表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/37

深窓の令嬢編 17






自分の判断が正しかったのかどうかなんていまは分からない。

長い人生の中に確実に存在する、『運命の岐路』の一方を自分が選んだのだということだけは明確に分かる。

家の裏庭の、井戸の水を汲んだ桶の中に手を突っ込んで、いつまでもごしごしと擦っている。ときおり手を上げて、鼻先に近付けて匂ってみる。


(臭い…)


軽いえづきの衝動が胃のあたりから上ってきて、井戸にもたれかかるようにかがんで吐いた。もう吐くものさえなくて、胃液の刺激に何度もむせた。

僥倖にも異世界に転生して、夢と希望に燃えていたはずのエディエル・ウィンチの今生は、気付けばたちの悪い袋小路に立ち往生しようとしている。

優れた能力を生かして町へ出て、冒険者ギルド的な組織なんかを都合よく踏み台にして世界へ羽ばたくTUEEE&ハーレムなテンプレ展開……そんな幸せへのジェットストリームはいつ来るんだろうか。充分に努力して、そうなるために訓練も欠かしていなかったというのに、現実は村社会という狭苦しい世界に押し込められ、窒息しそうである。

息子の様子が少しおかしいことに気付いた母さんがしつこく問いただしてきたけれども、むろん彼に答えられることなんか何もなくて。

夕暮れ時の集落はなんとなく慌しい喧騒に包まれている。炊事の忙しさに各家に出入りする人の姿が散見される。…隣家にも、村で干されていようが家族の暮らしがあるわけで、普通に出入りがある。

水を汲みにきたアレンがそこにいる彼を見つけて、難しい顔をしたまま井戸につるべを落とし入れた。ちらりと目が合ったけれども特に会話は生まれない。

多分嫌われてはいるんだろう。彼の誣告から隣家の苦境は始まったようなものである。

普段ならば平静にやり過ごせたとは思うのだけれども、アーニャとのことが頭にある彼には、どうしても精神の内圧が不足している。何ひとつ思い通りに行かずにいたずらに手を汚してしまったバカな自分に、やるせなさが積もって目頭が熱くなる。

泣いたところを見られたようだ。


「なんでめそめそしてんだよ」


アレンの声を聞いたのはいつぶりくらいだろう。

声変わりしてすっかり大人のようになっていた。

きょとんとして顔を上げた彼に、アレンは「邪魔邪魔」と言って乱暴につるべを引き上げ始めた。井戸は村の共同のものである。手洗いの水を失ってぼんやりしているだけの彼は確かに作業の邪魔でしかないだろう。

水を自家の桶に移し替えて、またちらりとこっちを見てからアレンは鼻を鳴らして家へと戻っていった。その隣家の勝手口から、すっかりと引っ込み思案になっているらしい末妹のアンナがほけっとこっちを眺めているのを見つけた。

同い年の彼女とはほんとに接点らしいものもない。が、ふたりの姉に揃って手を出された彼にしたら、こいつもきっと同じ様なもんなんだろうという気持ちしか湧いてこない。

おそらくこっちを『見惚れて』いるのだろう末妹の頭の上から、アーニャが顔を出した。

アーニャは彼の姿を発見すると、勝ち誇ったようなやらしいにやけ顔をしてアンナの目を後ろからふさいだ。妹にも欠片だって分けてやらない、そんなドヤ顔をして、たぶん自分の魅力的なポーズだと信じているのだろう、長姉と同じくくせの強い撥ねッ毛をかき上げて見せた。

だからなんなの、と彼が内心で突っ込んでいるのには永遠に気付かないのかも知れない。

そろそろ村人たちの夕食が始まろうとしていたそんな時間に…。

猟師たちが熟睡していても飛び起きる類の、最大の警戒を仲間に促す『警戒の笛』の音が、藍に近い夕暮れの空に鳴り響いた。村と森を分け隔てる木柵を見下ろす物見の櫓から、よく通る男の塩辛い叫びが起こる。


「山賊の襲撃だぁぁ!!」


災厄の始まりだった。




招集をかけられた村の猟師たちは、緊張した面持ちで命ぜられるままにおのれの配置へと散っていった。

村を襲ったのは百人以上の山賊たち。

普段は腕のよい猟師たちに守られた集落を襲うことのないやつらであったのだが、襲って得られる対価と、それで死ぬだろう仲間の損耗が、どういうわけか黒字と見積もられたのだろう。

田舎の村など襲っても金なんかほとんどない。手に入るのは農機具農作物、そして土臭い田舎の女たちぐらいである。だからいつもなら村の猟師たちが出てくるとあっさり引き下がっていたのだけれども、今回は少し様子が違うようだった。

村のどこから侵入してくるか分からない。猟師たちもそれなりに散開する必要があり、村の門に残ったのは父のウォルドを含めた5人ぐらいしかない。

みな揃って櫓に登り、近付いてくる山賊たちを手当たり次第に狙い始めた。

背の小さい彼は、大人の猟師たちに挟まれるとまともに弓が扱えない。なのですぐに櫓の屋根に這い上がり、そのてっぺんに位置取りした。


「櫓のやつらを殺せぇぇ」


山賊たちも分かっている。

森の物陰から木の盾を構えてそろりそろりと出てくる。その中に射手が隠れていて、櫓の上の猟師たちを狙ってくる。

そのぐらいはこっちも想定済みなので、用意してある鍋蓋のような粗製の木盾で攻撃を防ぐ。

弓という武器はどうしても射程に限界があるものなので、高い位置にある櫓の上のほうがむろん有利である。遠くに届くし、視界をふさぐものも少ない。

が、弱点もある。


「当てる必要なんざねえ! 火で燃やしちまえぇ!」

「うおぉぉぉぉ」


山賊たちも事前の準備に抜かりはないようで、火種から矢に火を移し、こちらに狙いを定めてくる。

まずいと分かって猟師たちも射手を狙うが、木盾に守られた小さい的を射抜くのはなかなかに難しい。何本か火矢が櫓をかすめていく。


(射手を狙う…)


敵の射手も、こっちに狙いを定めねばならない都合上、上半身が割合に露出する。とくに頭は、センサーである目を使わねばならないために確実に外に出る。

不殺などとは言ってはいられない。

やるべきはヘッドショットである。深呼吸して相手を見定めると、いつものように的が大きくなって見える。彼は弦を引き絞った後、ほとんど溜めることなく放った。

距離が近い上に高所の利もあった。

次々に放っていく彼の矢が、山賊の射手たちをばたばたと倒していく。硬い頭蓋骨の穴のひとつである眼窩を射抜いていく。

しばらくして山賊たちも異変に気付いた。恐ろしく腕の立つ猟師が櫓の屋根の上にいる。

彼らは暴力で他者の財貨を掠め取って生きているために、より巨大な暴力には単純に畏怖と憧憬を持つ。そういった意味で村の猟師たちも彼らには一目置かれていたわけなのだが。

その日、山賊たちは見た。

高い櫓の上の上、男でも嫌がるものがいるであろう危険な屋根の上に、スカートを風になびかせて立つ少女の姿を。

少女が矢を射るたびに、仲間の一人が地獄の底へと蹴落とされていく。

銀色の髪が夕日の残滓に金色に輝いている。その白い面は何の感情も抱かぬように、人の死にかすかにも動かない。

遠目でも分かるその途方もないほどに美しい容貌は、おのれの創り出す人の死を他人事のように見下ろしていた。


「間違いねぇ……あんときの矢も、あいつが狙ってやがったんだ」


手下どもがたじろぐ相手を見定めようと森の中から出てきた男が、櫓の上を仰ぎ見て、吐き捨てるように言った。

あの時姿を見たわけでもないというのに、男はその正体があの少女であったのだと看破した。ひとり頭たった一矢、それもすべて得物を握るほうの利き腕を射抜いて見せたその恐るべき技量は、それだけで断定の証拠となりえた。

そのとき男はぎくりと肩を震わせた。

櫓上の少女と目が合ったのだ。その矢がすいっとおのれに向けられたのを察した男は、飛びのくように森の下生えの中に逃げ込んだ。逃げ出した彼の代わりに、そばにいた男がまだ射倒された。見事に一矢で、目から脳髄を破壊されている。


「アルテナだ…」

「アルテナの化身だ…」


森の民が豊猟を願う狩猟の女神の名をつぶやいて、山賊たちが腰砕けに退いていく。戦いの潮目を見た猟師たちが、ここぞとばかりに矢の雨を浴びせかけた。

木盾を放り出して逃げ出した山賊たちを見て、猟師たちが勝ち鬨を上げ始めるのを耳にしながら、櫓上の少女……まあエディエルなのだが、山賊たちの姿が見えなくなったのをしかと確認したとたん、腰を抜かしたようにぺたんとその場に座り込んでしまった。

自身がやはりチートな存在なのだと、彼はぼんやりと思った。

チートのくせにイケてない自身の現状を思い出して、腹が立って仕方がなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ