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コミュニケーション

2011年の拙作。再掲載。

 アニスの体には欠陥があった。起きていようが眠っていようが、ベッドから離れることができない。毎日起きるとベッドに座り小窓から外を眺める。家の向かいにある大きな木の下に座って本を読む少年をただただ眺めている。

 シノは友達もろくに居ない物静かな少年だった。毎日本を読み続けている。街の喧騒から離れた丘の上にある大きな木の下に本を四冊持っていき、朝から夜まで読んでいる。年は十六。学校へは行っていない。

 ある日、それが偶然であったのか必然であったのかはわからないが、ふと視線を上げたシノと、じっと彼を眺めていたアニスの視線がぶつかる。シノははっとして顔を伏せた。そして彼女の存在がいつからあったのか、思考を巡らせる。はたと、運命かもしれない、と思う。

 変化は明確に表れた。シノが持っていく本の数が一冊に減り、それも毎日同じものになった。アニスの存在に気づいてしまってから、彼は読書になど集中できなくなった。それほどアニスは美しい少女だった。これが運命でなければ何なのか。シノは本を読むふりをしながらちらちらと二階の彼女の方を見ていた。

 ついにシノは本を持っていくことをやめた。代わりにスケッチブックを持っていく。彼女にわかるように大きな身振りを木の下で行う。窓の向こうから視線が向かってくるのがわかって、シノはスケッチブックを広げる。

「君と話がしてみたい、名前が知りたい」

 アニスの表情に変化があったのを、シノはすぐに気付いた。アニスが窓の枠から消える。下りて来てくれるのか、と期待もしたが、シノの脳内ではすでに彼女が病気である仮説が完成していたから、ただただ彼女が窓の枠に戻ってくることを願って、その一点を見つめていた。

 返事があった。アニスもシノと同じようにスケッチブックに文字を書いた。だがそれはシノには読めない字で書かれていた。どこの言語かもわからない。

 シノはスケッチブックに「読めない」と書いた。だがこれも、彼女には読めていないかもしれない。

 とぼとぼと帰り道を歩いた。その途中で、ジェスチャーや絵文字ならば会話ができるかもしれないとも思ったが、難易度の高いことだ。

 次の日、シノは同じようにスケッチブックを持って丘の上に行った。読めなくてもいい、互いが互いを認知して形だけでもコミュニケーション出来ているそのことが嬉しかった。もちろん、帰ればあらゆる言語を調べる。

 毎日それを繰り返した。

 二週間経たない頃、シノが丘の上に着いて見上げると、アニスの部屋のカーテンが閉め切られていた。今までそんなことは一度もなかった。彼女はいつからかずっと自分を見つめていたし、自分が彼女を認知してからは毎日彼女を見ていたし途中からは伝わらずともスケッチブックで話もしていた。彼女がついに自分を見限ったのだろうか、シノは悲しくなって家に帰る。肩はすっかり丸くなった。

 それでも彼はそこで言語学をやめなかった。彼女の書いていた字の形はすべて覚えていた。何年越しでもいいから彼女の話が聞きたかった。

 積年の努力は、十八で実る。そして彼はその日に自殺した。

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