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連鎖

2010年の拙作。再掲載。

「大山憲太くん、だよね。君には本当に申し訳ないと思うよ。いや、そう思う必要は、私にはないのかもしれない。元をたどれば全て君のせいであるのだし、私は他に、この怒りや悲しみのやり場を、知らないんだ。他の者は全て、すでに裁きを受けていたしね」

 そう言いながらその見知らぬ男は手に持った包丁をこちらに向けてきた。きらりと鋭い先端が一心に胸のあたりを見ている。

「ちょっと待って、ちょっと待ってください、どういうことですか」

 ふらりと出掛けたコンビニの帰りに、普通はこんなことは起こらない。状況として、可笑しい。一人暮らしの冴えない男子学生が、ちょっとプリンでもと思ってコンビニに出かけて、売り切れだったプリンの代わりにポテトチップスを買って、そのビニール袋をぶらぶらとぶら下げながらさあ家まであと少しだというところで、包丁を持った男にいきなりわけのわからないことを言われる。こんな状況は、あり得ないのだ。

 説明を促したところで、男は応える気がないようだ。自分の中ですでに何かを完結させていて、しかもそれは僕を殺すということで成立しているのだから、もうどうしようもない。目の前に立ちはだかれては、家に立てこもる手段も取れない。

 ぐっと重苦しい沈黙で、男の視線がふっと逸れた瞬間に、僕は振りかえって走り出した。

 が、あえなく、背中から刺される。

「君のせいで、多恵は死んだんだ」


―――


 苛々していた。何かが可笑しいと、そう感じていた。全てあのわけのわからん男のせいだ。

 地面を思い切り踏みつけるようにがすがすと進む足を、止めようとも思わない。憤慨。そう、俺は憤慨している。この両の足で地面を割ってしんぜようと言わんばかりに、ただ力任せに、前へ進んでいく。

 目の前を、人が、歩いている。

 そもそも俺の人生は、ろくなものではなかった。生まれて間もなく両親は離婚、母親に引き取られたものの、育児放棄。俺は飯もろくろく食えぬまま、泣いて、糞尿を垂らし、冷たい目で見られていた。母親、と呼ぶのも多大なる抵抗を覚えるその女は、毎夜毎夜、違う男を引き連れては赤ん坊の俺を横に性交に耽っていた。

 気付いた時には施設に居た。五か六の時だ。感情は崩壊。なにも感じることはなかった。おもちゃを取られても、可愛い女の子が現れても、心が動くことはなかった。ただ、俺を支える根底に、言い知れぬ、底知れぬ何かが沸々と煮えたぎっていたのを、今もよく覚えている。

 学校にも行けず、適当な年になって社会に放りだされた俺は、そこからずっと孤独だった。安い賃金で家を借り、飯を食い、そしてまた働きに出る。年月の感覚は皆無で、それが何年続いていたのかも、当時の俺には実感として伴わなかった。ただ動いている、生きている、というそれだけをポンと言い渡されたように知っていただけである。

 周りの、同年代の人間たちが楽しそうに笑いながらどこかへ出かけるのを、俺はただ横目に見ているだけだった。悔しい、とは思わなかった。ただ、憎かった。俺の腹の中を蠢いている何かというのが、怒りであるのだと、そこで自覚するのだ。そしてその怒りは俺に、壊せ、壊せ、とただ投げつけてくるばかりだった。

 金がある程度溜まり始めたころに、俺は仕事を辞め、部屋に閉じこもるようになった。朝から晩まで雨戸も開けず真っ暗な部屋の中でインターネットを見ていた。社会の縮図。それをただ俯瞰するだけというのは、心地いいものだった。

 そして、昨日だ。食糧が底を尽き、仕方なしに外出したところ、あの男に出くわす。

 男はジーンズに黒いパーカーを着ていて、ご丁寧にその帽を深く被っていた。口はマスクで覆われ、いかにも、という風貌で、それらしく、包丁を握っていた。俺がそれを視認して、しかしやり過ごしたのが気に喰わなかったのか、何かよくわからないことを叫びながら、俺の肩のあたりに包丁を突き刺してきたのだ。真新しい血が、噴き出すさまを、普通に暮らして居ればまず見ることはないのだろう、その男も、この俺の肩から噴出している血しぶきを見て、発狂したように走り去って逃げた。しっかりと包丁を持ち去っている辺りに、どこかで、感心していた。

 通り魔、とは、聞いたことがあったが、実際に被害者になってみると、なすすべもないまま、そこに倒れ込むだけなのだ。

 幸い傷口は深くなく、男の叫び声を聞いたのだろう近所の人が手当をしてくれたので、事態は発展せず、そこで完結した。

 だが、納得など行かないのだ。

 俺はそうして、わけもわからぬまま、周りの人間のしたいがままに振り回され、このまま生きていくのだろうか。そんな人生をこれからも送っていくというのだろうか。そんな馬鹿な話があってはならない。俺の人生の中で、俺は神なのだ。神が馬鹿にされる神話が、どこにある。

 俺はやる、俺はやるのだ。

 そして今日、この渋谷の街で、スクランブル交差点で、大量の人々を前にして、ぐっと、ポケットに忍ばせたナイフを、強く握るのだ。


―――

 

 葬儀の後、美里の母親が挨拶をしに来た。僕にとってはそんなことは、どうでもよかった。美里が死んだ。その事実がただ、僕の胸をくっと締め付ける。

 家に帰ってきて、制服から軽装に着替え、二階の自室に籠った。母も父も、あの生意気な優斗も、今日ばかりは静かである。その気遣いも、重たかった。どんよりと暗い部屋で、僕はただ、泣いている。

 美里は、綺麗な女の子だった。高校に入学してひと月も経たないうちに学年の男子の話題をさらっていくようなタイプで、その内の半数は、気持ちの大小を問わず恋に落ちていたのだろう。それくらい、美しい女生徒だった。特別に成績が良かったり、スポーツもできてしまう、などということはなかったが、顔も性格も申し分ない、という評価を受けていた。だからあるいは、彼女はアイドルのような扱いにあったかもしれない。遠からずも近くないというのか、今思えばどこか一線を引いたような関わり方が、男子の中ではあったように思う。

 その一線を初めて乗り越えたのが、僕だった。無謀にも、とはクラスメイトに言われたことであるが、無謀にも彼女に告白をしたのは、僕だけだったのだ。

 それまでの僕と美里の関係を考えれば、確かに無謀であった。ただなんとなくクラスに一緒に居て、同じ授業を受けて、時折挨拶をする、などというその程度の関わりしかなかった僕が、いわゆる高嶺の花を摘もうと手を伸ばしたのだから、それは裸で山を登るような危険性を多分に孕んだ挑戦だった。が、呆気なくその高嶺の花は、僕に摘まれたのだ。後になって聞いた理由は、なんとなく、楽しそうだったから、というそれだけだったらしい。

 実際に僕が彼女を楽しませられていたのかどうかは、聞いたことがなかったし、今となってはもう聞けない。だけれど僕は少なからず彼女を楽しませようとしていたし、僕の目には、彼女は楽しんでいるように見えた。

 幸せだった。確かに始めの頃はお互いにぎこちなかったし、言ってしまえばアイドルと結婚した若手俳優みたいなひどいバッシングもあった(ましてや僕は若手俳優のようにイケメンではなかったし、手の届く範囲に居たので、暴力沙汰もあったものだ)。それでもそれは、彼女と付き合えている事実を前にすると、路傍の石のような程度の価値しかなく、邪魔にもならなければ、目にも入らなった。彼女と、美里と過ごせている時間があれば、僕は無敵だったし、最強だった。

 おとといの深夜に、美里から電話があった。僕は当然のように寝ていたから、なんだよ、と思いながら携帯を開き、通話ボタンを押した。もしもし、と言っても返事がないので、こんな時間にいたずらかよ、と寝ぼけ眼に時計を眺めていると、向こうから、すすり泣くような声が聞こえて、背筋が震えた。

 時計を見ると二時十分を過ぎたころで、その長針が十五分、二十分を指す辺りまで、ずっと泣き声だけが聞こえていた。心霊現象なのかとすら疑いそうになるほど、向こうの音はざらざらとしていて、胸は騒がしくなる一方だった。声も絞り出せずただただその泣き声を聞いていると、ようやく美里の声が聞こえて、少し安堵したのを覚えている。

「……ごめん、寝てたよね」

 なぜか嗄れた声で、美里はゆっくりとそういった。僕は思ってもいないのに、全然いいよ、と言っていた。

「ごめんね、ごめんね」

 なぜだかそう繰り返す美里の声の奥に、車の走る音が聞こえたので、何かよからぬことを、想像した。思えば、こんな時間に電話を掛けてくること自体が、美里の家のルールと、美里の性格を考えれば、あり得ない話だった。頭の中はあれでもないこれでもないとおもちゃ箱をひっくり返したかのように、よくない想像がごった返して居て、パニック状態だった。

 美里が歩いているのか、空気が揺れる音も聞こえてくる。

「どこに居るの? 外なんでしょ?」

「ごめんね、ごめんね」

「迎えに行くから、どこに居るの?」

「ごめん」

「美里?」

 そこで通話は切れた。

 翌日、それでもなんとか寝てしまえた自分に驚きつつリビングに降りていくと、いつものあわただしい朝の中に、緊張感というのか、そういった糸が張り詰められている気配を感じた。母も父もどこかよそよそしく、ただその事態を飲み込めていない優斗だけが朝からわあわあと忙しなく騒いでいた。

 母親が朝食を用意しにキッチンへ消えていく。おとなしくトーストをかじっている父に、何の気もなく尋ねる。

「今日はテレビ見ないの? 新聞も読んでないね」

「あ、ああ」

「点けるよ?」

 返事を待たずして点けたテレビの先で伝えられていることは、この近所で起きた自殺についてのことだった。

 どうやら女子高生がレイプに遭い、川に投身自殺、溺死体が見つかった、ということらしかった。

 それがまさか自分の恋人であると、誰が思うだろうか。

 ――ノックの音で、ふっと我に返る。

「お母さんだけど」

 応えずに居ると、母はドアを開け、電気を点け、こちらの様子を窺うようにしながら、おにぎりを差し出してくる。

「さすがになにも食べないんじゃあ、お母さんも心配だから」応えなど期待したいないのか、「ここに置いておくね」と言ってすぐに部屋を出ていく。

 とても、何かを食べる気にはならない。食べたとしても、吐いてしまう気がした。

 復讐。という言葉が頭に浮かんだが、僕にはとても、レイプを犯した男をちまちまと調べていられるほど精神を保っている自信がなかった。今こうして思案していられることさえ、不思議なのだ。明日には自分が狂っている想像も、容易にできる。美里は、僕の全てだった。全てが、ぽっかりと抜け落ちたのだから、僕が僕でなくなるというのも、至極当たり前の発想に思えた。

 空洞を埋めるすべは、わからなかった。僕はどうしたらいいのかわからないまま、泣いていた。

 美里は、もうこの世にはいない。僕の隣には、居ないのだ。

 死のう、そう思った。

 そう思ってからは、気持ちが楽だった。というよりは、どうかしていた。仮に天国と地獄という概念があったとして、きっと自殺をするような人間は天国には招かれない。ならば美里はきっと、天国には行けない。なら僕も、なにか悪いことをして、彼女の居る方へ行かなくてはならない。なんでもいい。悪いこと、悪いこと。

 そうして僕は、通り魔をすることにした。というよりも、心中である。誰かを殺して、そのままの勢いで、自分も死のう、そう考えた。

 彼女を中心にして物事を考えだすと、幸せになれた。早く会いたい、早く会いたい、そう思いながら、僕はキッチンへ向かい、包丁を手にし、家を出たのだ。


―――


 全部あのクソガキのせいだ。俺のいつもの台を横取りしておいて、何の悪気もなしにバカスカ大当たりを連発しやがって。本当なら俺があそこに座って、その当たりを貰うはずだったのに。

 むしゃくしゃとする。

 携帯を取り出して、真奈美に電話をかける。だが、繋がらない。うまくいかないときは何一つうまくいかないようにできている、とはっきりと言われたような気がして、苛立ちはさらに増幅する。

 コンビニで煙草を買って、すぐ外で吸っていると、声をかけてくるものが居た。

「あれ、義人?」

 そちらに視線を向けると、そこに居たのは平野だった。

 平野とは、中学から高校にかけて、よくないことをして遊んでいた、いわゆる悪友という奴だった。万引きや痴漢、飲酒や喫煙を一緒にしてきた仲だった。大学進学を機に俺はすっかりその道から抜け出したが、平野がまた何かをやらかした、という噂はしょっちゅう耳に入っていた。

 ぱっとした見た目は柄の悪さを感じさせない、好青年であるから、平野は余計にたちが悪い。

「久しぶりだな」

「おーおー、すっかり付き合い悪くなっちゃってよー、最近どうなの」

 近況報告もほどほどに、暇だという平野を家に案内し、ビールを飲みながら昔話に華を咲かせていると、不意に、

「久しぶりに何かやらないか?」と誘われた。

 そして俺はその言葉に、ひどく魅力を感じてしまったのだ。一因には、先ほどのパチンコでの件もあったが、それでなくても、平凡な毎日に退屈していたのは事実であった。何かをやる、という言葉が、非日常へ自分を連れ出してくれる魔法の呪文のように心の中で反芻されるのを感じる。

 問題は、なにをするか、という話であった。

「いまさらこの年になって万引きとか痴漢はなあ。飲酒喫煙はもはや何の罪にもならないからスリルのあったものじゃあないし。なんかスカッとするようなことねえかなあ」

 平野ほどになれば、すらすらと悪事が浮かぶものかと思っていたが、そうでもないらしい。

 俺は煙草を片手にベランダへ出て、外の景色を眺める。

 そして、眼下を歩く人影を見て、はたと思いついてしまったのだ。

「レイプ」

「ん?」

「レイプしよう。それも、若いのが良い。女子高生、とかな」

「おーおーおー、義人くん良いじゃない、それで行こう」

 決行は夜に、と決まると、俺たちはその時間まで、ただひたすらビールを飲んでいた。


―――


「憲太、悪いんだけど今日の合コン、無くなったわ」

 つまり、僕は選考漏れしたらしい。

 わかったよ、などと適当な返事を済ませると、余った時間と金をどうするか、考えていた。

 ふらっと立ち寄ったのは、パチンコ店だった。入口からほど近い席を取ろうとすると、横入りするように男が寄ってきた。柄の悪そうな奴だ。

「おいお前、そこは俺の場所だ」

 僕も苛々としていたから、一度目が合ったものの知らんぷりをして、台に座り金を入れる。

 後ろで舌打ちが聞こえたがそれも無視して続けていると、なんとも調子がよい。これはなかなか、良い暇つぶしになりそうだ。

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