクソゲーだ!! ……い、いや待てよ!?)
その時、イナバはキャラメイキングをしていた際のある説明文を思い出
す。
キャラメイキング中、『レベル』を設定する際、画面にはこんな説明文
が表示されていた。
『レベルは最低1から最高150まであります。
レベルが高ければ高いほど選択できる職業、また習得できる魔法や魔技、
スキルの数も多くなります。
さらに、レベルが高い方が装備できる武具やアイテムのランクも高くなり
ます』
他にも
『これからあなたが転生する異世界では現在のところ、レベル100の壁
を突破出来ている者はまだ存在しません!
ちなみに10以上のレベル差がついた……例えばレベル90の者とレベル
100の者が1対1、かつ装備のランクに大きな差が無いという条件で真
剣勝負をした場合、レベル90の者が相手に対して余程有効なスキルや魔
法でも所持していない限り、レベル100の者に勝利することはステータ
スの差的にほぼ不可能です。
なので、あなたがレベル150で転生した場合は、かなり圧倒的な無双プ
レイをお楽しみいただけます!
無双プレイに興味が無い、という場合はレベルを低く設定してください。
当然ですが異世界に転生した後でも、戦闘によって経験値を得てレベルを
上げることは可能です!』
という説明もあった。
イナバは『見た目は強くなさそうなのに、実は強いキャラ』というコン
セプトで作成したアバターの為、『レベル』はしっかり150。『職業』
に『魔法』や『魔技』『スキル』や『装備』などの選択、及び『ステータ
ス』のポイント振りはかなり真剣に……所謂〝ガチ〟になるようにしたつ
もりだった。(もっとも、初めてやるゲームなので本当に『ガチ』になっ
ているかどうかは分からなかったが……)
(あの説明文に書いてあったことが本当で、ちゃんとステータスも設定し
た通りに再現されているなら、俺はこの世界ではかなりの猛者のはずだ!
そ、そしてアバターの見た目が完璧に再現されている事から考えると、ス
テータスも再現されている可能性は高い!
し、しかし絶対にそうだとは言い切れない!!
そもそもこいつら数めっちゃ多いし! 仮にステータスが再現されてたと
しても殴り合いの喧嘩なんて、小学生の時以来したことねーし!!)
頭の中で凄まじい速さで考えを巡らせていると、怪物達の中の一匹が他
の怪物達よりも少し前に歩み出てくる。
体中に古傷があり、頭の角は片方中程から折れている。そして他の怪物
達よりも一回りほど体が大きい。
おそらくはこの群れのリーダーだろう。
「グルルルゥゥゥゥゥゥアァァァアァァァァァァァ!!」
リーダーらしき狼は「俺に続け!」と言わんばかりに吠えると、イナバ
に向かって飛びかかってきた。
「く、来るなぁー!!」
イナバは反射的に両の手のひらを、飛びかかってきたリーダーらしき狼
に向かって突き出す。
その手の平が狼の体に触れた……その瞬間――
ドォン!!!!
という予想もしなかった大きな音が響き、イナバに突き飛ばされたリー
ダーらしき狼は、さながらスリングから打ち出された礫の如く、凄まじい
速度で吹っ飛んでいく。
200mほど飛ぶと、そこにあった巨大な水晶に激突し、ようやく止ま
った。
モンスターに生まれ変わって目が良くなったのか、200mという距離
があってもピクッピクッと痙攣しているのがイナバにも見て取れる。
どうやら死は免れたらしい。
リーダーに続いてイナバに飛びかからんと身構えていたはずの他の狼達
は、氷の彫像になったかのように固まり、吹き飛ばされたリーダーを見て
いたが、示し合わせたような揃った動きで再びイナバの方に向き直る。
一方、イナバは己がたった今起こした事が信じられず、暫し自らの両の
手のひらを凝視していたが、狼達の自分への視線に気付き、視線を手のひ
らから残りの狼達に移す。
イナバに見つめ返された途端、狼達は皆一様にビクンッと大きく体を震
わせ、一斉に我先にと逃げ出した。
「た、助かった……」
徐々に遠ざかる影達を見送り、やがて完全にその姿が見えなくなるとイ
ナバは大きく息を吐いた。
(ど、どうやらステータスもちゃんと再現されているようだな……)
己が先程発揮した怪力を思い返し、そう判断する。
あの『狼の怪物』達がとびきり弱い雑魚キャラだっただけという可能性
も無い事は無いが。
(『無双プレイが出来る』というあの説明文も嘘では無かったみたいだな
…………とりあえず身の安全は何とかなりそうかな?)
そう考えると、ようやくイナバの心に平静が戻って来た。
暗闇に光が差し込むような実に晴れ晴れとした気分というやつだ。
(……よし! 大丈夫だとは思うが『ステータス』以外もちゃんと再現さ
れているか確認しとくか!)
少し前までのテンパり具合は何処へやら、イナバの顔は新しいオモチャ
を与えられた子供のように輝いていた。