深窓の令嬢編 07
3年前のあの一件から、最初の1年は母の激おこモードが継続して、罰ゲーム的な軟禁生活が続きました。
その退屈で死んでしまうそうな長い長い1年を潜り抜けた6歳当時の彼は、母の怒りがようやく解けたのを見定めるや、気が変わる前にとすばやく行動を開始した。
家族団らんの食事時などに『猟師になりたい』というお願いを地道にアピールをし続けていたことがここで実を結んだ。
『護身にもなる』という詭弁で母を黙らせた後、いよいよ父の訓練が始まった。思わずガッツポーズしましたね。
それから2年間……相変わらず服装だけは変わらないコスプレ猟師見習いが森に出没するのが村の風物詩になったのだけれども、生暖かい眼差しへの反発を糧に、かなりがんばりました。もともと神様オプションで相当に才能があったようで、ふっと息をつめて集中すれば、どんな遠くの的だろうと10メートル先のバス停の丸いやつぐらいの大きさに見えました。もちろん百発百中です。
筋力、スタミナ面の性能も、このときを待ってましたとばかりに開花してきました。デビューはかなり遅かったものの、もう俊敏さなら同年代の村の子供のなかでも頭ふたつほど抜け出るぐらいです。見た目の筋肉はからっきしなんですけど、それはまあ置いておいて。
柔らかい練習用の弓が役不足になってきて、もっと本格的な短弓が必要と察したときの父さんの嬉しそうな顔がいまでも忘れられません。その頃のウサギの格好をした息子が魔物のウサギを狩る姿は相当にシュールだったでしょうけど。
この頃ママンは、露出の少ないコスプレをシリーズ化していて、おそるべきことに動物着包み文化にまで自力で到達していました。異世界だというのに独力でこの境地にたどり着いて見せた母親の腐りっぷりは、もしかしたら偉人クラスの天才の証であるのかもしれません。
脱線した話を元に戻しますが。
そうして得難い2年間の訓練期間を経て、8歳になったこの頃では将来有望な猟師候補として村の男衆に認識されるようになりました。その線で将来の展望がそろそろ見えてきてもよい頃なのだと思うのですが、相変わらず霧の中です。
なぜかとは聞かないでください。
「きゃーっ、エディーくーん!」
「今日は何が狩れたの!?」
森から出てきた村の端で、なんだか待ち構えていたような少女たちが手を振ってきます。こういうのに慣れたイケメン父は「エディもやるな」と、感心したふうに手を振り返してやれと言ってきたりします。
なんとなくいやな気分になりつつも言われた通りにすると、案の定少女たちが駆け寄ってきて取り囲まれます。
小さな村だけど魔物の生息地帯に近いこともあって、種の生存本能か何かに導かれたのか随分と子だくさんです。彼と同じぐらいの年頃だけでも10人くらいいます。
着包み姿の男のなにがよいのかわかりませんが、最近の『モテ期』のレベルが尋常じゃありません。
「生活力のある腕のいい男は、いつだって大人気さ」
と、父の弁。
なるほど、猟師としての腕が上がれば上がるほど、ゆとりのある生活に憧れる女性陣にアピールしてしまうのだと。
少女に囲まれて困惑している彼に気付いて父さんが手を引いて脱出させてくれましたが、彼女たちの目がなくなったあたりで彼は我慢しきれず吐いてしまいました。
(裏表激しすぎじゃね?)
8歳にして女性社会の実情を知ることになった今生の彼は、もうすでにSAN値が0寸前です。
…だから田舎は嫌なんだ、とかたまにつぶやいてしまいます。
(今日もアーニャのやつ、ぼっちだったな…)
あの少女たちにいま絶賛ハブられ中の隣家の次女、アーニャがまた、村の広場で一人涙をぬぐっていた。
村社会とかいう恐ろしく狭い息詰まるような環境は、合わない人には徹底的に合わないのだと思います。歳をとるほどにいろいろと見えなくていいものが見えるようになってきて、読まなくていい空気を読まざるを得なくなるともう末期症状かなとか思います。
何が言いたいのかって?
言いたいことは山ほどあるのだけれども、まずあの一件以来の、我が家と隣家とのいたたまれぬほどの緊張関係を告白させて欲しい。
父さんはほとぼりが冷めたら元の関係を再構築しようと思っていた節があるのだけど、母さんがそれを頑として受け入れず……そのかたくなな怒りを村の女会にまで持ち込んでしまったものだから、もともと天使を愛でる会に属していた女性有力者たちを敵に回してしまった隣家の夫妻は、村で完全に孤立してしまっていたのです。
こういう感情のもつれというのは、女性ほどこじらせたら始末に終えないもののようで、ほんともう気持ち悪いくらいにドロドロです。前世の日本のように、都合が悪くなれば外の土地に引っ越せばいいなどという簡単な逃げ道はありません。地方領主の領民でしかない村人たちに、身勝手な転居など許されないのです。長女がバカやったその責任から逃れる手段もなく、彼らは息を潜めるようにして暮らしを続けていて、その様子が目に入るたびに胸が締め付けられてしまうのです。
むろんのこと、我が家と隣家は完全に交流が断絶しています。
闊達だった次女のアーニャが、ぽつんと村の広場のニレの木の下で坐り込んで涙を拭っているのも、両家のいさかいが継続中である証にほかなりません。
(もうこんな村、やだ…)
アーニャがそうなる原因を作った隣家の長姉は、あれ以来姿を見ていません。
両親から細かい事情などはいっさい入ってこないので、風聞でしかないのですが……あの後、速攻で嫁に出されたらしいです。
騒動があったあの夜、父さんから事情を聞かされたアリーの父親が、娘にことの真偽を問い質し、否定の言葉をついぞ口にしようとしなかった娘に怒りを爆発させたらしい。アリーに手を出していたのはもっぱらその父親で、うちの父さんのDVでなかったことにはほんと胸をなでおろしたのですが。
それからすぐにアリーの結婚話が進展し、貌の傷が引く頃には相手先に熨斗をつけるような勢いで送り出されたとか。隣家はそれで騒動が丸く収まるかもと期待していたようでしたが、前述の通り現実は厳しいようです。アリーのいなくなった後の3姉弟、アーニャとアレンとアンナは、家事手伝いに水汲みとかする以外はほとんど家の中にこもっています。村デビューの早かったアーニャはそれでも諦めきれないらしくよく村の広場で見かけましたが、元は友達であったらしい少女たちからいろいろとやられているようです。
たまに目が合うと、すがるような色を見せるので思わず逃げ出してしまいます。助けたいとは思うのですが、どうすればいいのか頭が真っ白になってしまうのです。
(早くこの村を出なくちゃ…)
彼は繰り言のようにつぶやいた。