自殺
2009年ごろに書いたと思われる拙作。
「二年くらい前、女子高生の自殺あったでしょ、それ、ここが現場なんだぜ」
唐突に何を言うのかと思って白木の方を向くと、彼はにやついた表情で地上を見下ろしていた。風が強く吹いていて、彼の銜えている煙草から漏れる煙はすぐに乱れて空気中に消えていく。僕はそれを見ながら右手に構えたビールを一口、二口と飲んで、彼のその愉快そうな横顔に微笑んだ。
遠くで大きな音がして、その発信源の方を二人同時に見た。
「花火か?」
「さあな」
短い会話をした後に顔を見合せて、僕たちはその屋上を後にした。
――
クラスメイトがざわついているのを耳から追い出すように、イヤホンを無理やりに突っ込む。イギリスだかアメリカだかのバンドが世界平和について唄っているのを聴きながら、私は黒板をじっと眺めていた。新任の国語教諭の、まだ書きなれていない文字の形が、愛おしい。
休み時間、私は教室の、配分された私の席から一度もお尻を浮かせない。アロンアルファでくっつけられたみたいに微動だにせず、ただそこで次の授業が始まるのを待っている。チャイムが鳴ったらすぐにお気に入りの友人のところに行ったり、適当な友人と連れ添ってトイレに行ったり、化粧を直したり、笑ってみたり、じゃれてみたり、私はそのどれもしない。それが私の役目であるのだと私は思っているし、そもそも彼らは私なんていう存在なんてないみたいに、この席だけ隔離されているみたいに避ける以外、私に関与しようとはしてこない。それがお互いにとって一番心地いいのだ。
三分ちょっとの世界平和の唄が終わって、次はノイズが鳴り始めた。故障ではない。これは私が去年の暮れごろに自分で録った音源で、深夜にすべての放送が終わったテレビの前に張り付いて収集した音だった。私はこれがお気に入りだった。不明確で荒くて意味のない、クライスメイトのざわつきと同じ音だ。私に何も与えず、私に関わろうとしない、何も訴えてこない本当の意味での雑音だ。私はこれがお気に入りだった。
チャイムが鳴って、世界史教諭が入ってくるとクラスメイトたちがざわつきながらも席に戻っていく。与えられた位置がありながら、なぜそれだけで満足しないのだろうか、と私は毎回この瞬間に思う。
「えー、じゃあ教科書の――」
授業が始まって、私はイヤホンを外した。
急な静けさが、耳を突いてくるような痛さを持って現れた。
――
「何で死んだか、知ってるのか?」
白木にもらった煙草をふかしながら、不意に先ほどの話題が気になって、特に他意はなくそう聞いてみた。白木は一瞬怪訝な顔をした後、右上に何か視認したかのようにそちらを見上げて、さあな、と一言だけ呟いた。僕はそれ以上追及しなかったが、彼が何か知っているのは違いないのだろうと直観的に思った。
いやそもそも、彼が知っていても特に不思議はないのだが。
――
「おいブサイク」
それが一瞬誰を指すのか不思議に思ったが、考えるまでもなく今彼女の目の前に居るのは私一人で、明かな敵意を向けられているのも痛いほど理解していた。それでも、はて、誰だろうか、と左右を確認してみると、てめえだよ、と怒鳴られた。
「てめえ何でまだ学校いんだよ」
私は、何か悪いことしただろうか、という目くばせを彼女にして見るが、彼女は相変わらず敵意の目を向けてくるだけだ。
話にならない、と思ったとほとんど同時に、彼女から蹴りを喰らった。彼女も同じことを思ったのだろうか?
「早く死ねよブス、てめえと同じ空気吸ってると思うと吐き気すんだよ、死ねよ、死ね、死ね、死ね……」
――
僕は白木の前に立って彼に案内するように街の中を歩いた。夜の街でも光は多く、月はかすんで見える。
コンビニの角を曲がって、居酒屋やラブホテルばかりの裏通りに入った時に、後ろから声がした。
「松戸さん、だっけ」
「そうだけど」
「早く場所決めちゃおう、俺も時間ないんだわ」
悪い、と言って、僕はあらかじめ決めておいた場所へと足を向けた。
――
自殺支援サイト、という言葉だけはぼんやりと知っていた。ニュースの中で半ばタレント化した国会議員や弁護士らが口々に批判する存在で、倫理的にあるべきではないものらしい。
私は大手の検索サイトでこのワードを調べる。
同じようなタイトルのサイトが五万とはじき出され、私はそのトップに矢印を動かし、クリックをした。背景が真っ黒になり、「貴方の自殺を支援します。一緒に消えてしまいましょう」という淡泊な文章が現れた。いくつかの掲示板があり、それぞれ恨み辛みを吐き出す場所だったり、自殺方法を教え合う場所だったり、役割があるらしい。死ぬ前の人たちにしてはえらく友好的な印象を受ける文章が打たれているのに、私はばからしくなった。
ノイズを聴きながら、いくつかのサイトをめぐり、やがて気にかかる一つのところにたどりついた。タイトルこそ「自殺援助」とありがちだが、どうやら管理人が自殺を提供してくれる、という趣旨らしい。掲示板はなく、メールフォームだけが設置されている。完全守秘、ということだろうか。
私は管理人に送る文章を考え始めた。
――
そこは最初にできた恋人と初めてのデートで訪れた公園だった。本当に本当の意味で初めてのデートだった僕は勝手がわからず、結局二人の家のちょうど真ん中あたりにある公園に彼女を誘いだし、ベンチで学校のことを話すというそれだけで四時間もつぶしたのだ。彼女はえらく退屈に思ったかもしれないが、僕はそれよりも自分のことでいっぱいいっぱいで仕方がなかった。
ここでいいのかい、と白木の声がした。振り向くと彼は左右をちらちらと見て、狭い場所だなあ、と呟いていた。
「思い出の場所なんだ」
「なるほどねえ」
白木は乱暴に突っ込んでいた手をポケットから出すと、小走りにブランコに近づいて飛び乗ると、それをこぎ出した。
しばらくその様子を見ていたが、我慢できずに声をかける。
「なあ」
「なんだ?」もう飽きたのか軽く飛び降りて、白木は僕の方に寄った。「怖くなったか」
「違うよ」
「じゃあなんだ」
「女子高生」
「あ?」
「女子高生は何で、あの屋上を選んだんだ? 少しだけど通っていた俺が言うのだから間違いなく、特筆すべき点の一つもない、ありふれたビルの屋上だ。飛び降りるにしては高さがないし、うまく死ねたからいいものの、死ねない可能性もあったろうに」
「松戸さん、聞いてくるねえ」
「単純な疑問だ。俺ならあそこは選ばない」
「彼女は」白木は言った。「彼女はどこでもよかったんだ」
――
管理人さま。
初めまして、中富好子と言います。
都内の高校に通っている十七歳です。
私は人にお願いごとをするのが得意ではないので、いや、そもそも人と会話をすることすらままならないので、うまくお伝えできるかわかりません。管理人さまの「自殺援助」について、お願いと、質問があります。
私は高校で、ないものとして扱われていました。「ないもの」なのに「扱われる」というのもおかしな話ですが、ともかく、私はクラスメイトたちにとって必要でもなく、邪魔でもないような位置にいました。先日までは。
こないだ、クラスメイトの中心的と言いましょうか、そんな女の子に死ねと言われてしまいました。私の高校生活が破綻した瞬間です。お互いにメリットもデメリットもない関係をうまく築いていたつもりが、実はひどく邪魔者扱いされていたということを知らしめられたのです。死ねと、学校に来るなと、延々と言われてしまいました。
そこで私は彼女の望み通り死んでみることにしてみました。生きることに執着もなく、親でさえ私には大した関心を抱きません。生きていようと死んでいようと構わないのです。
死ねば私もノイズの一つになれるのだろうし。
どうか自殺を支援してください。
最後に、質問です。
誰かを巻き添えにすることも、可能ですか?
――
「まあ結果から見れば彼女はその因縁の女の子にぶつかることなく、一直線に地面に落ちた。俺がこの仕事を始めてから今までで唯一の不完全燃焼な仕事だからよく覚えてる」
「そうか、そういうことだったのか」
「本当は守秘義務があるんだが、まあその規則も俺の中での話で、それに松戸さんはすぐ死ぬわけだから関係ないかなと思ったらつい話しちった」
「まあ、これで後腐れなく死ねるよ。気になると、とことん気になってしまう性質でな」
「ははっ、ならよかったぜ。じゃあこれ、ロープ」
「すまんな。しっかり見届けてくれ」
「はいよ。……の前に、お金をもらっていいかね」
「ああ、すまない。貯金全額下ろしたよ、足りないかもしれないが」
「いやいや上等上等、じゃあ、しっかり見届けるよ」
「ああ、ありがとう」