彼女は何を見たのか?(朝霧探偵シリーズ)
2012年の拙作。
前回の稚拙ながらの文章が思いのほか好評になってしまったもので、新聞部員としては喜ぶべきところなのだろうが、こうして、朝霧探偵に関するコーナーが出来上がってしまい、僕は以降、刊行されるたびに朝霧の解決していった事件のあらましをこの校内新聞に掲載せねばならなくなった。誠に遺憾であるが、読者諸君に言うべき愚痴でもないので、さらりと見逃してほしい。
今回の事件は、この本橋高校入学以降に受け持った依頼の一つで、ある意味では、朝霧を最も悩ませたものといってもいいかもしれない。
僕としては全く不思議な話であるのだが、この本橋高校に入学して一月も経つと、たいていの人間が朝霧という男についてある程度の知識を持っていた。浅い人は彼がなにやら相談を聞いてくれる便利屋らしいこと、深い人は僕と彼とのつながりや前回掲載した「最初の事件」に関しての情報まで仕入れているという状況で、中継役の僕は全く僕自身とは関わりのないところで有名で、引っ張りだこだった。
入学以降最初の夏。あれは七月だったか。ある女生徒に放課後、校舎裏まで呼び出されたものの、まあ朝霧のことだろう、という悲しい予見もあって何一つ甘い期待もせず出向いてみると、これが本当に悲しいことに朝霧への相談だった。肌にまとわりつくじめじめとした鬱陶しい湿気もあって露骨にいやな顔をしていたかもしれないが、とにかく眼前の彼女にどのような用件か聞いてみると、とても言いにくそうに、しかしそれは恥じらいから来るものではないのだろうなとあたりがついてしまい非常に空しくなりながら、伏目がちな彼女の声を待った。
これから彼女は当然主要人物になるがもちろんプライバシーを保護するのはわれわれ記者のポリシーであることから、仮にIさんと記すことにする。Iさんはトーンを落としたおしとやかな声で言う。
「朝霧君に回してほしい話なの」
やっぱりね! と元気に応答しなければやっていられないくらい、女子からの相談は多く、そのたびに、次第にしなくなったとはいえ微かにしていた期待を打ち砕かれていた僕にとっては、もううんざりなフレーズであった。
Iさんが重々しく言うには、それは先週の土曜日、雨の降る夕刻のことだった。読者諸君の中には当然行ったことのある人間も多数居るだろうが、この本橋高校の校舎裏のちょっとした小山を登ったところにある笹沼神社に用があり出向いていたところを同じクラスの女生徒、仮にKさんとする、に、見られたというのだ。それだけならば一体何が問題なのだ、と思うところではあったが我慢して聞くに、後日Kさんにその日のことを言及されたらば、どうにも食い違う不可解な点が浮かんできたという。Iさんは全くの私用、それが何であるのかは本筋には関係ないからと決してそのとき教えてはくれなかったのだが、ともかく一人で笹沼神社を訪れていたというのに、Kさんの目には男と連れ添っているように見えたというのだ。Iさんはもちろん否定したのだが、Kさんはそれには耳を貸さず、さらにそれはIさんの恋仲であるMさんでもなかったと断固として譲らない。ここで急に現れたMさんについて首をかしげると、彼はその日のその時刻、塾に通っていて会うことはおろか連絡さえ取れていなかったわ、とIさんは困り顔で教えてくれた。ともかく、絶対に一人だったという前置きをしてから、Kさんの見たものが何であったのか調べてほしい、という内容の相談だった。
「幽霊か何かを見たんですよ、僕でも解決できますよ」
「そうも言ったわ、でも彼女は納得してくれなかったの。だから幽霊とするならば、その証拠もしっかり見つけてほしいの」
「幽霊とする証拠なんて、そうそう見つかりませんよ」
「だから、朝霧君に頼んでほしいの」
中継役の僕に拒否権はない、という旨をため息交じりに伝えると、彼女はありがとうと礼を言うが早いか、さっさと校舎に戻っていた。
放課後、朝霧が根城にしている理科準備室に行ってみると、彼は教室奥にある薬品倉庫からぬっと顔を出し、パタパタとワイシャツを揺らせた。奥からは風に乗って薬品のにおいがほのかにしていて、なるほど、と探偵でないにせよ僕にも当たりがついた。それについては一般高校生としては公言できない話なのでおいておく。
相談事を受けたというと彼はこちらに目をやって、椅子の一つに腰掛けた。これが大体、彼の了承のポーズである。
事のあらましを伝えると、彼はニタリとして、「面白い話だ」と返してきた。
改めてここで明記するまでもないが、この朝霧という男の風貌というのが実に奇怪で、長く垂れた前髪でたいていの視線はどこを向いているか分かるまいし、使い古した消しゴムのような鼻は見るに耐えない、口元は小さく、それがニタリとつりあがると背筋も凍る。頬はこけ、肌の色は悪く、背は丸まり、探偵イコール主役、とするにはいささか華のない人間で、言ってしまえば絵に描いたような不細工ならぬ、絵に描くのも憚られるほどの不細工なのである。これも、僕が彼への相談の中継役たる所以の一つである。
その不細工だが、真剣な顔をすればまだ見れる。ぎりぎり見れる。朝霧はあごに手をやり一つうなると、
「明後日には終わる」といった。
「分かったのか?」
「話を聞いた段階で、そう考えるまでもなく分かっていた。ただ、ここまではただの想像に過ぎない。いろいろつめていく必要はあるだろう」
そういうと、さっさと部屋を出て行ってしまう。彼には思うところがあって、それを確認しに行くのだろうな、とか思いながら、僕もさっさと帰った記憶がある。
翌日になって聞いてみるに、彼は全て分かったのだと言った。
彼の推理は、こうである。
「まず、この話には嘘を吐いている人間が当然居る。かみ合わない話というのは嘘か記憶の齟齬でしか発生しないわけだが、高校生にして記憶に問題があるとは考えにくい。つまり、誰かしらが嘘を吐いているために、この話は不可思議なものになっている。
嘘を吐いているとしたら、まず間違いなく候補として挙がるのは依頼主であるIだろう。いつだって目撃者の証言は重要視されるものだからね。このKという人物の目撃譚が真実であると仮定して話を進めるが、良いかな。
Iはその日一人ではなかった。それでは誰といたのか。それはKの証言にあるとおり、男だろう。それも、恋人であるM以外の。これはつまりどういうことか。雨降る夕方に、神社に訪れる人は少ないだろう。ましてや笹沼神社は規模が小さい上にちょっとしたものだが山を登らなければならない。雨でなくとも、大方の人間は進んで行こうとは思わないだろう。そんなところで男女が二人連れ添っていくのだから、やることはひとつか、まああっても二つくらいだろうね。こんな当たり前の推論を口にするのも恥ずかしいが、IはM以外の誰かしらと浮気をしていたわけだ。もちろん、誰かに見られているなんて思いもしなかったから、それはそれは注意力もなかったことだろう。だがそれを、Kは見逃さなかった。後日彼女に問い詰められてひどく当惑したことだろう。見られてしまった、どうすべきだろうか。そう考えたはずだ。もちろん肯定なんてできないから否定する。それも強く、何を言われても、だ。するとどうなるか、Kは何を見たのか、という話になる。Kも引かなかったようだからね、幽霊という話をでっち上げるにして、Iはその後押しをしてくれと私たちに依頼してきたというわけだよ」
「しかし結果として、見られたくない真実の方にたどり着いてしまったわけか」
「そう、Iは私を見くびったようだからね。Kが見たものは幽霊ですよ、分からなければここに結論を持っていってくださいね、とあらかじめ幽霊話を提示しておいた。あるいは、君からその言葉を引き出すような説明振りをした、というわけだ。さて問題は、この事実を公表すべきか彼女の策に乗ってやるか、というところだが、どうすべきかな」
僕たちはその日Iさんの部活動が終わるのを待ってから、彼女を学校近くの喫茶店へと誘い、全て解決しましたよ、と伝えた。彼女はその顛末を聞きたがった。彼女には取るに足らない幽霊話のほうを期待されていたのだろうが、僕の口から上記の結果だけを告げると、おおよその人がそうなるように、ひどく狼狽した。ところがわれわれはこれを公表せず幽霊話をでっち上げようといってあげた。彼女は喜び、そしてわれわれの用意した創作にひどく感動し、快くそのストーリーを受け取った。
Iさんが喫茶店を出て行ってから、僕たちももう行くかいと聞いてみると、彼は別件があるからこのままここに残る、という。僕はそこまで彼に付き合ってやる義理もないなと思ってさっさと帰った。
相談はこれにて解決したのだが、事件としては続きがある。朝霧の明言した「明後日」、つまり相談解決の翌日のことである。
特別用もなく訪れた理科準備室ではあったが、彼は待っていましたといわんばかりに僕を手招きし、それから少しむっとしたように言った。
「君はIの一件、話を聞いていて何も不思議には思わなかったのか」
「あの話の不思議というのは二人の話がかみ合わなかったのみで、それも君が解決させたじゃないか」
「それ以前の話だよ。私は昨日こういった、雨の降る夕刻の神社、しかも小高いところにある神社へ、誰が好き好んでいくのか、と。考えても見てごらんよ。Iも、誰も人が来ないと思い込んでそこを密会の地にしたんだ。それなのに、見られた。誰にか。それがKという人間だ。はて、そこで疑問が浮かばないか」
「どうしてKさんは神社に行ったのか」
「そう、そのとおりなんだよ。私は最初に話を聞いたときからそればかりが気になっていた。はっきり言ってIの話なんて考えるまでもないことだよ。君が結論を出さずに私のところへ持ち込んできたのは想像の放棄だなとさえ考えてしまったほどだ。それくらい彼女の問題はたやすい、この年頃の人間ならばそう不思議もない話だった。ところがどうだ。Kはその日神社で何をしていたのか、そしてなぜ幽霊を見たことで納得しなかったのか、不思議だろう」
「言われてみれば、これほど違和感のあることはないね」
「そこで私は一つ仮説を立てた。Kも誰かと一緒に居たのではないか、というね。再三言うが、あんなところにわざわざ休みの土曜日を使って出向く物好きは居ないんだよ。だからこそKも、Iと同等の目的でそこに行ったと考えるのが自然だ。Iが浮気をするのに笹沼神社を選んだんだから、Kもそれこそひと目を憚る関係だったからこそ笹沼神社を選んだ。が、調べたところKには恋人となる人間が居ないから、K自身が浮気相手、という立場だったのだろう。
ここで話を少し戻す。KはIに対してその日絶対に男と居るのを見た、と言っているそうだが、そこまで執拗に彼女が浮気しているといいつめる理由とは何か。
ああ、悲しきかな、こうして考えていくと君にも分かってくるだろう。Iの密会の相手こそ知れないが、Kの密会の相手は恐らくMだ。これには調べるのに苦労したが、その日Mの通っている塾は休みだったんだよ。同じところに通っている者がなかったからわざわざ現地まで行って聞いてきたよ。塾に行っていなかったMは恋人に嘘を吐いてまで何をするのか。ああ、分からないよ、恋沙汰というのは。
Kは本気でMを好いていたのだろうね。だからIとの仲を裂くのに、どうしても一歩たりとも引けなかったんだろう。この間、Iに会った後にKに会って話してみたら、どうにも憶測が当たっていて私は悲しくなったよ。本当はその現場をMにも見せてやろうともしたらしいが、運悪くというのかなんというのか、結局見たのはK一人だけらしい。なんとも悲しいよ」
「ああ、僕もそうなるね。僕たちが真実を公言しない限り、皆が皆それぞれを騙せていると思っているんだろう。こんなにも不憫な話はない」
「不憫といえば、そんな下らぬことに使われた笹沼神社に祀られている神様が一番不憫だろうね」
彼がこう言い、事件は本当の解決を見た。
一年も前のことであることや、当事者たちの卒業も越えたので、彼の関わった事件としてここに記させていただいた。
筆 本橋高校新聞部 二年 藤崎淳




