深窓の令嬢編 30
古街道に姿を現した領主連合軍の総数はおよそ三千。
第二王子派が立て籠もる廃砦を取り囲むようにやがて街道からあふれ出し、包囲の形が瞬く間に形成されていく。
領主連合軍に名を連ねているのはここいら一帯に在する貴族たちで、大領を持つ伯爵、小領の子爵男爵が合わせて11家、騎士爵やそれに準ずる郷士たちが小勢を率いて合流しているらしい。
連合の筆頭はこの地の領主であるアマル伯爵で、廃砦からずいぶんと離れた小高い丘に構えた本陣で采配を振るっているという。アマル伯が『アルテナの娘』を恐れること尋常でなく、それ以上接近することを頑として受け入れなかったためにそこに本陣が定められたようである。
圧倒的な戦力差で村人たちの戦意が折れる可能性もあったので、お約束的に降伏を勧告する騎乗の使者がやってきたのだけれども……支配体制に弓を引いたレドンネ村の者たちに助命の約束などするわけもなく、ただ罪をあげつらうばかりで返って村人たちの決意を硬くしただけであった。
使者は砦の高楼に白いスカートをなびかせている『アルテナの娘』の姿を興味深そうに眺めやってから、まるで試すように携えてきた短弓で一矢放ってきた。
「まことに『アルテナ』のご加護を持つのなら、ここでわが身をその矢で貫いて見せよ!」
使者は全身甲冑で、おそらくは名を売るために危険を買って出た下級貴族であったのかもしれない。
その矢はまったく距離が足りずに高楼のはるか下を掠めていった。命が危険にさらされた自覚もないままに、『アルテナの娘』もすっと構えた弓を引き絞り、返礼の矢を放った。
とくに使者の下級貴族をそれで射殺そうなどとはエディエルも考えてはいなかったので、ろくすっぽ狙いも定めず放った矢であったのだけれども……射程距離だけは恐ろしいほどに出てしまって、200メルほど後ろのほうで見物を決め込んでいた使者の従卒らしき者たちのなかに飛び込んで彼らを大いに慌てさせた。
領主軍が慌てたところを見た砦の村人たちが、無責任にそれをはやし立てて騒いだ。
まともに取り合われずに従卒を狙われ嘲られたと取った使者の騎士は、もう一矢、今度は本気で『アルテナの娘』に狙いを定めてきた。放たれた矢は射程重視であったのでずいぶんと山なりなものになったのだけれども、それがたしかにおのれの至近に届くものと察した『アルテナの娘』は、何も言わず滑るように矢を取り出して、はしっと空中へと矢を放った。
「おおっ!」
村人と、様子を眺めていた領主軍の中からどよめきが起こる。
『アルテナの娘』の放った矢が、使者のそれを空中で見事に叩き落したのだ。それはまさに奇跡の技であった。
そのとき城壁上に現れた第二王子派の筆頭、ザウサウレン公爵が、
「射よ! 『アルテナの娘』よ! 恐れ多くも正統なる王の後継に剣を向ける愚か者たちを、ひとりたりともこの砦に近付かせぬ『女神の守り』を! 神助の力を愚か者どもに示して見せるがいい!」
『アルテナの娘』が言われるままに再び構えを見せる。
それを見ておのれの命が『彼女』に掴まれた恐るべき危機感に、使者が馬首を返して逃走にかかった。
この一連のデモンストレーションが敵の怯懦な貴族たちを怖気づかせ、不用意な接近を防ぐことになると公爵から『仕込み』を受けていたエディエルは、村人の安全がかかっているのならと相手を仕留めることにすでに迷いはなかった。
「射よ! 神助がどちらの側に与するのか、愚か者たちに知らしめよ!」
使者は必死になって自陣に帰り着こうとしている。
そのむき出しの背中は騎士家伝来の磨き上げられた甲冑に守られているのだけれども、わずかに魔力を送り込まれた彼の矢は、薄い鋼板など紙のように射抜くだろう。
(ごめんなさい)
エディエルの異能によって使者はすでにロックオンされている。
距離は先ほどの従卒たちが慌てて主人の後を追いかけ始めたように、200メルを越えている。時を追うほどにどんどんと離れていく。
普通ならば……彼のように華奢で非力そうな者ならばなおのこと、矢が届く距離ではなくなっていた。
が、彼は迷いなく矢を放った。
自陣が程近くなり、矢の射程とはとうてい考えられない辺りにまで逃げ帰ってきた使者はおのれの安全を確信していたのだろう。その『安全』を確認するために馬を止めて振り返ってしまったその心情は理解されるべきものだった。
だがそれがその男の最後となった。
カンッ! というやや乾湿な音がした後に、馬上のその身体が崩れて、地面へとずるりと落ちた。
「…ありえん!」
「この距離をあれほど容易く…」
振り向いたその眉間を、頭蓋骨の硬さなどなかったかのように貫通した矢を領主軍の兵士たちが見た。
驚愕が広がる中、城壁上のザウサウレン公爵の胴間声が戦場を打った。
「見よ! これが王権を正しき血に引き継がせよという神のご意思よ! どれほど隠れようとも、多勢の中に紛れようと、貴族の高貴なる義務を忘却し正統なる王の後継にあだなす罪深きものは、『アルテナの娘』がその矢を持ってその命刈り取るだろう!」
上手い駆け引きだと、エディエルは思った。
敵の兵士全部を彼が矢で迎え撃つなどおよそ現実的ではない。ゆえに、公爵は彼に言った。
「将を狙え。…見当たらねば場の指揮官を狙え。…手が空くようなら戦わず叫んでばかりいる伝令兵を。狩りつくしたならば最後に勇戦する兵を狙え」
彼がどのように戦えばよいのか、公爵が整理し単純化した。
たしかに戦場でそうした主だった者を倒せば相手が混乱するだろうし、ピンポイントで狙撃されると分かっていて前に出てこようとする貴族は少なくなるだろう。多くの血を流す攻城戦の指揮は、戦意を鼓舞するためにもある程度指揮官も近くにいないと成り立たないが、その『ある程度の距離』がすべて彼の有効狙撃エリアに含まれたとするならどうなるだろうか。
これは相当に敵を悩ませることだろう。
彼の異常な『必中能力』があればこその戦い方であったが、たとえば敵である領主連合軍の数がいまの十倍あれば、一斉に攻めかかられたときに彼の対処能力も一気にオーバーフローしたであろう。
領主連合軍がおのれの正当性をアピールするために、名を連ねる領主たちを公言してくれたから、組織の指揮系統や指揮官の数なんかもおよそ把握されている。
「領主たる上級貴族が11人、最大の兵数を擁するものでも千には満たぬ。アマル伯爵領のうちであるゆえ総大将はあのこぶ団子とされているだろうが……兵が合わさっているだけでそれぞれが当主に率いられた独立の小軍団であるに過ぎん。伍隊の長(5人×5隊)120人、その上の指揮官からは下級貴族だ。…だいたいその150人をお前が射殺せば、この領主連合軍は雲散霧消する」
無知な田舎の子供に噛んで含めるように公爵は言う。
その話を聞いているだけで、なんだ簡単な話じゃないかと思えてくるのだから恐ろしいものである。
領主軍の包囲の輪は、彼の……『アルテナの娘』の人力イージスシステムを恐れて100メル近くまで広がっている。多くが森の中にひそむような格好である。
彼らが一斉に攻めかかったとして、砦に取り付くまでの時間、城門あるいは城壁を突破するまでの時間、そして槍で武装した村人たちの防御が破られるまでの時間に、敵の戦意が喪失するほどの『指揮官の死』を生み出すのは、それほど難しいことではないと思う。
彼ががんばれば、村人たちを死なせずに済むのかもしれない。
『責任』という空恐ろしいほどの重圧を感じつつも、エディエルは高楼の上に立つ。
痛いほどの緊張を破るように、向こう見ずな領主のひとりが兵を動かすのが見えた。追い立てられるように森から押し出された兵士たちは、戸惑いつつも次第に狂ったように走り出した。
おのれの死を前にした狂気。
その殺意の人波の中にある兜に房飾りをつけた指揮官の姿を見つけて。
『アルテナの娘』は静かに弦を引いた。




