美帆子
2009年の拙作。再掲載。
美帆子が死んだのは、四年も前のことになる。僕は十四歳で、彼女は十八歳だった。
僕の両親は共働きで、幼稚園に通い始める前から隣家である豊島家に預けられることがしばしばあった。美帆子はその豊島家の長女で、彼女は病弱で外に出ることもままならず、友達らしい友達もおらずいつも一人ぼっちだったから、よく僕の面倒を見てくれた。肌が白く常に血管が透けて見える彼女を、出会ってすぐの僕は気味悪く思っていたにしろ、結局は構ってくれる彼女に惹かれていくのが当然のことだった。
彼女は何の病気にかかったのか、高校へ上がることはせず、病院で過ごす日々を選んだ。豊島のおじさんたちが深刻な、それでいて悲しげな顔をしていたのが今も思い出せる。あの時から、美帆子の人生は確実に下り始めていたのだろう。僕は学校が終わると毎日、美帆子の病室へ走っていた。
病室に入ると、彼女はいつも窓の外をぼんやりと眺めていた。あるいは、空を飛びたかったのかもしれない。
「美帆子、着たよ」そう言うと美帆子はこちらを見て、薄い微笑を湛える。
彼女の脳みそには本から得た知識が多分にあった。小学六年生の、いわば遊び盛りの僕は、友達からのサッカーの誘いも断って、いつも彼女のしなやかな声で綴られる言葉を静聴していた。時々は、眠くなって彼女のベッドに体を預けることもあった。彼女はそんなとき僕の頭を撫でてくれ、その感触が心地よく、眠ったふりをすることもよくあった。
僕は中学生になると陸上部に入部して、放課後もひたすらに走った。汗を流すことはほかでもなく気持ちよく、僕はべとつきさえも清々しく感じられるほど、順調にタイムを伸ばしていった。ハードル走という競技で意識すべく「跨ぐ」という感覚をつかむことに一生懸命になって、そのころから美帆子の病室へ行く頻度は格段に減った。
決められた練習が終わった後は少しの休憩を取ってから、先生の許可を得て毎日自主練習を繰り返した。一時間に二度か三度見に来てくれる顧問は「まだ跳んでいる」と指摘をしては、それでも嬉しそうに僕を見ていた。僕はほかに誰もいない運動場の片隅で、ハードルを跳んでいた。
新人戦で、僕は優勝はできずとも、ぎりぎりのタイムで三位に食い込むことが出来た。とはいえそれは所詮地区大会レベルなのだが、激戦区と言われるこの地域でその位になれたことを、顧問や先輩にえらく評価された。僕は嬉しさが一杯になり、衝動的に美帆子に伝えようと病室に走った。
いつの間にか、病室が変わっていた。そこは個室で、入る前に除菌とマスクの着用を強いられた。薄いビニールのカーテンに仕切られた中のベッドに、美帆子が眠っていた。頬は痩せこけ、白かった肌はただただ病的に見えた。少し前まで、本当に数か月前まで、あんなによく微笑んでいた彼女がこうも変わってしまっているという事実に唖然とし、なぜこうなるまでの過程もしっかりと見届けなかったのかと自分を責め、僕は彼女から視線を逸らした。
相手が寝ているのでは仕方がないと思って病室を出ようとすると、先に向こうからドアが開いた。
「おじさん」
「久し振りだね、政史くん」
豊島のおじさんも、同様に痩せこけていた。丸い眼鏡の奥に申し訳程度についている両目は、もはや開いているようには見えない。
「もう帰ってしまうのかい」
「ええ、眠っているようなので」
「そうか。じゃあ僕も今日はやめておこうかな。どうだい政史くん、コーヒーは飲めるかい」
僕は頷くと、彼の背中について、病院からほど近い喫茶店に入った。
そこで、今の美帆子の病名を聞いた。結果だけ言えば、当時の医療技術では回復し得ないものらしかった。愕然とした。同時に、僕は泣き出してしまった。「死ぬ」というたった二文字の、本当の重さを、僕はそこで知ったのだと思う。彼は困ったように頭をかきながら、ハンカチを貸してくれた。
中学二年生になる頃には、毎日美帆子の病室を訪れた。何度も引き留められたが部活もやめて、たまには学校も休んで美帆子のもとへ居続けた。そのころには、僕はたとえどんなに姿が変容しようと彼女のことが好きなのだと、気づいていた。同級生がどんなに憐れむ目で僕を見たところで、どうでもよかった。それが本当の愛ということなのかは未だにわからないが、あれほどまでに一人の人間に尽くしたことはないし、たぶんこれからもそうないのだと思う。
担任に呼ばれて、いくら義務教育とは言え出席日数が少なすぎると、注意されたこともあった。
「お前は日数こそ少ないが、来れば着たでみんなと分け隔てなく仲良くするし、勉強もよくできる。いったい何で学校に来ないんだ? 周りの友達のこと、本当は程度が低いとか思ってるのか?」
数学教師で、少し嫌な男だった。中学二年生にそんな事を聞くのはどうかしていると、今になれば思う。
「先生は結婚なさってますか」突然の話題の転換に、彼は呆気にとられた顔をした。「あるいは好きな人がいるとして、その人のために何かしてあげたいと思うことは、僕はどんな方程式より、重要だと思うのです」
二日後、美帆子の容体が急変した。意識不明の昏睡状態で、持って四日だと言われたらしい。
彼女の十八歳の誕生日に、神様はとんだプレゼントをしてくれた。
宣告から三日目に美帆子は死んだ。眠ったまま、急に、静かに、呼吸を止めた。
それからは本当に、学校へ行かなくなってしまった。ただ起きて、ご飯を食べて、時間になったら眠るというそれだけの事をする生活に埋没した。親も、先生も、同級生たちも、僕のその生活に関与しては来なかった。週に一度だけ美帆子に会いに行く以外、外にすら出なくなった。
高校へも行かないつもりでいたが、豊島のおじさんがどうしても僕に高校へ行って欲しいというので、自宅でこつこつと勉強をした。美帆子に出来なかった事を政史くんにやってもらってほしい、と言われては、従うほかない。
日々の中で思うことは、美帆子のことばかりだった。死んでしまわれては、もう僕にどうする事も出来ない。彼女のことを考えれば考えるほど、それは泥沼のように僕を取り込んでいく。
一度だけ、美帆子がこう聞いたことがあった。「神様は居ると思う?」まだ彼女が中学生の時で、よく彼女の発する声にうたた寝していたころだ。
「神様は居ないよ」僕はそう答えた。
「何でそう思うの?」
「神様が居るなら、きっとみんなを平等に作ってくれる。だって神様は救いの象徴なんでしょう? 美帆子ばかり苦しんでいるのは、道理に合わないよ。それでも神様が居るって言うのなら、僕はそいつを殴りに行くよ、美帆子のために」
その時彼女がどんな顔をしたのかは、もう覚えていない。微笑んだかもしれないし、泣いたかもしれない。記憶は美化される、あるいは怒っていたかもしれない。ただ、彼女がこう言ったことだけは覚えている。
「政史くんは優しすぎるよ、きっと、後悔する」
十八歳になった僕は、ほとんど義務的に大学へ進学して、社交辞令ばかりを吐いて適当な友人を作って過ごしている。相変わらず念頭に置かれるのは美帆子の、それも中学生の時の姿で、それを超えるものは何もなかった。適当に笑って、適当に相槌を打っていれば誰も僕を憐れんだり蔑んだりしない。それでよかった。
大切な人を失う悲しみは、おそらくその当事者にしかわからない。大切の度合いやベクトルはそれぞれだし、そもそも「大切」という概念の認識すら、それぞれなのだ。愛という言葉に尽くこともあるのだろうし、友情であったりもする。ともかく、僕は誰かと傷をなめ合うということだけはしたくなかった。
一般教養の哲学の授業の時に、神について触れた。昔の人が「牛や馬が絵を描けたら、牛は牛に、馬は馬に似た神々の姿を描くだろう」というような事を言ったのだそうだ。
たまたま隣に座っていただけの女が、僕の方に小声で言う。
「ねえ、神様は居ると思う?」
僕は背筋の凍る思いでそちらを見た。当然、居るのは美帆子ではなく、どこにでもいそうな人間の一人だった。
「居ないよ」僕はため息を吐くみたいに、ゆっくりと言った。「居るわけがない」
「どうして?」
「昔から、そう言われてるんだよ。今、先生が言ってたろ」
「そう言うことじゃないよ、君はどうしてそう思うの?」
僕の脳裏には、美帆子が浮かぶ。いや、正確には美帆子はずっとそこにいて、たまたま今こちらを向いたということにすぎないのだが。
「きっと君に、本当に大切な人が出来れば、わかるよ」
ふてくされた女が、その隣にいた男と何か話すのが聞こえて、僕は視界をシャットダウンした。
どこにいても、中学生のころの美帆子と過ごした病室でのあの時間を超えるほど、有意義に思える出来事は起こらなかった。ただ毎日を漠然と進みながら、当てもなく、社会の波に飲まれている。視界を横切る人々の何かしらの目的を、僕はうらやましく思う。夢も、希望も、目標も、どれも僕の中では荒んでしまっていた。再び走り出したとて、もはや僕は誰にも追いつくことはできないのだろうし、ましてや追い抜こうなんて傲慢だ。そう言った競争社会から隔絶されたところで、ひっそりと生きている方がきっと、僕には性に合っているのだろう。
美帆子の墓前に立って、虚ろな目で空を見上げた。
僕は明日、十九歳になる。僕の中で、美帆子の年齢を超えるということは成立しなかった。想像も、ましてや実現も、僕には出来ないのだ。
カッターナイフを取り出して、手首にあてがう。首を選ばなかったのは、仮に「向こう」があったとしてそこで美帆子に会えたときに、喋れなくなっていたら嫌だなと思ったからだ。ジワリ、と血が滲み、滴る。僕はその場に座り込んだ。
死んでいくことに理由があるとして、美帆子が死んだ理由は何だったろうか。彼女の死ななかった場合においての、僕の死んでいく理由は何だったろうか。神がそう決めたから、だろうか。
いや。
神が居るとか居ないとかではなく、ただ、人は死んでいくのだということに、僕は茫漠たる感謝をした。




