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小説家になろう

2015年の拙作。再掲載。

「お前素直じゃないなあ」

「え、何? 素直の何が良いの? 素直だとどう得するわけ? それで何か意味があるの? そういう生き方が偉いって?」

「あ、ごめん。ものすごいマシンガン。やっぱりお前素直だよ」

「はあ? 素直じゃないし!」

「えー」


 パソコンの前で、溜息。

 私、こんなものが書きたかったんだっけ、と考えてみたところで、そんなものの答えは歴然としている。ワードを保存せずに閉じる。

 開け放したままの窓から、風に乗ってどこかの夕餉の香りが漂ってくる。もうそんな時間か、と時計を見上げて、予定よりも三十分も長くああでもないこうでもないとパソコンとにらめっこしていたことに気が付いた。待ち合わせまでの暇つぶしにと思っていたのに、これじゃあ大遅刻だ。

 慌ててパソコンをシャットダウンさせようと操作していると、インターホンが鳴った。

 開けるまでもなく、彼だろう。

 私はまた溜息を吐いて、気合を入れてから扉を開いた。

「やあ」片手を上げながらにこやかにそう言う。「お待たせ?」

「……しました」

「良いんだよ。どうせ後でこっち来るつもりだったんだし」

「ごめんね」言いながら彼を部屋に上げた。「ちょっと散らかってるから、煙草でも吸ってて」

 持っていた買い物袋をダイニングテーブルに預けると、彼は換気扇を回し、その下で煙草を吹かし始めた。私が片づけをしている様子を楽しそうに見ている。

 待ち合わせに来なかろうが文句のひとつも言わない彼は、たぶん私には勿体無い相手なのだろうと、思う。ただそれは意思を介在したものではなく、直感とか、世間体とか、どこかそういう曖昧なものによって思わされていることなのだろうと結論付けている。私は彼と一緒に居たいが、それでいいのか、と自問しているところもあるわけだ。

 彼はシャットダウンを行っているパソコンに気が付いたらしく、

「何か書けた?」

 背中に言葉を投げてくるが、私は無言で首を振った。彼がどんな顔をしたかはわからない。

「全然駄目だよ」妙な間が挟まるのが恐ろしく、へらへらと言葉を続けた。「あれじゃ、プロどころか、アマチュアの中でも下の下だと思う」

 煙を吐く音。

 溜息だったかな。

「僕はさ」柔らかい声音。「ミチコがやりたいと思って取り組むことが大事だと思うんだよね。そりゃ、賞に出したりなんだり、結局他人の目に触れるものだから最低限のルールは守ったほうが良いと思うけど。変な話、内容は重要じゃなくて……、どう言ったら良いかなあ?」

「さあ?」彼の顔を見ないまま、手を動かし続ける。「私にはわからないけど」

「ミチコが書きたいと思って書いたことが評価されたら万々歳、という博打みたいなものであって、ミチコが書きたくもないと思って書いたものが評価されたって、ミチコは素直に喜べないんじゃないかなって、僕は思うんだよね。うん。今、これ、しっくり来た」

 トン、と灰を落とす音。

 私は振り返り、換気扇の唸る台所のほうを睨むようにして見た。彼は悠然と煙をくゆらせている。

「そんなこと言ったって、私が書きたいと思って書いたものが評価されるかどうかなんてわかんないじゃん。博打って言うけど、それって破産の道もあるわけだよね? 私が一生懸命になって手を伸ばして、それでも届かなくて、落ちて死んで、っていう可能性もあるわけだよね? それでもやれって?」

「うん。やれ」笑顔のままだ。「ブームや多数派の意見に飲まれて、それで手が届いたと思っても、それは一時のものでしかないよ。波は引くから。ミチコのやりたいって思える一本の線は、確実に必要なんだよ。失敗? そんなものしてみれば良いんだよ。死んでみたら良いよ。それでやっとわかることって、多いと思うよ」

「死んだら終わりだよ」

「それは死んだことがない人の思い込みだね」

「屁理屈だよそれ」

「結構だよ。物書きなら屁理屈くらい捏ねてみなよ」

「うるせえ」

「片付いた?」

「うん」

「じゃあ鍋やろう鍋」

 そうやって灰皿のふたを閉めると、彼は嬉しそうにこちらに寄ってくる。

 私がやりたいことをやって失敗して、それでもあなたはついてきてくれるの。道連れにして、怒らないの。聞きたいことは山ほど浮かんでいる。でもたぶんまた彼は、はぐらかすのだろう。

 鍋の支度が整う。

「私、純文学書きたい」

 鶏肉に箸を伸ばしていた彼は、

「うん」

 と言って笑った。

「私の考えていることを伝えたい」

「その意思が大事だよ」

「他人に寄せることはもうしない」

「ようやくちゃんと、書けそうだね」

「平成の太宰治になるんだ」

「それ、死ぬやつ?」

「もうちょっとがんばる」

「うん、がんばれ」

 だから。

 言いかけて、止める。

 彼は不思議そうに首を傾げてから、会話が終わったものと考えたのか、小皿に鶏肉を移した。

 だから、私が失敗したとき、支えてね。

 私は素直じゃないから、そんなことは言えない。

 とりあえず今は、

「白菜いただき」

 飯を食う。

 そのあと私、小説家になろう。

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