深窓の令嬢編 02
エディです。
3歳になりました。
周囲の過保護っぷりに自分の将来がどうなるのかといろいろと心配してしまいましたが、3歳児ボディのなかにいる異世界のブサメンが非常に自立的な精神を備えていたので、どうにかダメ人間にならずに済んでいます。
「さあお髪をよく梳かしましょうね」
リビングの椅子に座りながら、ぎゅっと全身に力を込めながら背筋を伸ばす。
これは過保護のうちに含められるものなのかどうか。
「今日もこれできれいきれいにしましょうねぇ」
寝起きでぼさぼさになった髪をぽりぽり掻いてると、母がやる気をみなぎらせて片手に手品のように木櫛を取り出した。
生まれてこの方伸ばし続けている髪の毛はもう腰に届くぐらいになっている。正直鬱陶しいのでばっさりといきたいのだけれど、父以外の外野がなぜかお怒りになる。
ありえない、許さない、信じられないと、ほとんどの女性陣がまなじりを釣り上げて抗議するので、最近は怖くてそのことを口に出すこともできない。狩りの仕事に興味津々の息子に、父親はもうちょっと活動的な格好をさせたがっているようなのだけれども、勝手に切ったら『離縁』といわれてショボーンと鼻水をすすっています。
「ほんとエディの髪の毛はきれいねぇ。月の光みたいに綺麗な銀色で、さらっさらなんだもの。櫛もぜんぜん引っかからないし」
「お腹減った。ごはん」
「はいはい、もうすぐ終わりますからね」
入念な髪梳きが終って、近くの壁掛け鏡に姿を映してみる。祖母の代から大事にされている磨き鏡だ。前世のガラス製のものを知っているだけに、その映りの悪さには最初驚いたものだが、人間なんだって慣れてしまうものらしくいまでは普通に使っている。
彼の後ろから覗いている母のドヤ顔がため息を呼び起こす。
鏡の正面に映っている、どうしても見慣れることのできない白い顔は、少しだけ困ったように眉をひそめている。名工の手になるビスクドールでさえもそれには少しばかり及ばないだろう……瞳に宿った生命の輝きと鮮やかな血色でけっして作り物でないと分かる美の結晶がそこにあった。
銀色の髪と夕暮れの薄紫色の瞳、光を含むような長い睫毛。すうっととろけるように存在感の薄い鼻梁と、鮮やかに色付いたぷくっとした唇。
我ながら信じられないのだけれども、それが彼自身の顔であった。
少し泣きそうになって、鼻の奥がつんとした。
神様、あんた仕事しすぎだよ。
村の若夫婦から、いきなりこんな子供が生まれたとか、不自然すぎじゃなかろうかと一時は心配したのだけれども、まあ驚かれたのは最初のうちだけだったようだ。
母の家系には昔エルフ族の血が入っていて、それが絶妙な按配で隔世遺伝したのではないかと、そんな結論が村では支配的だ。
エルフの遺伝的特質なのか、肌の色は抜けるように白いし、指先もまさに白魚の如し。体つきが華奢だからといって体力がないわけでもなく……むしろこれも神様のいらん仕事だと思うのだが、身体能力は村の同年代の子供と比べてもかなり勝っていたりするのだが、いまのところその『事実』を周囲に証明するチャンスはめぐってきてはいない。
なぜかって、そりゃあね。
「エディは何にもしなくていいからね! 怪我しちゃったら大変だし!」
どこの箱入りお嬢様だというぐらいに何もさせてもらえないからだ。一度家事手伝いをやろうとして、指を怪我してしまったときのことだ……母はパニックに陥り、ちょうどそこに居合わせた隣の赤毛っ子のアリーは悲鳴を上げて治療師を呼びに飛び出していった。
村中がてんやわんやになったその騒動を思い出すだけで、いまでも冷や汗が出てくる。ほとんどの村人が見舞いに来てくれて、治ったあとの挨拶まわりが死ぬほど大変だった。村の大事な子供という以上に可愛がられているらしいおのれを自覚したのもそのときである。
それからはもう、半強制ニートのような生活になっている。
本当は村の同年代の子供たちと友達になって、野山を駆け回って遊んだり、村一番の弓の腕で尊敬されている父親のあとを金魚の糞みたいについて回って自分でも狩りをしてみたかった。なまじ身体能力の高さを理解してしまっているだけに、それを試さないでいることは恐ろしくストレスがたまった。
ならばインドアでもよいから、料理でもしてみようと思い立ったのだけれども、包丁さえ危ないからと持たせてくれない。どないせーちゅうんじゃと言いたい。
それに不満はまだある。
「ズボンにチュニック(短衣)? だめよそんなの。それより今日はなにを着せましょうねえ。エディはなにを着せても似合うから迷っちゃうわ~」
「………」
今日はずうっと寝間着のままでよいかもしれない。
無言でシチューを口に運んでいる間に、母が箪笥から運んできた服がまるで露天商のように広げ始められる。
うちの父親の稼ぎがなまじいいのが仇になっているに違いない。母親が裁縫上手なのも大いに原因のひとつに挙げられるだろう。
「こっちの『貴公子系』もいいんだけど、『お姫様』もいまとなっては定番なのよねぇ。ドレスでも派手目から清楚系まで、何だって着こなしちゃうんだからママほんとに困っちゃうわ」
いや困らなくていいから。
ドレスって……大事なことだからもう一回言うけど『ドレス』って、普通男の着るもんじゃなくない?
母親がいらんひとり問答を始めた頃に、隣家の姉妹がお約束のように勝手に家に入ってきた。そうして衣装群を前に悩む母を見つけて、据え膳を前にした野良猫のような満足そうな顔になる。
「あたしはこっちの真っ白のドレスがいいなぁ」
「お姉ちゃん、エディはこっちのメイドっぽいのが絶対合ってるって。こっちよこっち!」
隣家の長女のアリーと次女のアーニャである。
姉妹揃って似たようなくせの強い赤毛である。そばかすの有無と身長差、目の色がアリーは薄青なのに対してアーニャはエメラルドグリーンをしている。
女が三人、『今日の衣装』の吟味選考会に入った。
静かにシチューを食べ終えて、気配を殺しつつ脱出を図ったエディであったが……しかしまわりこまれた!
アリーに抱き上げられて、親愛を通り越した熱烈さでハグされる。
だからくんかくんかするのは止めてくださいほんともう嫌なんです。
「あーっ、ずるいアーニャもハグする!」
「だめよあなたたち! うちの天使を気安く抱っこしないで! 天使成分の補給はそんな安いもんじゃないんだから!」
あー、もうどうにでもしてくれ!
彼の抵抗が止み脱力したのを見計らって、魔の着せ替えタイムが始まった。
レイプ被害者のような焦点の定まらない眼差しを父に向けてみるのだけれども、あっ、逸らされたわ。くそう。
さ迷った彼の目が、姉妹の入ってきた勝手口のほうに新たな人影を発見する。隣家の長男でアーニャの弟になるアレンが驚いたような顔をこちらへと向けていた。
三つ上の同性に醜態を見られたことにこちらもぼっと血の気がのぼってくる。
見る見る顔色を赤くして、アレンは「ごめん!」の謝罪を残して脱兎のごとく逃げ出した。
ちょっ、男同士なのに反応おかしくね?
ぶわっと涙がこみ上げてくるのをどうにか我慢していると、勝手口の下のほうにアレンの置き土産がまだ残っていた。彼が連れて歩いていたのだろう末の妹、同い年になるアンナが親指をしゃぶりながらこちらをぼうっと眺めていた。
思わず目が合って、どんな表情をしていいのか困った彼は、とりあえずにこっと微笑んでみた。
するとどうだろう、まだ物心ついて間もないはずのアンナの頬に分かりやすいぐらいに赤みが増した。
「ちれい…」
彼のライフは朝っぱらからゼロになった。