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深窓の令嬢編 09






エディエルです。10歳になりました。

いよいよ人生が行き詰りそうです。

ひそかに村唯一の魔法使いである治癒士のところに通い詰めて、魔法学校入学の根回しを行っていたのですが、満を持しての再度の入学請願も、村の女会全会一致であえなく否決されました。

いずれは村の村長になるのだ、魔法なんて覚える必要もないし、そもそも外の世界は怖い人間が一杯なんだから、村の大切な愛玩動……可愛い天使ちゃんをひとりで出すなんてとんでもないと、そう力強く決断されたそうです。

なんでしょうか。

このワサビ付けすぎた握りを食べた直後のような、脳天を突き上げるようなツンとした感覚は。涙がじわじわっとこみ上げてきます。

ルドンネ家、ウィンチ家双方の挨拶が済んで、盛大な酒宴がありました。その間ひな壇に座らされた若いふたり……ぼくとレネ嬢は好対照な表情を浮かべて大人たちの交流を眺めていました。

そっと握ってきたレネ嬢の手が、ぼくのこぶしを何かをねだるように触ってきたので指を開くと、ぎゅっと指をからめて握ってきました。俯いていた視線を上げると、顔を真っ赤にしたレネ嬢が鼻息も荒そうにドヤ顔をしていました。

まだ婚約したというだけで彼の成人(15歳)まではずいぶんと猶予があるというのに、すでに輝かしい将来に希望を抱く新婚さんのようです。

村長公認の婚約者となったレネ嬢は、その後誰はばかることなくべったり張り付いてくるようになり、近付いてこようとする敵と書いてライバルを忙しく威嚇し続けています。狩りの時間はさすがに付いてくることはありませんが、祖母で女会常長のレクリアさまに、ぼくが猟師になる必要などないのだから森へ行くのを禁止にしてとかおねだりしているらしい。

どんどんと人生の可能性が潰えていくこの感覚。

墓場に足を突っ込むというのは、こういうことなのでしょうね。

けっして悪意からそうしているわけではないとは分かってはいても、忸怩たる想いは隠せません。

父さんから、


「もう訓練はやめるか」


という問いかけがあったことで、事態がのっぴきならないことも悟りました。

むろん全力でお断りはしましたけど、いくら村一番の猟師とはいえ、村社会で村長一族に抗うだけの影響力を持っているわけではありません。いずれ押し切られるのは見えました。

どうしてこうなった。

異世界転生の旨みの部分がまったく感じられないのですが。

最近ほんとに、『死』の結末を身近に感じています。何かの弾みで衝動的に命を断ってしまうかもしれないと思えるほどに、精神状態が正常ではありません。望みもしない相手に所有され、あのときみたいに好きなように蹂躙されるのだと少しでも思い浮かべてしまったら、もう耐えられません。


(家出するしかない)


最近はずっとそのことを考えています。

正式な婚礼が行われるのは、ぼくが成人する15歳のときだ。何かの外的要因で特例的にそれ以下の歳でも結婚することはあるそうなのだけれども、たいていそうしたのは貴族とか家の事情が絡むような特殊なときだけのようです。

あと5年。

寸前まで読むのは恐ろしいので、1年の余裕を持たせてあと4年ぐらいが最後のチャンスなのだと思う。それまでに猟師としてのスキルを可能な限り高めて、村を脱出する。村長一族の手が伸びないくらいに遠くまで何とか逃げおおせて、そこで冒険者ギルド的なところに転がり込めば何とかなるだろう。

父さんに聞いたところでは、たしかに魔物を専門で狩るハンターたちが所属する国営民営いくつかの組織があるそうです。そこで金を稼いで、いずれは魔法学校にもぐりこむことだってできるはず。

きっとできる。

やればできる。

念仏のように、そうつぶやいた。



***



決意したその日から、彼の生活パターンは大きく変えられた。

家で朝起きて、父さんの猟にくっついて出発する。

何時間が野山を駆け回り、何匹か魔物を狩って、猟師の男衆たちに混ざって帰途に付く。

森の端近くまで来た頃に、「ちょっと寄り道するね」と父さんに告げて離脱。待ち構える女軍団をかわして別方向へと逃げる。すぐには村へ戻れないので、時間つぶしの必要が出てくる。

そこで思いついたのが、あの忌まわしい記憶の残る廃砦だった。

彼はアリーがかつてそうしていたように砦のなかにもぐりこみ、隠された部屋のひとつを秘密基地にするようになった。脱出時に見つけたあの櫃の中にあった甲冑と中剣もそのままだったので回収した。大きすぎる甲冑を着けて、重すぎる中剣を振るうことは、かなりよい筋力トレーニングになった。

そこの秘密基地は幽霊のうわさもあるので人がまったく寄り付かず、非常に安全であることが分かっているので、少しずつ脱出するときの準備を開始している。

狩りのときに「外した」ことになっている矢を貯めている。

矢筒は古いのを直しておいたし、弓も倉庫で使わずに立てかけられていたやつを新しい弦で張りなおして置いてある。

あのとき櫃から持ち出していた短剣と金貨も、隠しておいた裏庭から掘り出して移してある。マントに水筒に家からくすねた丸薬、父さんから聞き取った周囲の手書き地図。街道図。

年単位の備蓄が難しい食料以外ならば、いつだって実行可能な程度には集まっていた。

ああ、そうそう。

女軍団の監視の目を盗んでなのでなかなか自由には動けないのだけど、年寄りの家だということで監視の穴になっていた治癒士のばあさんのとこに、なんとか魔法のひとつでもご伝授願おうと三日と開けず通っていたら、「才能があるのに気の毒なことじゃ」と、一番簡単な治癒の魔法と、使い古された初等魔法の教本を譲られた。

本当なら正式に指導を受けて覚えるべきものだそうだけど、初等魔法はほんとうに『初等』に過ぎないうえに、術者自体も初心者の頃は掘ったばかりの井戸のように魔力が沁み出す程度なので、いきなり魔力が大放出なんてこともないくよほどのことがなければ大丈夫であるらしい。

むろん彼が人並み以上に『聡明』であったことも……ここぞとばかりに彼の基本スキルである反則的な涙目おねだりポーズの全力全開で治癒士のばあさんを陥落させていたことも成功の一因であったりする。

まあともかく。

廃砦の秘密基地にこもる時間は、筋力トレーニングと魔法の練習に効率的に費やされた。森が薄暗くなるまで、彼はけっして村に戻ろうとはしなかった。




当然のことながら、あからさまに避けられるようになった村長の孫娘、婚約者であるレネ嬢が静かにしているはずもなかった。

ひと月もそうした生活が続くと、気位の高いレネ嬢も寂しさと不安にさいなまれ始め、最初は村長宅の下働きの男が遣いに来て間接チェックが入り始め、それで改善されないと悟ると、ご本人様自らの凸がくるようになりました。

暗くなってからしか帰らない彼に空振りを続け、時間を後ろにずらすことでようやく捕まえたときには、怒りのあまりぼろぼろと大泣きし始めた。

ばちーんっ、と強烈なビンタを一発もらいました。


「もう猟師なんか辞めてレネと一緒にいて」

「…やだ」


ばちーんっ、ともう一発。空気的に避けられないのが痛い。

そのままぎゅっと抱きつかれて、壁際に追い詰められた。そうして「寂しいの」「つらいの」「愛してるの」と上のほうからつぶやかれて(どうせ背は低いです)、同意しないでいると最後には耳にがぶって噛みつかれました。


「お義父さま、エディの訓練を取りやめてください」

「いや、それは…」

「お義父さまはわたくしのことがかわいくはないのですね」

「うっ…」

「お義母さま! お義母さまからもおっしゃってくださいまし! 猟なんて野蛮なことを続けて、エディのお人形さんみたいにかわいいお顔に傷でもついたらどうするのですか」

「そ、そうね」


女会にどっぷり所属するだけあって、母さんの反応はレネ嬢に同調しかかっている。そこで彼も全力で抵抗すべく、母のスカートに取りすがっておねだり上目遣いをする。猟師の訓練はいま彼に唯一残された『可能性』の根幹でさえある。

それを禁止されると、付随して廃砦への移動も、魔法の訓練もできなくなる。

あくまで無言で、眼差しに言葉を乗せる。

息子愛と女会の間に挟まれて返答に窮した母さんを見て、先に『最後の一押し』に踏み切ったレネ嬢の頭の回転の速さにはすこし驚かされた。


「そうだわ、お義母さま! 近頃はずうっとお動物の格好ばかりにされていたようですが、ここは初心に帰って、『女の子』に立ち返られたらいかがでしょう!」


一瞬、なにを言っているのか分からなかった。

だがそれも次の言葉で、明確な『罠』であることを理解せざるを得なくなる。


「森の中をドレスで猟師の真似事とか、なかなかの見ものではございませんこと?」


やられた。

母さんにていのいい『逃げ道』が与えられてしまった。森の中を歩きにくいドレスなど着て猟なんてまず不可能……木々下草を擦って音を立ててしまうし、色が目立ちすぎて獲物に逃げられてしまう。なにより、同行の男衆たちのやる気を阻喪してしまうこと疑いない。

そうなれば彼の気持ちなど関係なくなり、猟師仲間の男衆から同行へのダメ出しが来るだろう。いまの着包みだって正直いい顔はされてないのに。


「そうね、そうしましょう!」


今生はいばらの道続きなようです。


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