三番目の彼
2013年の拙作。
里子の三番目の彼氏は、末端冷え性だった。夏場に付き合い始めたため冬になって手を繋いだときには大層驚いた。およそ血が通っているとは思えぬほど彼の手がひんやりとしていたのが、自分の手に伝わってくる感触は、印象的だった。
なぜこんなことを今になって思い出すのだろうか、と里子は考えざるを得なかった。彼とは高校生の頃に付き合っていたから、かれこれ十年は経つ。その前にも、その後にも、里子には恋仲があったし、どうして彼ばかりをピックアップしてしまったのか、不思議だった。里子自身は無意識だったが、その手の触れている鉄柵の冷たさが、三番目の彼を想起させていたのだった。
鉄柵から手を離して煙草に火をつけると、深々と吸い込んでから、大仰に吐き出した。昔は煙草を吸う人なんて嫌いだったし、よもや自分が吸うなどとはてんで思いも寄らなかったが、二十歳を越えた頃、それという理由もなく手を出し始めてしまった自分の愚かささえ、今では懐かしい。
昔は自分の存在を認めてもらうことに必死となっていて、何が正しいのか、また何が誤っているのか、里子には判断する能力が欠けていた。自分を欲する人、認めてくれる人、必要としてくれる人ならば、誰というでもなく身を預けていた。里子自身にしてみれば、そういった貞操観念の甘さは自覚に至らなかったが、周囲にはずいぶん悪評だった。尻の軽い女だとあざ笑われようが、それ以外に、自分の存在を誇示する方法を里子は知らなかった。
三番目の彼は、そういう里子の性分を知らなかったのに違いない。純粋無垢な思いで里子に言い寄ったが、里子のこういう性癖の為、早速性交渉に及ぶ雰囲気となって、大層狼狽した。違う、と彼はのたまったが、里子には何が違うのか分からなかった。
煙草が煙となって、灰となって、そして塵に変わっていくのを、ずいぶん更けるのが早くなった夜の闇の中で、里子はぼんやりと眺めていた。
上司の滅茶苦茶な言い分で残業を申し渡されて、次第に相手のほうの纏う空気が違ってくるのを感じたとき、里子はまたかと思った。結局、青春期に身に着けた性格というのは易々とは変わらない。相手が自分を求めていると分かったとき、それに未来がないのを知りつつも、彼女は身を委ねた。乱暴な男だった。
会社の屋上で一人きりになって煙草を吹かして、あまつさえ昔の恋人のことを考え始めてしまったのが、里子には空しかった。自分は何時の間にこんなに大人になったのだろうか。どこでどうして、周りから大人だと判断されるようになったのだろうか。大人って、なんだろう。
もう名前さえ明瞭にならない三番目の彼は、今の私を見たらどう思うのだろう。そして、あの純心無垢な彼はこの汚らしい世の中で、今、幸せなのだろうか。
自然と溢れ出てくる涙を止める術を、里子は知らなかった。
夜の闇に塵と消えていく自分の姿を妄想するばかりが、彼女の命綱だった。




