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深窓の令嬢編 16






その日を境に、アーニャが廃砦に入り浸るようになった。

村に居所のない彼女にとって、廃砦の秘密基地はそもそも非常に親和性があったと思う。自分を排斥しようとする村の少女たちはいなかったし、さらには懸想する相手とのふたりっきりという特典がセットで付いてくる。

自分よりも早くここにやってきて、当たり前のように出迎えられたときには、貧血を覚えてがっくりと坐り込んでしまった。


「いつもこんなとこに隠れてたんだ」

「………」

「なんで剣とか魔法とか、そんなもの訓練してるの?」


彼の訓練のさまを見ながら、上機嫌そうに聞いてくる。

倉庫に隠してある旅立ちのときのための備蓄もむろんすぐに見つかってしまっている。


「レネ様はここのこと知ってらっしゃるの? …えっ、知らないんだ! そっか」

「………」

「いつ……村を出るの?」


女性はこういう勘がいやに鋭い。

何で彼がこんな村はずれの不気味な廃墟に隠れているのか。なぜ村の生活で必要のない剣や魔法の訓練を続けているのか。そのあたりの疑問と状況証拠をすぐさま脈絡付けして彼のひた隠しにしている計画にじりじりとにじり寄ってくる。

あのトラウマをこの身に刻んだアリーの妹……姿かたちもよく似たアーニャが身近に常にいることで、彼の精神的な平穏はもはやそこにはない。…PTSDが平常運転を開始して半ばテンパッたままの彼は、気持ちの余裕がないためにすぐに分かりやすく反応してしまって、さらにいろいろと見透かされていく。

彼の秘密を握るたびに、アーニャの態度から遠慮のようなものがなくなっていった。


「…そのこと、村の人に知られたらまずいんでしょ?」

「絶対に言わないで」

「…やっぱそうなんだ。ふーん」


今日も訓練で重い剣を振り回し過ぎて坐り込んでいる彼の耳元に、毒を吹き込んでくる。

村八分の孤独に耐えていた弱い少女と、過剰にまで愛され村の少女たちの関心を集める少年……その立場がここでは転倒する。


「…黙っててあげてもいいんだよ?」

「………」

「でもタダじゃダメ」


アーニャは状況が許すと判断するなり、彼の持つ『チップ』を奪いにきている。

彼女は天秤の片方に『彼の秘密』という品物を置き、もう片方に彼が釣り合うだけの『チップ』を乗せることを今ではあからさまに要求している。


「あたしと恋人になって」


もう拒めない……まだ他に選択肢があるのかもしれないのに、テンパッた彼はそう思いつめてしまった。染み入る絶望が思考を硬直させる。

後ろから抱きしめられても、振りほどくことができなかった。彼の弱々しい抵抗は、裏を返せば彼女に逆らう意思がないことを証明してしまう。

だけれど首筋をついばまれ始めたときに……生々しくあのときのことを想像してしまって彼は激烈に反応した。彼女の抱え込む腕のなかでめちゃくちゃに暴れ始めて、たまたまその拘束から解き放たれた瞬間……まろぶように彼は逃げ出した。

本能が脚を出口に向けさせる。

アーニャがふさいでいる本来のそれとは反対にも、非常用の出口がある。

あの牢屋の秘密の脱出路。

もうなにがなんだかも彼には分からない。背後から迫ってくる息遣いが彼の人生を終焉へと導く死神のそれのように感じられる。

ああ、ああ。

牢屋の扉を開けるのに手間取った。それが結局は彼の敗北を決定付けた。

牢屋の中で組み伏せられた。まるであのときのように……時間なんてまったく経ってはいなかったように、体格に勝る赤毛の少女が、逃げた彼をなじるように上から睨め付け、おのれの勝利の楔を打ち込むように強引に唇を重ねてきた。

歯を食いしばっていたのに、顎をつかんでこじ開けられる。そうして乱暴に舌が躍り込んできた。舌がうねうねと絡み付き、大量の唾液が送り込まれてくる。吐き出そうにも呼吸を止められてしまって、窒息寸前でとうとう嚥下してしまう。

望まぬ相手の唾を飲まされた事実……それが呪詛のように彼の自我を麻痺させる。

あきらめて、彼はようやく冷静になった。

おのれの持つ『チップ』をただ奪われるままにするのはバカのすることだ。なるべく『チップ』は温存しつつ、この状況をしのぎきることを考えるべきなのだ。

鼻息の荒いアーニャからようやく顔だけは引き剥がすことができて、彼は必死に呼びかけた。


「…アーニャ」

「あたしだって、あたしだって……もう我慢させられるのはいや…」

「アーニャ、アーニャ!」


呆然としていた彼女のまなざしが、わずかに正気の光を灯した。

間を空ければすぐにでも歯止めを失いそうな雰囲気に、彼は内心の逡巡を振り払うように、言葉を紡いだ。


「…わかったから」


許容できる最大限の『理解』をまず示す。

恋愛はとどのつまり相手に見出した『価値』の奪い合い。一方がそれに気付かず拒絶を続けると、相手の意向という壁を壊して強奪しようと思考する乱暴な手合いも現れる。

たいていそれは獣欲に狂った男のケースがほとんどのはずなんだけれども。今生は神様が仕事しすぎたせいでおかしなことになってしまっているだけなのだと思い切って。


「ぼくはもう婚約してるんだ。だから恋人とかにはなれないんだよ」

「………」

「だけどぼくも……アーニャのこと、その…好き、好きなんだ」

「……ッ!?」

「小さい頃、アーニャが抱っこしてくれたのも覚えてる。好きは好きでも、『家族』のそれみたいなものかもしれないんだけれど……アーニャのこと、好きなんだ」

「あたしも好き! 大好きッ!」

「…でもこれ以上乱暴するなら『嫌い』になっちゃうよ」

「…ッ」


なんかもうむちゃくちゃを通り越して恥ずかしいぐらいの論理なんだけれども、それがちゃんと通用したことに別の意味で頭を抱えたくなる。容姿とは別に、魅了の魔法でも常時展開しているんじゃないかと思ってしまう。これじゃエルフというよりももう吸血鬼とか淫魔だな。


「だからもう、こんなふうに乱暴はしないで。…ほんとどうしても……我慢できなくなったら……しょ、処理はしてあげるから」


『処理』という言葉に少しきょとんとしたアーニャであったけれども、すぐにその意図するところは理解してくれたようで……さっそく頼まれました。

えーっと、キミ処女だよね?

そんなこと想像できないとか恥ずかしいとか、そんなリアクションはなしですか。まあもう薄々は分かってたんだけど。

女会幼年部というのは、少女の嫁入り修行という男には知りえない教育課程を行っている。そのなかで保健体育のような、かなりリアルで即物的な男女の関係とかも習っているという噂は耳にしている。

女系社会というのはなかなかに恐ろしい。

彼は結局、前世のブサメンがどうにかして女性の歓心を買おうと情報をあさりまくった『手業』で、アーニャを何度か昇天させた。もともと受け入れ態勢ができている上におかずに使っている相手の直接のサービスだ、まだ精通のない彼が変な気分になってくるぐらい彼女は感じまくった。

男ならば早漏とか言われそうなぐらいの早さで逝ってしまうので、一瞬自分の手がゴッドハンドなのではないかと錯覚してしまったほどである。


(…まさかオレの才能が『ソレ』とか……鬼女板神の発想ならありえるのが怖いなあ)


ともかく、これでアーニャの欲求を御しつつここの平穏を守れるかもしれない。

水溜りになったしずくが石床を伝って備蓄品のほうに流れていきそうになっていたので、彼はあわててボロ布で拭き掃除を開始したのだった。


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