深窓の令嬢編 14
悩んだのだけれども、父さんにはやっぱり話すことができなかった。
あの廃砦に怪しい余所者がふたりも身を寄せているなどと、言ったが最後、厳しく出入り差し止めが言い渡されることが目に見えていたから。
考え方が少し自分本位過ぎるのかもしれない。
冷静に考えて、ここは村の大人たちに事情を説明して、村として事に対処すべき事案であろうことは、まがりなりにも大人であった元ブサメンも察している。あの金髪優男が本当に『殿下』と呼ばれるほどの尊い身分を持っているのならば、あの負っていた怪我は『なんだったのか』ということになるだろうし、知りたくも関わりたくもない雲の上のほうのきな臭い揉め事が村に持ち込まれる可能性があるのだとしたら、村人のひとりとして通報することが義務なのかもしれない。
そうした可能性にたどり着いているというのに、結局彼は黙り込むことを選択してしまった。コミュニティに属する一員としては、最低かもしれない。
だけども、やっぱりあの『聖域』を失うわけにはいかなかった。
二人の身柄を確保するために廃砦に村人たちを受け入れるような事態になれば、『いにしえの亡霊』などというあやふやな心理的な結界などあっさりと破られてしまうだろう。彼のプライベートにやたらと干渉したがる一部の村人たちに、夢と希望の詰まった『聖域』を踏み荒らされるのは我慢ならなかった。
「森で偶然余所者の姿を見掛けた」
父さんに伝えたのはその程度まで。
山賊なども出ることのある地域だったから、そうした余所者情報はすぐに村人たちに周知される。警戒レベルが上げられ、猟師たちが魔獣ではなく不審な人の姿を探して歩くようになる。
もしも廃砦に行って、あくまで優男の様子しだいではあるのだけれども、あの二人を無事追い出すことができたのなら、森を徘徊する猟師たちにすぐにでも確保されて、結果的に彼らの希望通り『村』に保護される流れになるだろう。
話を聞いた父さんは、年端のない息子がそれでも森にひとりで出向くというのに難色を示したが、彼が手で弓を引く真似をすると、苦笑しつつも理解は示してくれた。
彼の弓の腕が少々異常なことになってきているのを知っているからだ。
「もしもはぐれの山賊に出くわしたら、物陰に潜んで落ち着いて狙うんだ……仕留める機会を逸したら、迷わず逃げろ」
「分かってる」
「森に逃げ込めば慣れた猟師ならすぐに逃げおおせる」
村周辺の野山の地形的な情報は猟師にとって必須の知識であるから、彼もまたいっぱしにその辺の知識を持っている。
家の食料庫にしまわれていた干し肉とチーズ、ナッツを入れた小袋を合わせてポケット一杯に突っ込み、彼は『狩りへ行く振り』ももどかしく、廃砦へ直行した。
「あっ、やっぱり目が覚めてましたね」
優男はすでに起き出していた。
廃砦の中庭で、騎士様が起こしたのだろう焚き火のそばで、上半身裸になって身体を拭かれている。
声に気づいた優男が、焚き火に落としていた目をこちらに向け、信じられないというように見開かれる。濡れたハンカチを手にこちらへと目を投げた騎士様が、少し鼻を鳴らすようにぼやいた。
「だから申したでしょう。世話になった娘がいますと」
「…夢の中なのではなかったのだな」
「お気に召されましたか……ナルニウス様がその手のものに興味を示されるのは初めてでございますな」
「モーネの髪は輝くような銀色なのだろう? 天に召されて、月の女神かその娘に抱かれているのかと思ったよ」
モーネとは月の女神様のこと。
天上の佳人ともされる女神に例えられることなど年頃の娘にとって常套の口説き文句でしかない。が、言われる相手があの金髪優男であるならズキュンと胸を射抜かれるのかもしれない。
彼もまた違う意味で顔が真っ赤になった。
男が言われて嬉しい表現ではなかった。逆にそちらへのコンプレックスがありありなために、瞬間沸騰的にかっとなってしまったのだ。顔を赤くして俯いた彼に、優男は『脈あり』とでも思ったのか、急に前髪なんかを落ち着きなく掻き上げ出した。
騎士様の勘違いをめんどくさいと放置した結果が、いつの間にか盛大な羞恥プレイになって戻ってきたようなもの。
彼の落とした目は、おのれのいま身に着けている地味目ではあるもののくるぶしまである長い女性物のワンピースである。こっちのほうがかわいいからと母こだわりの腰エプロンが彼の細いウェストをきゅっと絞っている。
これはもう、いまさらカミングアウトしたからとて、女装趣味の変態さんというレッテルを貼られることは避けられないだろう。なにやってたんだ、オレは。
束の間の脳内綱引きで、後の展開……二人が村に保護された後に、優男の盛大な『勘違い』が女軍団に生暖かい話題を提供するところをありありと想像してしまって、今の恥掻きvs後の恥掻きは前者が勝利した。
「勘違いしないでください。ぼくは、『男』ですよ」
そのカミングアウトは、確実に二人の耳に届いたはずであるのに。
一瞬だけ「へっ?」という間抜けな顔をした二人は、互いを見返したあとに「なんだやっぱり聞き間違いか」という結論に達したように、華麗なスルースキルを発揮した。
「…それで食料は手に入ったのか、娘よ」
失言は聞かなかったことにしてやろう、そんな生暖かい雰囲気をかもし出されて、彼はいよいよ怒りと恥ずかしさにかあっと頭が沸騰した。
腰エプロンのポケットに詰められていた食料を取り出して騎士様に押し付けつつ、唇を噛みながら黙って砦の出口のほうを指差した。
「もう動けるんでしたら、どうぞ出口はあちらです」
彼のデリケートな部分に触れてしまったことを察した騎士様は、そのダンディ系イケフェイスで培ってきたのだろうたらしスキルを発揮して、やってはいけない方向で砂糖をまぶしたような甘言が飛び出してきた。
「このような片田舎で育って、自身の持って生まれた『価値』にまだ気付いておらぬのかもしれんが、まさにモーネの恩寵のごときそのつややかな髪と香るようなかんばせは、美姫のひしめく王宮ですらなかなか探すのが難しいだろう。…このような田舎に埋もれさせるにはあまりに惜しい」
「えっ…」
「まったく自覚もないか……村の男どもの目は節穴のようだ。土まみれでも輝く宝石なのだ、磨けばどこまで光り輝くのかその価値は計りきれぬほどだろう」
「あの、…えっ?」
「命を救われた恩もある……そなたが望むのなら、世の女どもが羨む王宮の花の一輪として生きる道を示してやろう。まずはわがザウサルレン家に養女として引取り…」
「ザウサルレンの娘ならば、わたしとも釣り合いが取れるな!」
優男がお呼びでないところに参戦してきた。
だから『男』だってのに。
今生は何でか女性不信が強まってはいますが、BL展開は生理的に絶拒です。異世界転生して、何で好き好んで「うほっ」な世界に飛び込まねばならないのだと言いたい。それにあとで正体が男とばれたらどんな罰を受けるか知れたものではない。
優男の、気持ち悪いくらいの秋波に怖気を震いつつ、
「もう出てってください、お願いします!」
彼は声を荒げた。
声変わりもないのでどうしてもドスが利かないんですが。彼の怒りが激しいことだけはなんとなく二人にも伝わったのは重畳でした。
「…あとで改めて使者を送ることといたそう。それまでにいろいろと親御殿とも相談するがよい」
「せめて……きみの名前を教えてはくれまいか」
すげなく拒絶されたことでしょぼんとしたへたれ優男は、そんなふうに声を掛けてきたけれども、今後も『女』として関わるつもりがない以上、名乗る気にもなれませんでした。
かたくなに出口を指差したままの彼に、悄然と立ち去るかに見えた優男であったのだけれども…。
「絶対に君をわたしの妃に…」
いきなりハグしにきたので、身長的に狙いやすい下顎に頭突きを御見舞いしてやりました。人間の頭蓋骨ってなかなかに頑丈なのです。
騎士様がそのときくわっと目力を強めましたが、いろいろと腹に据えかねている彼の内圧もそれに負けることはありません。
立ち去っていくふたりの男たちの姿が視界から見えなくなるまで、息をつめて見守っていた彼は、ようやくそのときが来て腰砕けに坐り込んでしまいました。
厄落としに塩でも撒いてやろうかと思った彼でしたが。
一難去ったらまた一難というやつでしょうか。
「アーニャ…」
秘密基地が発見されてしまいました。