深窓の令嬢編 08
やはり今生はハードモードのようです。
何とかせっぱつまった今の状況を打破しようと、猟師スキルを磨いて独り立ちルートのショートカットを狙っていたのですが、人生の展開が想像以上に早くて対応が利きません。
いきなり婚約フラグが立ちました。
まだ9歳なんだけどな……ははは。
お相手は村長の溺愛する孫娘、レネ・ルドンネ。
れっきとした下級貴族、『郷士』というステイタスを持つルドンネ家は、ここら一帯を領するアマル伯爵家の村落統治の代行および徴税を職とする。『郷士』とは、土地に根付く豪族に国王が首に紐をつけるために下賜したもので、地縁血縁で固められたその土地での影響力は、領主よりも強いくらいであるらしい。
「良縁だわ!」
母さんは手を叩いて大喜びだ。
縁談は村の女会のつてで(女会の常長が村長の奥さんだ)やってきたこの話、むろんのこと他の女会メンバーから相当に羨まれたらしいから、そうした虚栄心のスパイスも母さんをくすぐったのに違いない。
父さんはまだ早いんじゃないかと正論を述べてくれたのだけれども、魔物の多いこの地方で比較的早死にする男たちと違い、たくさんの子供を産んで村を守る強い女たちの会合……女会の圧力は、村の腕自慢のおっさんがしょんべんをちびるくらいに強力であったりする。威圧感のある母さんの微笑みに、父さんの抵抗もまさに鎧袖一触。そんな落ち込まないで、ドンマイだよ父さん。
なぜにこんな話が、降って湧いたようにやってきたのか……それはまあ、ある意味お察しなのかもしれないけれども。
10歳以上になった少女たちが自然と通うようになる、女会の幼年部、学校というよりもいわゆる『嫁入り修行』的な集まりで、また当たり前のように交わされる村の男どもに対する品評会で、『天使ちゃん』の取り合い戦争が勃発していたらしい。想像するだけで胃がしくしくと痛んでくるのだけれども、才色兼備(使いどころ違うと思う)な優良物件として、他の年頃な男どもを周回遅れでかっちぎっている『天使ちゃん』は、釣り合いが取れそうな年頃の娘たちがこぞって立候補、一触即発な緊張を生んでいたようで。
わたしは貴族令嬢、そんな下賤なお話には興味ないわと悠然と構えていたレネ嬢であったのだけれども、具体的な根回しが目に見えるところで始まってくるといてもたってもいられなくなったのだと……これは母さんのドヤ顔話。
すいません。
なんだか胸の奥が刺すように痛いんですけど。
先生、早退していいですか。
その日、顔を手で覆って、物陰で三角坐りしている彼の姿が目撃されたという。早い、早過ぎるよ展開が。
下級貴族?
村一番の物持ち?
だからなに? それがどうしたっていうの?
あああああ、もうなにがなんだか!
相手のことも知らないで否定するのはよくないって?
会いましたよ、ついさっき。狩りから帰ってきた森の端で、令嬢の取り巻きっぽい子たちに半拉致状態で幼年部の小屋にまで連れて行かれて、なんていうか謁見?させられました。
むろん人口が数百人足らずの村です。くだんの令嬢を見たことがないわけではありません。未婚女性は髪を結い上げないしきたりのようなもので、茶金というより栗色に近い髪を腰のあたりにまで伸ばし、そこからは地面に擦らないようにゆるく結んだ少女が、一番奥の椅子に足を組んで偉そうに座ってました。
美人?と言えないこともないのかもしれませんが、眼差しをすがめて睨み下ろしてくるその様子のせいで到底加点する気にはなりません。
レネ嬢の歳は12歳。彼の3つ年上になる。
姉さん女房ということになるのだけれども、普通に許容範囲なのだそうです。
「…その恰好、………好きなの?」
「………」
初めての会話がそれでした。
ええそうですとも、今日は牛さんでしたがなにか?
そのまましげしげと眺めまわされた後に、
「まあ、本人が好きなら仕方ありませんわね。………似合ってますし」
ああああああああああっ!
ぷふって、笑われましたよ。ああそうですとも、着包みが許されるのは3歳までですよね! そんなことは分かってます! ああもうッ!
そのあと取り巻きの子たちが令嬢の指示で退室させられ、二人っきりになりました。他人の目がなくなった瞬間に、最初は恐る恐る、一度撫でてからは一気に大胆に……令嬢にデレられました。
たぶん同じ年頃の異性だとか思っていないのかもしれません。まるであどけない赤ちゃんをハグして頬ずりしまくるように、飛びつくように抱きつかれてぐりぐりとスキンシップをはかられてしまいました。飛びつく勢いがありすぎて押し倒されました。
「うわっ、や、やめ」
「天使ちゃん天使ちゃん天使ちゃん!!!」
男女の恋とか親愛の情とかそんなちゃちなものじゃない、恐ろしいものの片鱗を味わってしまいました。
いや、これほどきれいなツンデレというのも珍しい気がしましたが。
犬ころでもかわいがってるつもりかと彼も最初は腹を立てていたのですが、そのうちに令嬢の息遣いが怪しげなものになり、ぐいぐいとやっちゃダメなところを擦りつけるように密着してきました。泣きそうになるのをぐっとこらえて震えていたところ、その耐える表情さえも火に油を注ぎこむ燃料になってしまったのには狼狽しました。
令嬢がいくら夢中でしがみついていても、狩りの訓練で野山を駆け回り、神様の過剰設定が有効化しだした身体能力を持つ彼が力負けするはずもありません。同年代の子供にはまず負けないと自負するに足る腕の力を振り絞って令嬢を引きはがしたのですが……拮抗……なん、だと!?
「天使ちゃん天使ちゃん天使ちゃん!!!」
顎の下を突っ張るというフェミニストには許されない荒業を繰り出して、ようやく野獣のあぎとを抜け出した彼は、びりびりにほつれた着包みを掻き抱くようにして逃げ出した。まるで変質者の魔の手から間一髪逃れた一人帰りのOLみたいな構図でした。
そのときまずい状況だと察したレネ嬢が、
「どうせあんたはレネと結婚するんだから! 変なこと言いふらしたら、おばあ様に言いつけるからッ!」
などと捨て台詞のように脅してきました。それがただ言っているだけの虚勢などでないことがほんと質が悪かった。村を支配する村長一族に逆らえば、ウィンチ家など隣家と同じように瞬く間に村八分です。
そうして物陰で三角坐りするあたりに話は戻ります。
(やべーよ、マジで心が折れそうだよ)
あの令嬢と結婚したら、そりゃ生活は楽になるかもだけど、当たり前のこと一生村に縛られることになる。
せっかく人並み優れた身体能力があるというのに。
魔法の才能がこの身に埋蔵されていることも分かっているというのに。
その人生の『可能性』を捨て去ることができるのか…。
(だめだ、絶対に村を出る)
しかし彼のなかの決意に揺らぎはない。
狩猟の腕を磨いて独り立ちするというシナリオがだめだとするなら、あとはもう二択である。
【選択その①】
速攻家出。
やみくもに家出。ヒャッフーッ!
【選択その2】
魔法学校に逃げ込む。
令嬢をだまくらかして猶予を貰い、あっちで技術を手に入れてからフェードアウトヒャッフゥゥッ!!
なんだかテンションがおかしいです。
前世の嫁に置き去りにされたアアパートの戸棚に仕舞ってあった、病院でもらった抗鬱剤のことを思い出して、また泣けてきました。
彼の苦境を空の上からあの鬼女板の住人が覗いているかもしれないと思いついて、殺意がわきました。